第五話
深く椅子に沈んだまま焦点の合わない目でモニターを見つめる。マウスとキーボードが無機質な音を奏でる。
何本目かわからないコーヒーを飲み干す。嫌いな味。
「おーい。生きてんの?無視してんの?」
「あの…武見さん、大丈夫ですか…?」
終電で家に帰り、シャワーだけ浴びてほとんど寝ないで家でも仕事をする。
三日ほど続いたデスマーチも明日には終わる。泣いても笑っても明日中には納品しなければいけない。もう少し…。もう少し…。
「おい!」
「ったいなぁ…」
何か固いもので頭を叩かれイラつきながら振り返る。
「なんて顔してんのあんた。おもろ」
スマホを向けられ何枚か写真を撮られる。撮っていいなんて言ってない。
「椎名さん、流石にそれくらいにしておいた方が…」
小さな『しごでき女子』と清楚なお嬢様。そんな二人組の姿が目に映る。
紬の隣にいる人は久しぶりに見るけど…えっと…。
「柊ね。うちお抱えのデザイナー。あんた、こいつ誰だっけって顔してたわよ」
「あー、ごめん。忘れてなんかないって。ご無沙汰してます、柊さん」
そうだ、中途で入ったデザイナーさんだ。紬の後輩にあたる清楚で綺麗な人。真っ黒に染め上げた絹のような長い髪が印象的で、服装や声、話し方からも育ちの良さがうかがえる。
お身体は大丈夫ですか?と優しく声をかけてくれた柊さんに会釈をしつつ、紬を見る。
「たまたま用があって通りかかったら死にかけのあんたが見えて笑っちゃったわ。ここまでボロボロなのは久しぶりじゃない?」
「うるさい。好きでこうなってるわけじゃないから。本当に時間無いから今日はもう帰ってよ」
無意識に冷たい声が出る。自分の声じゃないみたいだ。ごめん、紬。
「あっそ。ま、いいわ。本当にやばくなったら連絡ちょうだい」
ドンと派手なパッケージのエナジードリンクが机に置かれる。
「本当に寝た方が良いわよ。壊れる前に」
ボソッと言い残し、紬は足早に去っていった。
「椎名さん、ちょっと!」
紬の後を追いかけようと振り返った柊さんの動きが止まる。
私の髪をそっと手に取り、胸元から取り出したブラシで梳かす。梳かした髪を慣れた手つきで一つにくくり、左胸に垂らしてくれる。
紬に幼く見えるからやめろと言われたことがあるけど、こだわりはないし今更変えるのも面倒だからと大学から続けている低めのサイドポニー。
柊さんには一度くらいしか顔を合わせたことは無かったと思うけど、いつもの髪型を覚えてくれていたのだろうか。
「うん。武見さんはこっちの方が良いと思います」
お騒がせしました。と、丁寧に頭を下げ紬の後を追っていく背中をぼーっと見送る。
眠気や疲労もあってか、メイクは最低限。黒く深くこびりついた隈は隠せないでいる。髪だって面倒くさくておろしたままだった。
「今度お礼言わなきゃ…」
紬は茶化しに来たのかとおもったけど、多分彼女なりに心配してくれたんだろう。
柊さんは紬の付き添いだろうけど、ずっと優しかった。なんで髪を結んでくれたのかはわからないけど、あまりにも見苦しい姿の私を見ていられなかったのかもしれない。
芹羽に会わなくてよかった。彼女にあんなに冷たい声と態度は見せたくない。多分、悲しい気持ちにさせてしまう。
残る作業はあと僅か。このままやり通せば明日の朝までには終わるだろう。
一瞬、咲くような笑顔が頭をよぎる。
チャットではやり取りをしているけど、連日自席に縛り付けられるように居座っているから昨日も今日も彼女の姿を見ていない。
打ち上げのお店も探さないと。
難しいことは全部落ち着いてから考えれば良い。正直、今考える余裕は…ない。




