第七話
ずいぶん長い間寝ていた気がする。時計を見ていないからわからないけど、頭のスッキリ具合がそう告げている。
うちまで送ってくれたのか。また悪いことをしてしまった、と反省の念を抱いたところで違和感に気が付く。
彼女がうちを知っているはずがない。住所も最寄り駅も話した記憶がない。
部屋を見渡してみると、白を基調としながらもところどころに置かれた淡い黄色のインテリアが目につく。
枕元にはいくつかぬいぐるみが置かれており、やたらと丸みを帯びたペンギンのぬいぐるみと目が合う。
コロコロしていて可愛い。手に取り抱きしめてみると、聞き覚えのあるシャッター音が聞こえた。
「おはようございます、先輩。朝から一枚いただいちゃいました」
スマホを手に心底楽しそうにその場をクルクル回る芹羽。最悪の瞬間を撮られた。本当に最悪な瞬間を…。
「ま、待って…。消してほしいんだけど…」
胸に抱きしめたペンギンと一緒に懇願する。
「いやです」
即答。最悪だ。
「出来る大人を演じるものの、可愛いぬいぐるみの誘惑には勝てないちっちゃな先輩…。芸術点が高いです」
ため息。何を言っても無駄だろう。
それよりも、とベッドのふちに腰かけた彼女が心配そうな声色で続ける。
「熱はないですよね。夜中の先輩、本当に顔色悪かったから。体調はどうですか?」
「…色々ごめんね。まだ寝ぼけてるかもだけど、体調は大丈夫。熱もないと思うよ」
疲れは残っている気はするけど、しっかり眠ったことでだいぶ具合は良くなったと思う。ベッドもふかふかしていてとても寝心地が良かった。
「あ、ベッド使わせてもらっちゃってごめん!全然ソファとか床で良かったのに」
「先輩をそんなところに寝かせられるわけないじゃないですか…」
大げさにうなだれる反応が可愛い。
布団は敷かれていないしソファも置いていない。もしかして、そのまま床で寝ていたりしないだろうか。
「市川さんも夜通し仕事してたはずだけど、ちゃんと寝た…?寝る場所無くてずっと起きてたならすぐに寝てほしいんだけど…」
「寝てるに決まってるじゃないですか。先輩より先に起きちゃいましたけど」
そっか。なら良かった。
でも、どこで寝たんだろう。
「そんなことよりも!先輩、お腹空きません?もうお昼ですし」
壁に掛かった時計を見ると間もなく13時を指すところ。ずいぶん寝ていたらしい。
食事の前にシャワーを借りたい気持ちもあるけど、着替えもないし面倒だ。食欲はあるし、今は食事を優先することにした。
「うん、なんか食べようか。奢らせて」
その必要はないです。と、スキップをするように部屋の入口に向かい、フライ返しとお玉を手に戻ってきた。
「パンケーキ作ってあげます。得意なんですよ」
◇
バターの焦げる濃厚な香りがキッチンから漂ってきて、思わずお腹を押さえる。
しばらくプロテインバーや菓子パンといった片手ですぐに食べられるものしか口にしていなかったから、手の込んだ食べ物の香りに身体が喜んでいるようだ。
「おまたせしました!市川シェフ特製、三段パンケーキです!」
黄色がかったふわふわの生地が三つ重ねられ、メープルシロップがこれでもかとかけられている。小さくカットしたバナナやブルーベリーも散らされており、手の込み具合に驚く。
「料理上手なんだね。私じゃ絶対こんなきれいに作れないよ」
「レシピ通りに作ってるだけですよ。でも、お褒めの言葉、しかと拝受しました」
ははーっと大げさに頭を下げる仕草にまた頬が緩む。しばらく機械のような文章の彼女としかやり取りをしていなかったからだろうか。
見た目だけではなく、当然味もおいしかった。焼き加減も完璧で、口の中でとろける生地を堪能する。
「あの、先輩…」
落ち着いたところで、彼女が馴染みのない控えめな声と表情で切り出す。そんな表情もできるんだ。
「今回の件、本当にすみませんでした。」
「えと…なんで市川さんが謝るの?今回は私が一人で抱え込んだのが悪かったんだよ」
「ほら、私こんな感じだからちょっと無理しただけですぐ疲れちゃって…。強そうには見えないでしょ?よく言われるんだ」
心配かけてごめんね。と、自嘲しながら彼女に非が無いことを告げる。
それでも彼女の顔には笑顔が戻らない。
「だって、先輩が私を頼らなかったのは…いえ、頼れなかったのは、私が先輩を追い詰めちゃったからですよね。わかってるんです」
「別に追い詰めたかったわけじゃないんです。でも…こうでもしないと、先輩…どこかに消えていっちゃいそうだったから」
思っていたのと違う。いや、違わない…?
あの夜。あのカフェ。あの日に見た彼女はひどく熱を孕んでいて、狂気さえ感じる瞬間もあった。でも…それには何か理由があったとしか思えない…。
それが今、聞けるかもしれない。




