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 名家の退魔師であるほど、俗世から距離を置いているのはよくある話だ。

 彼等は自分達を特別だと思っているため、退魔師ではない人達とは住む世界が違うと本気で自惚れているのである。

 しかし、名家ではない、または二流の退魔師だってそれなりに存在する。

 俗世を渡り歩き、身の丈に合った依頼を引き受けて魔族を退治する退魔師は放浪者と呼ばれていて、一般市民に紛れて街中で暮らしている者もいるらしく、昔とは違う在り方にユシュネモは時代の変化を感じていた。

 かつては夢破れた者とつまはじきにされていたのに、今じゃ手頃で敷居も低いからと放浪者に頼む人がいるのだから、世論なんて気にするだけ無駄なのだ。

 焼きたてのサンドイッチを頬張る。

 今時の洒落た喫茶店の窓際の席に、目を剥くような色男が二人でランチをしている光景は、店内からも店外からも注目を浴びていた。

 にこにこと美味しそうに料理を食べているユシュネモと違い、ウルトナは極寒のオーラを放ちながらまだ熱い紅茶をゆっくりと飲んでいる。

 真冬の夜に裸で外に飛び出す変わり者など早々いない。

 彼等に声をかけるのも、また同じだ。

 二人は今、とある港町に来ていた。

 泥人形が最初に現れたとされる洞窟から、ここは一番近いところにあり、比較的人が多く賑わっているうえ、貿易も行われているので物流も盛んだ。

 まさに情報の交流場である。

 そのため立派な検問所と厳しい検問があるのだが、ここで役立つのが玻璃鏡で、面倒なあれこれを無しにこれを見せるだけで町に入れるのである。

 もし泥人形がこの港町出身でなくとも、何かしらの手がかりは掴めるはずだ。それにしても、洞窟から出てきて一番最初に襲ったのがこの町だったら、事態はもっと阿鼻叫喚していただろう。

 よかったよかった、と思いながら運ばれてきたチーズケーキに手を付ける。全然よくないと脳内で囁いてくれる善意の妖精はいなかった。


「うまい!」


 ユシュネモはフォークに一欠片乗せて問う。


「兄上も食べたい?」

「お前がくれるなら」

「ほら」


 ユシュネモがフォークを握っていた部分をウルトナへ向けると、彼はほんのり開いていた口を閉じてから、やや間を開けてそのフォークを受け取った。


「ど? うまい?」

「うん」

「あと二、三個はいける」

「いいよ」

「はは! あんたのおかげで、俺は一生金に困らなそうだ」


 どうやらウルトナは貢ぐのが好きらしい。それに気づいたユシュネモは大人しく貢がれることにした。最初は居心地悪かったが、本当に最初だけだった。今ではもう、この快適さの虜である。

 だが、いつまで彼がユシュネモと共にいてくれるのかは分からないため、別れの時がきたらちょっとだけ名残惜しくなるかもしれない。

 

「昔の俺達が見たら驚き過ぎて目が落っこちるだろうな」

「目は落ちない」

「例えだよ、たーとーえ!」


 ケラケラ笑いながらユシュネモは過去を思う。

 真っ先に浮かんだのは、兄と初めて会った時のことだった。



□□□



 翔る足音は兎のように軽快で、後を追いかけてくる大人が苛立ちのままにユシュネモの名を鋭く呼ぶ。

 ふくよかな頬を薄桃に染め、飛んできた怒りの声に湧き上がる気持ちのまま高らかに笑った。

 幼子の歩幅は短くとも、身軽さは野生動物並である。

 広い屋敷を縦横無尽に走り回り、監視の大人が膝に手をついて息を整えているのを背中越しに確認してから、ユシュネモは屋根上に登って仁王立ちしながら全身で風を浴びた。

 焦らすような速さで流れる雲を眺める。

 この無駄に広い屋敷がユシュネモにとっての世界だった。

 決められた場所、決められた時間、決められた人間。

 気づいた時には既にこの暮らしだった。

 幸か不幸か、ユシュネモは目を剥くくらいのじゃじゃ馬な性格に育っていたので、度々この箱庭を抜け出しては本家にいる退魔師達に嫌がらせをしていた。

 なにぶん退魔師としての能力が高いため、仕掛ける嫌がらせも高度なものが多く、中には怒るより舌を巻く退魔師がいたほどだ。

 手放すにはあまりにも惜しいという当主の言葉に、不本意ながらも表面上は多くの退魔師が賛同していた。

 ユシュネモの素行の悪さにも目を瞑ることが増えたのである。

 しかし、それではつまらないと肩をすくめたのがユシュネモだった。

 そんな温情よりも自由をくれよというぼやきは、風にさらわれて誰の耳にも届かなかった。

 ちょうどその頃から、ユシュネモは外界…退魔師ではない一般市民が暮らしている世界に興味を抱くようになり、それに勘づいた当主がますます監視を強めたため、ユシュネモは今にも息が詰まりそうな箱に閉じ込められて、身動きが取れなくなってしまった。

 苛立ちに任せて頭の中にある大きな本を開く。

 この本のことをユシュネモは百科事典と呼んでいるが、そんなかわいいものではないということを、自分が置かれた境遇が教えてくれていた。

 普通は頭の中に本など存在しない。想像や妄想ではなく、夢の中にいるような不確かさもない、現実とはまた別世の、もう一つの『部屋』がユシュネモの頭の中にあるのだ。

 事典にはこの世の言葉ではない言語で、ありとあらゆる禁術についての方法が事細かに書かれていた。

 これに手を出したら最後、正統な退魔師としての道を歩めなくなるどころか、人間性も失ってしまうと直感的に分かっているユシュネモは、小さく息をはいて事典をとじ、意識を現実に引き戻した。

 すると庭先のさほど遠くない距離に、黒髪の少年がいることに気づく。


「だれ」


 ユシュネモは音も立てずに屋根から飛び降りると、石を転がすような調子で声をかけた。

 少年は何も答えず、薄紫色の瞳を瞬かせた。

 初めて見る顔だ。こんな容姿端麗な人、一度見たら早々忘れない。

 箱庭には決められた者しかやってこない。なら、こいつはなんだとユシュネモは訝しげな顔を隠しもしない。

 少年は表情のない顔でそれを受け止めるだけで、相変わらず一言も喋らない。

 こんなに無を体現した人間を相手にするのは初めてなせいで、ユシュネモは自分でも知らないうちに足を前に出していた。


「喋るの嫌い?」

「……」

「じゃあ自分の名前が嫌いなの?」


 首を傾げるユシュネモを、少年は何を考えているのか分からない顔で見下ろしていた。


「なんでここに来たの?」

「監視」

「あー、そう」


 あからさまにユシュネモの声音が落胆し、シッシと手を払うような仕草をしてみせた。


「帰ってどうぞ。どうせ今日はもう何もしねえし。…なんだよ、せっかく友達になれるかと思ったのに」 

「友達にはなれない」

「ハッ!」


 ユシュネモは笑った。とても子供がするとは思えない、皮肉に満ちた笑みだった。


「そうかそうか、あんたも最初から俺のことが嫌いなのか。ま、別にいいよ」


 少年の指先が僅かに動いたが、既に彼を視線からはずしてしまっていたユシュネモは気づかなかった。

 次に二人が顔を合わせたのは、それから三日後のことである。

 朝起きて部屋から出た瞬間、見覚えのある秀麗な顔がすぐそこにいたため、ユシュネモは声が喉にはりついて出なくなるくらい驚いた。

 それがなんだか悔しくて、ユシュネモは少年の腰に両腕をまわして抱きついた。

 相手の体がぐっと強張る。してやったと内心であくどく口角をつり上げた。

 嫌いな奴に抱きつかれて、最悪な気分にならない人間はいない。

 清らかな水を飲んだかのようにすっきりとした気分で、ユシュネモは少年から離れた。

 朝食を食べ終わってからも、そうやって少年に嫌がらせを続けているうちに一日が終わり、

これに懲りてもうここへはやって来ないだろうと思ったユシュネモは次の日、何事もなかったかのように自分の元へやってきた少年に、でそうになっていた欠伸も引っ込んでしまった。


「また監視ぃ? 今日は一日座学だから見てても暇なだけだよ」


 だから帰ってくれないかという気持ちが、深い溜め息となって体の外にでた。

 ユシュネモの一日は、当主によって管理されている。それは教育面においても同じだった。

 貴族よりも高貴な存在であるとのたまう彼等は、自分達の手を悪事に染めることを嫌っているため、ユシュネモに対しても危害を加えてくることはないが、どう思っているかは態度で雄弁に語ってくる。

 しかし、煽り返すくらい肝が据わっているユシュネモは、授業中、一時も逸らされることのない視線を浴びても平然としていて、むしろ教えている退魔師の方がやけに咳払いをしたり、意味もなく立ち上がったりと所なさげにしていた。

 普段はユシュネモの粗を探し、重箱の隅をつつこうと目を光らせているくせに、なんて情けないんだと指をさして高笑いしたい気分である。

 この様子から察するに、少年の親は本家の中でも余程偉い立場にいる退魔師なのだろう。または代々仕えている分家の退魔師の誰かだろうか。

 それは教師が少年の名前を呼んだことで確信に変わった。


 ウルトナ。


 ユシュネモにはその名前に心当たりがあった。姿を見たことも声を聞いたこともないが、自分には非常に優秀な兄がいるのだ。

 そうか。こいつか。

 ユシュネモが名前を聞いた時、ウルトナは黙っていたが素性を知った今なら納得できる。

 退魔師が畏怖する禁術の種をこれでもかと抱え、いつ花開くかも分からない異物が弟だなんて、そりゃあ認めたくないだろう。

 ウルトナがユシュネモの監視に選ばれたのは、おそらくユシュネモを絆させるためだ。

 当主はユシュネモが友達を欲しがっていることに気づいていた。

 あの人にとって、子供の中で一番信頼できるのがウルトナだったのだ。

 うまいことユシュネモがウルトナに心を開けば、当主が欲してやまない『才能』を好きなように使えるうえ、ウルトナを人質にとってユシュネモが禁術を使わないよう鍵をかけることもできる。


「どいつもこいつも碌でなしじゃねえか」


 疑心暗鬼になっているユシュネモは、ウルトナが嘘をつくことなく、素直に友達になれないと言ったことに、柔く肌を爪でひっかかれたような違和感を感じたが、それ以上考えるのをやめてしまった。

 授業を聞きながらぬるくなったお茶を飲む。コップについた水滴が、ユシュネモの指を伝って机の上に落ちた。

 その落ちた水滴をじっと見ていたユシュネモは、突然開いていた教材を閉じてしまった。

 眉を寄せた教師が何かを言う前に、教室の外から慌ただしい足音が聞こえてくる。失礼、と息を切らせた声と共に扉が開き、ウルトナよりも少し年上であろう少年が青ざめた顔で教師に何か耳打ちした。

 

「これより自習にする」


 まるで面倒な掃除を頼まれたかのように片手を額に当てた教師は、ユシュネモにそう言い残すと少年と共に教室から出て行ってしまった。

 残されたユシュネモは分厚く重なった教材の山から興味のある物を引っ張りだし、黙々と読み始めた。

 膝を立て、頬杖をつき、お世辞にも行儀が良いとは言えない体勢だが、読み耽る顔は真剣そのもので、時折指で机を叩き音を刻みながらページをめくっている。

 ウルトナはそんなユシュネモの小さな背中を眺めるだけで、互いに言葉を交わすこともない。

 今までの監視役はこういう時、ユシュネモが何をどこまで読んでいるのか把握するため、近くに来て本をのぞき込んできたり、いちいち音読させてはこれについてどう思うかなどと聞いてくる者もいた。

 少しでもズレた思想を言うとすぐに当主に報告され、何百年という歴史のあるツェニルティ家の歴代当主達の手記を何冊も読まされた挙げ句、感想文を書かされるのである。

 どうせ適当なことを書いているのだろうとユシュネモの感想文を読んだ退魔師は、その内容に言葉を失っていた。

 ユシュネモは古代から現代の霊術を組み合わせ、いくつかの新しい霊術を考案していたのだ。そのどれもが実用的で、十分に試す価値のあるものである。

 動揺する退魔師に「俺はこう思いました。貴方の意見はどうですか?」と意地悪く問いかけ、相手の自尊心を嬲ることがユシュネモの嫌がらせのひとつであった。真っ赤に染まった顔とつり上がった眉。己を自制しようと歯を食いしばるあの滑稽な姿に、ざまあみろと嗤うのだ。

 ユシュネモはちらりと後ろを振り返る。

 ああいう他者と関わることをいかにも避けてそうな相手には、逆に積極的に関わりにいった方が嫌がらせになるうえ、周囲にはユシュネモがウルトナに絆されたのではないかと騙すことも出来る。

 当主の思惑を逆手にとり、うまく利用してひと騒動起こしてやろうか。

 そこまで考えたユシュネモだが、やっぱりなしでと教本に顔を突っ伏した。

 ウルトナと交友を深めようとする自分を想像して、なんだか急に面倒になったのである。

 あっちは俺のことが嫌いなのに、なんで俺だけいい顔をしなきゃいけないんだ。


「…」


 ユシュネモは起き上がると綺麗な姿勢のまま直立しているウルトナに声をかけた。


「なあ、あんた、どうせしばらくの間俺の監視役なんだろ? なんて呼べばいい? ウルトナ、兄さん、兄ちゃん、ウル君?」


 ウルトラから凝視され、ユシュネモは寒くもないのに身震いしそうになった。


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