第八話
「じゃ、じゃあさ。聞かせてほしいんだけど」
「その…市川さんは、何で私なんかに…つ…付き合ってとか言うの?」
「全然接点なかったし、市川さんなら、もっと素敵な人と仲良くなれると思うんだけど…」
年上らしく、穏やかで余裕の持った声色で事情を聞き出す。そうしたつもりだったのに、自信のない小さな声しか絞り出せなかった。
平日の昼過ぎ。外からは何も聞こえない。二人きりの部屋を静寂が包む。二人だけの世界。
なにも言わない彼女をじっと見つめる。
『言わない』のか 『言えない』のか。
十秒。五分。一時間。
どれほど時間が経ったかはわからない。でも、今は急かすべきではない。
多分、彼女は今『選択』しているんだろう。
「理由は…言えません。ごめんなさい」
でも。と、絞り出すような、淡く儚い声。
「私は、陽絃先輩だけを見ていました。ずっと。ずっと…」
ずっと、見ていた。ずっと。『ずっと』か…。
何かが引っかかる。掴み取ろうとしてもするりと抜けていってしまう。何も見えていないのに何かを掴もうとしているだけなのかもしれない。
「強引に迫っちゃったのはごめんなさい。反省してます」
「でも、大好きなんです。誰よりも。自分のことなんかよりも」
「そっか…。その…確かに、び…びっくりしたことは何度かあったけど。えっと…」
彼女の気持ちに悪意が無かったことはわかった。そして、なにか理由があったことも分かった。だからこそ、彼女の気持ちにどう言葉を返してあげたら良いかわからなくなる。
彼女を傷つけたくない。それは、同じオフィスで働いているから。一生懸命私を助けてくれた優秀な後輩だから。可愛い人気者だから。
どれが当てはまるんだろう。
どれも当てはまる気がするし、どれも当てはまらない気もする。
選択。選ばなければいけない。もう『なかったこと』にはできない。
「気持ちは嬉しい…から、その…今後も仲良く一緒に仕事する、ってのはどう…かな?」
これで良い。彼女は優秀な後輩で空っぽの私を好いてくれる変わり者。バッサリと断って傷つけたくはない。
なるべく傷つけず、でも、波風は立てない関係に落ち着かせる。
彼女の色を、求めてはいけない。
「先輩。一つだけ聞いてもいいですか?」
真剣な声色。
「先輩は、どうしていつも苦しそうにしているんですか。それだけは教えてください」
ドクンと心臓が跳ねた気がした。
彼女が何を言っているのかわからないのに、何を言われたのか身体が理解している。
「先輩が私を拒絶するのは仕方のないことだと思います。でも…あの夜よりも前から、先輩はずっと苦しそうにしていました」
「それを教えてくれたら、もう、先輩のことは…諦めます」
嘘。
自分だって苦しそうにしてるじゃん。
絶対に諦められないって表情をしている。なのに、そうしてまで私のことを知ろうとする。
彼女にだったら伝えても…。別に、人に話してはいけないことではない。どうせ理解はされない。頭のおかしい人だと思われるかもしれない。でも、その程度だ。
大事なものを諦めてまで、私を求める彼女になら。
言おう。話してしまおう。
彼女との関係も、私自身も壊れてしまうかもしれないけど。
「わかった」
「全部は話せないと思うけど。聞いてほしい」
彼女は大きな目を丸くしてこちらを見つめる。
「…わかりました。お茶入れてくるので、少し待っててください」
キッチンに向かう背中を静かに見つめる。
無色透明を目指して、刺激が少なく少しでも色の薄い方を選ぶ。そうしていれば、少なくとももう痛みを覚えることにはならない。
こんな生き方を、誰が理解できるんだろうか。




