第三話
紬と出会ったのは大学一年の春。散りかけだけどまだ桜が咲いていた頃。
同級生と最低限のやり取りはしながらも、ずっと一人でいた私の中にずけずけと入ってきた小さな女の子。この頃はまだ幼さが混じっていたと思う。
『お疲れ。課題忘れたから見せて』
『お、お疲れ。えっと、椎名さんだよね。別にいいけど、なんで私?』
初めて交わした会話はこんな感じだったかな。顔は知っていたけど、初めて言葉を交わす人間に対する態度ではない。第一印象はあんまり良くなかったと思う。
それからも定期的に声をかけてきて、学食で一緒にランチをする程度の仲にはなった。良くも悪くも気を使わず接してくれるところに居心地の良さを感じていたのかもしれない。
華の女子大生。当然色々な誘いが彼女から届いた。合コン、あんたと話したいって言ってる子がいる、旅行に行きたい、夏物を見に行きたい、とか。
彼女からの誘いをことごとく躱す私を見て、流石に訝しんだのだろう。入ってほしくなかった領域に一度だけ足を踏み込まれたことがあった。
『あんたのそれ、何なの?行きたくないのはいいんだけど、その儚さオーラみたいなやつ、むかつく』
なんかあったの?と、ジトっとした目で問い詰められた記憶。講義が終わって人も少ない夕方の学食。夕日が差し込む窓際の一番奥、一番端の席。よく覚えている。
どこまで話したのかはちゃんと覚えていない。
高校で嫌なことがあって、それからはおとなしく過ごすようにしている。それくらいしか伝えていないと思う。
それなのに、彼女は腑に落ちたような顔をしてそれ以降は何も聞かなくなった。
優しい子だと思った。
彼女が初めて声をかけてきたのは、あの日たまたま私の隣が空席だったから。しっかり課題をやっていそうで、言えば見せてくれそうな無害な人間に見えたから。多分こんなところだと思っていた。
でも、しばらく一緒にいて考えが改まる。多分、彼女は死んだように生きていた私を見ていられずに手を差し伸べてくれたんだろう。
そんな優しい紬に、私から返せるものなんてほとんどない。お金には困っていなさそうだし友達だって多い。彼女が求めているようなものを私は持ち合わせていないだろう。
それでも、ずっと心配をかけてきたんだから安心くらいはさせてあげないといけない。
数日前までの私ならきっとこんなことは思わなかった。
◇
夕方になり気温が下がってもまだまだ暑い。せめて六月が終わるまでは暑さを感じたくなかったと思う。
紬とやり取りをした翌日。彼女に指定された場所へ足を運んでいる。それほど遠くはないけど、私には縁遠い駅で縮こまりながらナビ通りに歩みを進める。
土曜日だというのにこの街は静かで人も少ない。大きな家が連なる閑静な住宅街には品があふれているようで、道行く人はみなお金持ちのように感じる。
「あれ、着いちゃった」
ナビが目的地に到着したことを知らせる。それらしきお店は見当たらないし、看板や案内もない。
『ごめん、着いたんだけどお店が見つからなくて。目印とかない?』
きょろきょろしながら紬に助けを求める。あんまりうろついてると不審者に思われそうだ。
『入口の脇に庭が見えるでっかい白い家』
でっかい白い家ばっかなんだけど。表札も外観も似たようなものばかり。
彼女の雑な案内にイラつきながらも、怪しまれない程度に周りの家を見て回る。
「でっかい白い家。入口の脇には庭が見える…」
あった。ありはしたけど、看板もないしただの一軒家としか思えない。インターホンはあるけど怖くて押せない。
スマホ片手にうんうん唸っていると、白くて大きなドアから出てきた女性に目が奪われる。
ふっと空気が澄んだ気がした。
透けるような肌に長い手足。皺ひとつない白のブラウスの腰元には黒いエプロン。装飾なんて何もないのに、目を惹かれる。高く通った鼻筋に自信を湛えた大きな瞳。どこかで見覚えがあるような……。
「武見さん、でしょうか?」
包み込むような優しい声。恵まれた容姿には恵まれた声がよく似合う。彼女と同じように。
「は、はい。何で名前を…?」
「どうぞお入りください。紬が待っていますので」




