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「で、君らはなんでついてきたんだ」


 腕を組み、隣にいるウルトナにもたれかかりながらユシュネモは縮こまっているアズラエルとスピネルにたずねた。

 怒られると思っているのか、互いに目配せをし合って言葉要らずの意思疎通を図ろうとしている。

 やがてしおらしく「手伝いたくて…」と答えてきた。

 別に最初から説教するつもりなどないユシュネモは、柔やかにありがとうと告げ彼等が隠した本音に見て見ぬ振りをした。

 拍子抜けのあまり、正座がくずれたアズラエルとスピネルの肩を叩いて立たせる。

 ウルトナと共にツェニルティ家をでた時から、一定の距離間をおいて後をつけられていたのだが、宿が決まったタイミングでいい加減出てこいとユシュネモが手招きしたのである。

 案内された部屋に入った途端、不安そうな顔で正座をするものだから、わざとだらけた態度をとって和ませようとしたのだが、あまり意味はなかったようだ。


「人手は多い方がいい。さっそくだけど、甘い物は好き?」


 隠しきれない期待の色を浮かべながら少年達が頷く。


「今から言う場所に行って欲しい。そこで耳をそばだてて色々聞き集めてきて」


 そう言ってユシュネモが口にした店の名前は、どれも女性が好みそうな喫茶店であった。

 先ほど町をひとまわりした時に場所と店の名前を覚えていたのだ。

 ユシュネモの頭の中では今、この町の地図が広げられていた。

 そんなことはつゆも知らず、アズラエルとスピネルはユシュネモに「手を出せ」と言われるがまま、ご丁寧にも揃って両手を差し出した。

 チャリン、と小気味よい音と共にひんやりした感触が二人の手の中で転がる。


「好きな物を買って食え。その変わり、俺が頼んだことをしっかりこなしてくれな」

「わかった!」


 実にいい笑顔で、実に元気に、実に機敏な動きで二人は部屋から出て行った。

 見送ったユシュネモは目をぱちくりさせながら、懐にしまっていた財布をウルトナに返した。


「俺達も出かけよう」

「どこに?」

「治安悪めな場所」


 破顔したユシュネモが向かったのは酒場であった。


「兄上はこういう所に来たことある?」

「ない」

「だろうね」

「お前はあるの?」

「忘れた」


 意気揚々と飲み物とつまみを頼み、自然な動作で酒場をぐるっと観察したユシュネモは、得意気に小さく笑うと人差し指で二度、机を叩いてウルトナに吉報を知らせた。


「ここいいね」

「うん」


 何がいいのかよく分かっていない顔でウルトナが静かに頷く。

 

「ほら乾杯」


 運ばれてきたグラスを互いに持ち、ユシュネモはまず一口だけ喉に通した。次いでこんがり焼かれた小魚を食べ、感嘆の声を上げてウルトナにも勧める。

 

「これ美味いぞ!」

「うん」


 どうやらウルトナの口にも合ったらしい。一回、二回と食べる回数が増える度、つまむ小魚の量も多くなっている。

 いい気分でウルトナが食べる姿を眺めていたユシュネモは、近くを通った店員が持っていた塩焼きのコロコロした肉に目を輝かせ、膨らむ食欲のままに声をかけていた。

 

「お姉さん! 俺らにもそれちょうだい!」

「やだよこの色男ったら。すぐ作るからちょっと待ってておくれ!」


 お姉さんと言うには些か年配な女性は、それでもユシュネモの言葉に嬉しそうに歯を見せて笑った。ふくよかなお腹も一緒に弾む。

 行き違う客と言い合いながら、それでも楽しそうに喋っている。


「どうかした?」

「なんでもない」


 ウルトナに問われて女性から目をそらす。葡萄水をまた一口飲んでからユシュネモは快活に喋りだした。


「兄上って酒飲めるんだ。結構意外」

「好んで飲みはしない」


 ユシュネモが頼んだ飲み物のうち、ひとつは自分用の葡萄水で、もうひとつはウルトナ用の酒だったのだ。

 酔った兄を見てみたかったのだが、その願いが叶うことは残念ながらなさそうだ。

 こうして向き合いながらウルトナと飲み食いする日がくるなんて、にわかには信じられないことだ。

 あの頃のユシュネモに伝えても、きっと「頭の悪い冗談はやめろ」と馬鹿にされて終わりである。

 最初は気まずさや居心地の悪さを感じていたが、たった数日ですっかり厚かましさに上書きされた。

 改めて間近で兄の顔を見ても、自分と似ているところが見つからない。強いて言うなら瞳と髪の色彩くらいだろうか。

 ユシュネモは母親に瓜二つで、ウルトナは曾祖父に似ているらしい。

 性格だってこんなにも違うのに、同じ血が流れていると思うと不思議な気分になる。

 あまりにも見つめすぎたせいか、ふとウルトナがこちらを向いた。


「なに」

「食べ方綺麗だなと思って」


 適当に褒めそやすとウルトナはすっと目を伏せた。

 そしておもむろに小魚をフォークにのせて、何故かユシュネモに差し出してきたのだ。


「なに」


 さきほどと全く同じ言葉を、今度はユシュネモが口にした。


「あげる」

「いや、あんたと同じものを俺も食べてんだけど」

「…」

「えぇ?」


 疑問符を浮かべながらも、曇天のような薄暗いウルトナの圧にジワジワと押され、ユシュネモはフォークに乗っていた小魚をぱくりと食べた。


「…美味しい」

「うん」


 満足げな返事が返ってきてユシュネモは口の中のものを吹き出しそうになった。

 

「何がしたかったのかよく分かんねえけど、ご機嫌な感じ?」

「うん」


 ついに堪えきれなくなったユシュネモがゲラゲラと笑った。


「お兄さん楽しそうだね」


 ちょうど頼んだ肉も運ばれてきた。

 持ってきたのは若い女性で、如何にも気の強そうな美人であった。

 ユシュネモを見てキュッとつり上がった目尻が下がる。夜に似つかわしい笑みだった。


「そりゃ楽しいよ。こんなに美味しいご飯を食べてるんだから」

「よく分かってるじゃない! そうよ、ここの味は最高なのよ」


 女性は物怖じしない性格なようで、ユシュネモにぐいぐい話しかけてくる。


「あまり見ない服装ね。この町には旅行で来たの?」

「そう。港には珍しいものがあるって聞いたんだ。お姉さん何か面白いこと知ってる? 最近あった物騒なことでもいいんだけど」


 最後の方だけ声を落として言うと、女性は頬に手を当ててカラカラと笑った。


「ほんと、男の子って荒事が好きよね」


 どうやらユシュネモにとって都合のいいように解釈してくれたらしい。

 女性は髪をはらって腰を屈めると、ユシュネモの耳へ顔を近づけた。ふんわり香る香水と覗く谷間が理性を揺るがそうとしてくるが、ユシュネモはそれどころではなかった。

 手の指が白くほどの力でフォークを握りしめたウルトナが、三徹したかのような目で女性を凝視していたのである。

 まさかそのフォークを投げつけたりしないだろうなという心配は、女性が囁いた言葉によって一気に吹き飛んだ。


「最近、魔族の共喰いが多いの」

「なんだって?」


 魔族の共喰いなんてそう滅多に起こるものじゃない。

 人が人を喰らうことより異常なことだ。


「兄上知ってた?」

「知らない」


 退魔師といえばでよく名前があがるツェニルティ家は、内界だろうが外界だろうが、不穏なことがあればまず彼等の耳に入るくらい情報網を広げている。

 そんなツェニルティ家の中でも特別な立場にいるウルトナが、魔族の共喰いを知らないと言った。

 ユシュネモはこの兄が如何に優秀か嫌というほど知っている。


「…問題が起きていないからまだ知られていない?」

「ありうる」


 ユシュネモは顎に指を添えると軽く目を伏せて思索にふける。

 女性はまだ話したいことがあるようで、ユシュネモの横顔をチラチラ見ながらその機会をうかがっていたが、突然後ろ髪を鷲掴みにされたように首を仰け反らせた。ぐっと閉じた口に反して見開かれた瞳は天井をうつすだけで、細かく左右に揺れているが定まった視点から動かせずにいる。

 その硬直はほんの二、三秒で直ぐに収まり、女性は言葉になれずにぼろぼろにくずれ落ちたか細い声音を口から零すと、怯えきった顔で厨房の奥に引っ込んでしまった。

 ユシュネモはよほど考え込んでいるのかそのことに全く気づかず、我に返るとまだ温かい料理を頬張って調子よく足を組んだ。


「明日行きたい場所ができた」

「分かった」

「あいつらも連れて行く」

「うん」


 ユシュネモはメニュー表をとると、追加であれこれと注文し始めた。


「頭働かせたらお腹空いちゃった。兄上も頼みたいのある?」

「どれでも」

「だろうね」


 二人が酒場を後にしたのは、それから更に夜の色が濃くなってからだった。

 人が寝静まった町は昼間の喧騒が嘘のように静かで、人込みにもみ消されていた二人の足音が今はよく聞こえていた。

 あれだけ酒を飲ませたのに飲む前とまるで変わらないウルトナに、ユシュネモはさもがっかりしたと足元にある小石を蹴った。


「全然平気そうじゃん。もっと飲ませればよかった」

「無駄」

「その無駄なことが楽しいんだって!」

「毒には耐性がある」

「は? 人間やめたの?」


 不老であるウルトナにこの問いかけは意味がない。

 しかし、意味のない会話でしか得られない心地よさがある。

 それを心の中で飴玉のように転がして味わっていると、溶けてしまう前にまた新しい飴玉がひとつふたつと追加され、宿へ着く頃にはユシュネモの胸一杯に広がっていた。

 そのままいい気分で夢の中に旅立ったユシュネモは次の日、昼頃に目を覚ました。

 ボーッとする頭で昨日のことを反復し、少し覚醒したところで大きく伸びをする。

 力の抜けた芯のない体を、歩くたびに左右に揺らしながら一階へ降りると、食堂に見知る顔が三つ並んでいた。

 ユシュネモは眠気眼のまま近づくと、三人と向かい合うようにトスンと座った。


「あんたら狭くない? なんで三人並んでご飯食べてんの」


 ユシュネモが現れると、「ああ…!」とスピネルとアズラエルから雨乞いが成功した村人のような声が聞こえた。 


「兄さん遅いよ、何度起こそうとしたか!」

「遠慮せず起こせばいいだろ、別に俺寝起き悪くないし」


 ウルトナがほんの少し首を傾げたが誰も気づかなかった。


「そうじゃなくて…」

「上長、これあげます。美味しいですよ」


 何か言い続けようとしたアズラエルを遮り、スピネルはカゴに詰められたパンをユシュネモの前に差し出した。


「果物も欲しい」

「すぐ頼みます」


 パンをひとつ食べ終えると、ようやくユシュネモの頭も回ってきた。


「二人とも昨日はどうだった? 面白い収穫はあった?」

「面白いかどうかは分かりませんが…」


 聞き終えた時、ユシュネモは腹を抱えて笑っていた。


「ハハハハッ! 全部恋愛の話じゃないか!」

「男なんてどこもほぼ俺達だけだったので、好き放題言ってましたよ」

「定番文句みたいに魔族の餌になってしまえばいいのにってさ。この町の女性は逞しいというか、物騒というか…」

「その魔族をこれから見に行くぞ」

「はい?」


 二人揃って同じ顔で、同じ声音で、同じ言葉を言うものだからユシュネモはまた小さく吹き出した。


「笑っていないで教えて下さいよ、何がどうなってそうなったんですか」

「そもそも僕達があの場所に行く必要なんてあったか? ただ恥ずかしい思いをしただけだよ」


 好き勝手に本音を吐露し始めた彼等の言葉を、人事のようにうんうんと頷きながら聞き流していたが、あまりにペラペラと喧しいので慌ててそれらしい理由をつけた。


「ちょっと仄暗い話が聞ける場所なんてのは相場が決まってる。 まだ子供な君らを酒場に連れて行くわけにはいかないだろ。 だから人間模様を聞いてきてもらったんだ」


 あながち的外れでもないはずだ。多分。

 それっぽい顔でそれっぽいことを言うユシュネモは無駄に堂々としていて、変な説得力がある。アズラエルもスピネルも「そう、なのか…?」と納得してしまった。 

 本人は知らないだろうが、ユシュネモという人物を調べることは退魔師の世界で固く禁じられている。

 当時、その決まりをつくった人物達の中心にいたのがウルトナであるらしいが、何故禁止にしたのか理由は明らかになっておらず、様々な憶測が飛び交っている。

 例えば肖像画を見るだけで呪われてしまうとか、神をも殺せる強大な力と魔力が手に入るとか、全く信憑性に欠けるものばかりだ。しかしそれはそうだろう。真相を付け止める前に処罰されてしまうのだから。

 好奇心で退魔師の世界から永久に追放された者が何人いるだろう。いつしか本当に誰もが口をつぐんで触れなくなってしまい、そのうち名前すら忘れ去られるのが時の定めであろうと思われていた。

 しかし、そんな架空人物みたいな人間が突然死者の国から蘇ったのだ。

 聞きたいことも、言いたいことも山ほどある。山ほどあるが、少年達はその殆どを腹の奥底に押し込んでいた。

 なにせ彼の隣にウルトナがいるのである。

 アズラエルとスピネルがウルトナの生徒になれたのは本当に偶然だったのだが、その先の未来でユシュネモの後ろを付いて歩く日が来るだなんて、当時の二人には俄に信じられないことだろう。


「おい、もう直ぐ着くぞ」

「はい!」


 答える少年達の返事は明るい。

 散歩に出かける犬の姿と重なり、ユシュネモはウルトナに聞こえるよう嘯いた。


「不憫だ」

「もっと自由にさせよう」

「逆だよ逆! もっと傍にいて課題をだしてあげなきゃ。兄上だってそうだったでしょ」

「…」


 ほんの僅かに目線を落として考えているウルトナにユシュネモは頬を引き攣らせた。

 そして思い出す。この男が誰かと共に行動していたことなどあっただろうかと。


 なかった。



 

 

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