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前を並んで歩く二人の背丈を見比べて、自分はあれくらいの時どうしてたかなと物思いに耽っていたユシュネモは、隣にいるウルトナにわざとらしく耳打ちした。
「あいつら、昔の俺達とは大違いだ」
朝露が滴るような尊顔が何か言いたげに目を細めた。
「そんな顔してどうしたの、事実じゃん」
「口惜しい」
「ははっ、意味分かんねえって」
フラフラと左右によろけるように歩くユシュネモの足元を、ウルトナがチラチラと見ている。
彼等は港町から歩いて半日かかる沼地を目指していた。
そこに棲んでいた魔族が街の近くの平原にまでやって来て他種族の魔族を喰らっているらしいのだ。
この沼地がツェニルティ家で抑え込んでいる魔族もどきと何か関係があるかは分からないが、かといって他に気になるようなことはない。とりあえずなんでもいいから進展があるといいんだが。
どんどん足がぬかるみにとらわれるようになってきた。
紫色の葉を冷たくも温かくもない風に揺らしながら、空を覆うようにして広がっている木々の細道を抜けた先。ひらけた場所で一考は足を止めた。
濃く漂う湿った土と草の匂いにユシュネモは二、三回くしゃみがでた。ローブのポケットから葡萄みたいな木の実を取り出すと、口の中に入れて小気味よい音をたてながら咀嚼し飲み込む。その後再びポケットから三つの粒を取り出すと、それぞれの名を呼んで食べろと促した。
「これは?」
不思議そうに粒を手の平で転がす少年達と、言われた通りさっと食べたウルトナ。
ユシュネモがスピネルの肩に肘を置いて手元をのぞき込む。
「君達知らないのか? いいからほら、早く食べて」
「……。あんまり美味しくないですね、強烈に渋いです」
「だって毒あるもん」
ぶっと行儀悪くアズラエルとスピネルが吹き出した。
「おれもう飲んじゃった! 今更吐き戻せないよ!」
喉を押さえたスピネルは涙目になっていて、アズラエルの方は顔色悪く固まっていた。
方眉を上げたユシュネモはそんな二人に説明する。
「これはシュキの実で、魔族の毒を殺す毒を持ってるんだ。人体には無害だから安心しな」
「そんなのどこで手に入れたんですか」
「花屋とか」
「はなや…」
腰に両手をあてながらユシュネモは続ける。
「君達はもっと俗世の知識を増やすべきだね、退魔師の世界って以外と狭いもんだよ」
そこまで言い終えてから、いや待てよ隣を仰ぐ。
「兄上が教えればいいじゃん、この二人の教育者なんだから」
「実戦を積んで自分で学べ」
「はい!」
「……」
今度はユシュネモが絶句した。
俺には手に負えないと首を振りながら沼地の奥を目指して歩く。
道中で見かけた植物や菌類、小型の魔族について説明しているうちに、気付けば全員を先導する立ち位置になっていた。
「本当に実技不足だな、他の修練生もそうなの?」
アズラエルとスピネルは顔を見合わせると、目の前に青汁を置かれたかのような表情になった。
「一番活発なのはおれ達ですが、多分頭はそんなによくありません」
「ハハハ!」
細道を抜けて見通しのいい場所にでたが、またいくつかの細道が先に続いている。まるで迷路のようだ。景色も同じようなのばかりなので、一度迷ったら抜け出すのは骨が折れるかも知れない。たとえ魔族がいなくても好んで寄り付こうとする人間はいないだろう。
「ここに棲む魔族は夜行性が多いのかな、全然襲ってこないね」
「大人しめだな、どんくさそう」
ひそひそと言い合っている少年達は後続を顧みることなく前へ進んでいく。こんな時でも物怖じしなくて大変よろしいと思いながら、ユシュネモは言葉で彼等の首根を引っ掴んだ。
「君達待て」
言われた二人は訓練された犬のように足を止めた。
「魔族の死体ならごろごろあるだろ、ほらそれ」
ユシュネモが指差した先には一見泥の塊にしか見えない物があるが、よく目をこらしてみると白い骨が何本かあるのが分かる。
「魔族は霊術で祓うと灰になって消える。でもこいつは残ってる。つまり」
「共喰いってことか!」
「そういうこと」
「それにしては腑に落ちない顔をしてますけど。隠してたお菓子をとられたみたいな」
言い方はともかく、指摘は正しい。
俺が真面目に考えると菓子をとられた顔になるのかとウルトナを仰ぐ。
「どう思う?」
「お前と同じ」
「たよね」
少年達が感心して兄弟だと嘯いているのを聞き、ユシュネモはなんとなく頬の内肉をやんわり噛んだ。
ウルトナの考えていることなどさっぱり分からない。ただ適当に喋っているだけである。
しかし忘れてはいけないのが、ここは魔族の住処で、未開拓の沼地で、前触れなく足元をすくわれてもなんら不思議じゃない場所であるということだ。
「うわっ」
「げっ!」
ぬかるんで柔らかな地面から蛇の尾のようなものが突き出し、スピネルの腕とアズラエルの足にぐるんと絡みついた。
その尾は黒々として太く、ミシミシと骨を軋ませるほど力も強い。
二人は咄嗟に霊剣で尾を切ろうとしたが、逆に弾かれて仰け反り返ってしまった。瞬時にユシュネモがウルトナへ目配せすると、スパンっと大根みたいに小気味よい音を立てて尾が切れた。
霊剣をにぎったウルトナがユシュネモより前にでる。
ゴポゴポと沸騰したお湯の如く地面が盛り上がり、泥水の飛沫をあげて魔族の群れが地中から這い出てきた。
牙が生え揃う口、ぎょろつく目、渡り舟ほどはあろうかという巨体な鰐型の魔族であった。鼻先から尾の先までびっしりと黒い鱗が覆っていて、腐った林檎色の液体を口から垂らしている。短めの手足の指の間から、ジュウジュウと常に何かを溶かしている音も聞こえる。腹には無数の吸盤があり泥を啜っていた。
ユシュネモの口が声なく動くが、鰐は依然として行く先を封鎖しており、それどころか四肢に力を入れて明らかな戦闘態勢に入った。
「知性がある。長生きした魔族だ」
「悠長に言ってる場合じゃないですよお! もう、毒って感じ! 凄い毒って感じ!」
「そうだね、うるさいからね、スピネル」
「兄上こっち。俺の後に下がってて」
三者三様に勝手にしつつ、ユシュネモが自分の髪を一本抜いて息を吹きかけた。
ボッと青黒い炎が灯る。
すると泥山になっていた魔族の亡骸に次々と同じ炎が灯り、泥と骨と混ざり合って形を創り出した。それは鷲の上半身と獅子の下半身になり、翼を広げて宙に浮かんだ。
「な、なんだこれ…」
「禁術だよ…初めて見た…」
『行け』
ユシュネモの指示で一斉に滑空する。
鰐の顎が鷲獅子を噛み千切るが、鷲獅子の体は血の代わりに流れた泥水であっという間に傷を元に戻してしまった。
毒を浴びても物ともせずに、むしろ、口の中が飲み込めない泥でいっぱいになった鰐の方が苦しげで、吐き出しそうにしているが歯肉や上顎、喉奥にべっとり貼り付いた泥はどんなに藻掻いても剥がれ落ちない。
鷹獅子の爪が鰐の背を抉る。剥がれ落ちた鱗の下から現れた薄緑色の肉に、嘴を突っ込んで貪っている。
鰐一頭に対して鷹獅子は二、三頭で襲いかかっているため、数の面から見てもどちらが有利か人目瞭然であった。
ただ見ているだけで敵が殲滅されていく。
目の前で起きている縮小された弱肉強食の世界にスピネルは生唾を飲み込んだ。
あの鷹獅子は魔族などではない。もっと別の、決して生命体とは言えない、魂の理から外れたモノだ。間違いなく外道である。
なんと言っていいか分からないが、このユシュネモという人が味方でよかった。隣で彼の背中を呆然と眺めているアズラエルも同じことを思っているだろう。
おぞましい。けれど、強くて格好いい。
禁術に魅入られる人間の気持ちがほんの少し理解できたような気がした。かといって、魔族に堕ちてまで手に入れたいとは思わないが。
「そうだよ!」
「ど、どうしたスピネル」
急に顔を青ざめたスピネルにアズラエルが目を剥く。
だがスピネルはアズラエルもウルトナすらも目に入れず、ただユシュネモにだけ意識がとらわれていた。
「魔族になるの?!」
切羽詰まった声にユシュネモは「ん?」と振り返った。
「禁術を使うと霊力を失って魔族に堕ちるんでしょ! 大丈夫なの?!」
「大丈夫だよ」
ユシュネモにしては珍しい類の笑みだった。
「俺はもう理から外れている。魔族にはならないよ」
それはどういうことだと聞き出したいのは山々だが、スピネルは口を噤んでしまった。今更になってウルトナの視線が気になり、首の裏がぞわぞわし始めたからである。
鰐の数が減っていき、最後の一頭になると一方的に鷹獅子に蹂躙された。役目を終えた鷹獅子は最初と同じ青い炎に包まれて次々と消滅していった。
「あ、あの、あそこに何か埋まってますよ。小さな木箱みたいな…」
「とってくる」
泥で汚れてはいるが、蓮の花が緻密に彫られている木箱はユシュネモが片手で掴める程の大きさで、年代を感じるものの損傷はあまりない。
右下に蕾の発条がついており、回すとカチチと音がする。三回回したところで手を離すと、箱が開いて子守歌が木琴の音色で流れ始めた。
「オルゴールだ」
それだけではない。小箱の中には筆の先より細く束ねられた、人の髪の毛が仕舞われていたのだ。
「遺髪? だれの…」
ユシュネモは途中で言葉を失った。
蓋の裏に、ツェニルティ家の紋章が描かれていたのである。
スピネルとアズラエルも覗き込む。
「これって、おれ達の家の誰かがここに捨てたってこと?」
「盗品はまずあり得ないから必然的にそうなるね」
二人につられてユシュネモも眉を顰めながら首を傾げた。
「うっすらだけど禁術の痕跡がある。反魂、か? だから魔族が共喰いを…でもここにあるのが最近じゃないならなんで今更」
ユシュネモが思案にくれていると、静観していたウルトナがスッと口をだした。
「見覚えがある。それはお前の母親のものだ」
「はあ?」
三つの首が一斉にウルトナを振り返った。
「俺と兄上の母親? 形見ってこと?」
「そう」
「なんでこんなとこに埋まってんだ」
「分からない」
「じゃあ、中に入ってるこの髪の毛は母上のか?」
「違う」
ウルトナの口振りはまるでその光景を見ていたかのように躊躇いがなかった。
「それはユシュネモの髪」
「俺の?!」
危うく小箱を落としそうになった。何故自分の髪が、なんの意図で、どうしてここに捨てられたのか。
とりあえず持ち帰って調べてみなければ。本家で拘束されているアレと繋がりが絶対ないとは言いきれないし。
四人が町に戻った時には、空には月が青嵐と輝いていた。
欠伸を噛み殺す少年達と別れた二人は、同じ部屋で膝をついて小箱を調べてみたが、驚くような仕掛けは何もなかった。
「もういい、今日は寝よう。明日考える」
半分投げやりに小箱を枕元に放ると、ユシュネモは自分も寝具に潜り込んだ。しかし、やっぱり気になってすぐに小箱を手に取ると蓋を開けてオルゴールを回した。誰かに歌ってもらったこともない子守歌に耳を傾けていると、突如鋭い頭痛に襲われ咄嗟に米神を手で覆った。
異変に気付いたウルトナが近寄ってきたのが空気の揺れで分かる。すぐに治まった痛みに起き上がって手を離したユシュネモは、大丈夫だと言おうとして口ではなく目を見開くことになった。何度か瞬きをしてから納得したように腕を組んだ。
「幻覚…いや、俺の記憶か?」
昔、ユシュネモが閉じ込められていた離れの家。その庭前に自分は立っていたのだ。
両腕や首、腰は動くが足が全くビクともしない。風や音は感じるし、金木犀の香りもする。
「ん?」
喉の奥に小骨が刺さる。
自分が離れにいた時、金木犀なんてあっただろうか。こんな、きちんと手入れされた庭前があっただろうか。
ジリッと隣から砂利を踏む音が聞こえ、ユシュネモは尾を踏まれた猫のようにばっと動く上半身をそちらに向けた。
「は、あにうえ?」
ユシュネモが知る少年だったウルトナよりももっと幼い姿の彼が、離れの庭前を見つめていたのだ。
「あら、また来たのですかウルトナ」
初めて聞く声だった。聞き心地の良い女性の声だ。
赤子を抱えた黒髪の女性が庭前の窓を開けてそこに腰かけていた。
たたっとウルトナが駆けていく。
刹那、過ぎ去った風がユシュネモの髪を揺らした。金木犀の花粉が鼻腔を掠める。
揺れた髪を掴み、ユシュネモは呆気にとらわれた。
「俺の記憶じゃない…」
ウルトナは女性が抱えている赤子を受け取ると、背中を支えて貰いながらもしっかりと腕の中に包んでいた。
「母親、ユシュネモはいつ起きる」
「この子は気紛れですから、そのうちお腹を空かせて目を覚ますことかと思いますよ」
ユシュネモは白目を剥きそうになった。もし足が動いていたら、仰向けにひっくり返っていたかもしれない。体や精神を害されている感覚はないので、事が終われば自然と醒めるだろうと自分を落ち着かせるために深く息を吐いた。




