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 山の如し。


 太い首、筋肉隆々の鍛え抜かれた分厚い体、高い身長にナイフのような鋭い眼光。


 山の如し。


 ウルトナと共にやって来た屈強な女性こそ、ツェニルティ家の現当主、サザノンであった。

 ユシュネモを見下ろす碧玉の圧力に頬がヒクつきそうになる。鋼色の髪をきっちりとひとつに結び、グレーと青が入り混じる軍服のような服を着こなしていて、あとはそう、とにかくでかい。とにかく筋肉。騎士よりも騎士らしい。退魔師だけど。

 そういえば、ここに来るまでにすれ違った退魔師達も、彼女みたいな軍服に見える服装をしていたなと今更なことをユシュネモは思った。

 サザノンは上から下まであますことなくユシュネモを刺すように見定めると、腰に手を当てて男性よりは高い、女性としては低い声で喉を震わせた。


「許可しよう」


 ユシュネモは目を丸くした。

 てっきり尋問でもされるだろうと心の準備をしていたのだ。


「ウルトナ」

「是」


 その短いやり取りが意味することを知る前に、サザノンはさっさと部屋を出て行ってしまった。

 たった数秒、顔を合わせただけだというのに、色濃くその存在感と余韻を残す彼女は強烈な印象をユシュネモに植え付けた。


「すげーな、あの人」


 閉められた扉から視線を外せずにいると、ユシュネモの捲れたままのローブの裾をウルトナが直し始めた。ついでに形が崩れた襟元も整えられる。

 その拍子、ウルトナが正面に立ったことでユシュネモの視界は彼でいっぱいになった。

 ハッと我に返る。薄ら開いたままだった口を閉じ、唇を柔く噛んでから、聞きたかったことをたずねた。


「よく分かんないんだけど、俺は波璃鏡をもらえるの?」

「もらえる」

「嬉しいけどさ、あんなのでいいの? 査定とかないんだ?」

「彼女は直感で生きている」

「獣かよ」


 せっかくウルトナが服を整えてくれたにも関わらず、ユシュネモはいそいそと靴を脱ぐと、ソファに仰向けになって寝転がった。


「出来たら教えて」

「うん。待ってて」


 ユシュネモがこんなにも傍若無人に振る舞っているのに、ウルトナはちっとも腹を立てず、心なしか諭すように声をかけてからまた部屋を出て行った。

 どうしてここまでよくしてくれるのか、改めて考えてもユシュネモにはさっぱり分からない。物理的な冷たさを感じそうになるくらい、ウルトナはユシュネモに素っ気なかったし、ユシュネモも煽ったり挑発したりと、どう思い返しても好意的な態度ではなかったはずだ。

 子供の頃の記憶など、途切れ途切れでよくも悪くも覚えていないことの方が多いのだが、思い出せる中であれこれひっくり返してみても、名前を呼ばれたことすら片手におさまるくらいだ。

 元々家の中で孤立していたユシュネモは、成長するにつれて素行の悪さと反骨心に磨きがかかり、更に周りから嫌な顔をされるようになった。家訓を重んじ、当主を遵守する家門において、ユシュネモの天真爛漫さは異質だったのである。 


「…」


 大きく息を吸って目を閉じる。規則正しく上下する胸の動きが、彼が寝入ってしまったことを意味していた。

 ウルトナの部屋は、人の気配や音を断つために、屋敷の中でも奥まった場所に存在している。これは人嫌いな彼のための配慮で、さらりと特別待遇を受けるくらいの立場にウルトナはおり、そんな男が連れてきたユシュネモという客人はまさに青天の霹靂だった。

 屋敷中の退魔師と修練生がざわつき、だがあのウルトナが相手なので事情を聞くに聞けず、普段は凜とした雰囲気に満ちている屋敷内の威厳が、形無しになってしまうような、地に足がつかない状態になっていた。

 そんな時に、緊急性の高い依頼が飛び込んできたらどうなるか。

 日頃より慌ただしくなってしまうのは、火を見るより明らかである。

 ユシュネモはそういう変化に人一倍敏感だった。

 窓から差す陽光のようにそっとウルトナが部屋に戻ってきても、瞬時に目を開けてきゅっと瞳孔を絞り、一気に警戒心を上げた。

 ウルトナもそんなユシュネモの様子に気づき、近づく足が止まる。


「…あー、兄上だ。寝ぼけてた」

「起きた?」

「うん。起きた起きた。なんか騒がしいね」


 くあっと欠伸をしながら髪をかきあげる。ユシュネモの長い黒髪が肩に落ちて背を流れた。


「これ」

「波璃鏡! ありがとう兄上!」


 受け取った波璃鏡の裏面には確かにユシュネモの名前が達筆な字で彫られていた。

 上機嫌になったユシュネモの口は余計目にペラペラと回る。


「で、なんかあった? 手伝って欲しいことがあったら言ってよ、手を貸すから」

「ついてきて」

「え」


 まさか本当に手を貸すことになるとは思っていなかったため、ユシュネモは数秒目を泳がせた。

 今のは社交辞令で、そんな気は一切ないですと誰が見てもわかる態度だが、ウルトナ相手に一度言ったことを撤回するのはなんとなく憚られ、これは波璃鏡を貰ったお礼だと自分に言い聞かせることで、ユシュネモは緩慢な足並みながらもウルトナと共に騒ぎの中心へ向かった。


 阿鼻叫喚とはいかずとも、緊迫した状況だというのがサザノンの背中から伝わってくる。先程別れた時とは一変し、猛禽類のような眼差しで眼下のモノを睨めつけ、足元から周囲一帯に霊力を迸らせている。


「変な臭いがする」


 ユシュネモは唸った。


 退魔師の屋敷には、必ず捕らえた魔族を祓うための清間と呼ばれる部屋がある。捕まえることはできても、退治することが難しい魔族の場合、この部屋で高位の退魔師が魔族を祓ったり、修練生へ手本を示したりとその用途は幅広い。

 今はまさに、祓うために使われていた。

 ジュウジュウと熱した鍋に水を入れたような音を立てながら、泥状の塊が不規則に蠢いている。人間の子供くらいの大きさはあるだろう、まるで何かになり損なった成れの果てみたいだ。


「なんだお前、まだいたのか」


 ユシュネモに気づいたサザノンが振り返って目を細めた。

 失せろとでも言いたげな重々しい圧が両肩を押しやってくるが、気にしていないのかわざとなのか、ユシュネモはひらりと手を振って口角を上げ、サザノンの後ろから部屋の中央にいるモノをまじまじと観察した。


「兄上」

「禁術」

「はーん」


 サザノンは二度、三度頷いたユシュネモを横目で睨めけてから、ドスのきいた声で告げる。


「知っていることがあるなら吐け」

「あんたこえーよ」


 二人のやりとりに、その場にいた他の退魔師が一斉に彼等を見やった。

 こいつが一体何を知っているんだという好奇心ではなく、サザノンに対してその口の利き方は命知らずなのかという、無鉄砲さへの慄きだったのだが、サザノンが黙認したことで顎の力が抜けて口が開き、間抜けな顔になったまま言葉なく驚いている。

 しかし周囲の反応の理由が全く分からないユシュネモは、とりあえず自分は特別扱いをされているようだと偉そうに腕を組んだ。それもこれもウルトナのおかげだろう。偉大な退魔師様々である。この七光りがあれば大抵のことはどうにでもなるような気さえしてくる。


「見た目はおいといて、あれはまだ完全に魔族に堕ちたわけじゃないから、祓うんじゃなくて殺さなきゃいけないと思う」

「それで?」


 ユシュネモはつらつらと続ける。


「剣はだめ。弓も意味なし。水の中に石ころを落とすようなものさ。かと言って燃やすのも論外。馬鹿みたいに再生するぞ」


 さては既に試したのか、サザノンが厄介そうに舌打ちした。


 泥状の肉塊から目を逸らさず、ユシュネモが更に続ける。


「多分だけど、これを現世に繋ぎとめてる奴がいるんじゃないか? そいつとの絆みたいなもんを完全に断ち切らなきゃ」


 喋りながら、一段と視線を研ぎ澄ましてもっと根本に近い部分を探ろうとするが、それ以上は真っ暗闇で何も見えなかった。

 うーん、といかにも困ったという声を出してユシュネモはちらりとサザノンを見上げ、わざとらしく眉を下げて悲しげな表情を作った。


「だめだ。俺にはもう分からない。邪魔しちゃ悪いし、部外者は退散します」

「待て」


 サザノンがユシュネモの首根っこをがしりと掴んだ。


「はいはいはい」


 踵が浮いている。馬鹿力め。


 飛び出そうになった本音を慌てて押さえ込み、詰まる首元を撫でる。


「兄の顔に泥をぬるつもりか、ユシュネモ」


 すぐに波璃鏡のことを言っているのだと分かったユシュネモは、ウルトナからどこまで聞いたんだと問おうとして、しかし声になることはなかった。

 肉塊が突然サザノンに飛びかかってきたのだ。

 咄嗟にサザノンの前に体を滑り込ませて、彼女を庇うように身構えたユシュネモだったが、その前にウルトナが躊躇なく肉塊を蹴り飛ばした。

 どれだけの力を込めたのか、壁に激突した肉塊は四方に破裂して、周囲にいた退魔師が引き攣った悲鳴を上げた。

 ユシュネモも頬が引き攣り、心の中で『きゃー』と棒読みながらも戸惑いを隠せずにいた。

 破裂した肉塊はうぞうぞと引き寄せ合うかのように動いている。


「霊力で抑えられているのに、動きも再生も思ったより速いな」

「抑え込む前に何人か喰っている」

「それはまた」


 ますます面倒くさいと気持ちのまま踵を返そうとしたが、ウルトナの顔を見ると、彼もまたユシュネモのことを見ていた。

 行こう、とも、じゃあな、とも言えずに、ユシュネモは自分でも意味が分からない気まずさに身の居心地を悪くした。

 先に口火をきったのはウルトナだった。


「見てから決めればいいと思った。好きにして」


 彼は暗に、自分の面目を潰してもいいと言っている。

 自尊心の高い退魔師にとって、それは屈辱以外の何物でもないというのに。


「断りづらい!」

「そう」

「俺の良心をいたぶるようなことするな!」

「分かった」


 二人のやり取りにサザノンが半目になった。


「…ウルトナ、お前、望み通りになったからといってはしゃぎすぎだろう」


 サザノンの霊力を柱として張り巡らせた結界の中、ようやく一息つけるとばかりに、同じく霊力を結界に繋げていた退魔師の一人がくたびれた息を吐いた。

 彼は他の退治の依頼を終えたばかりのところを呼ばれたため、休息どころか満足に睡眠もとれていない体に鞭をうっていたのだが、気が緩んだせいでほんの一瞬、霊力と結界の繋がりを切る前に意識が飛びかけてしまった。

 そのせいで結界に歪みが生じる。サザノンが気づいた時にはもう遅く、歪みを利用して肉塊が結界を押し破って、鏡が割れたような音が清間に響き、事態を把握した退魔師達の顔から一斉に血の気が引いた。

 もう一度肉塊とやり合う気力も体力も、霊力だって尽きかけていたのだ。

 まだ余力のあるサザノンとて、同じ強度の結界をはれるかと言われると難しい。

 彼女自身も分かっているからこそ、眉間に刻まれた皺が、事の深刻さを表していた。 

 若い者達が縋るようにウルトナを見ているが、無駄なことだ。そもそも、他者と距離を置きたがるので無理もないが、立場上一番関わる事の多いサザノンには、彼の非道な性格に何度も胸くその悪い思いをしてきたのだ。

 肉塊は見る見るうちに再生し、最初と同じ人の形に変貌した。泥人形のような見た目である。

 我慢出来ずに舌打ちしそうになったサザノンの横から、ユシュネモが前にでた。

 彼の隣にはウルトナがぴったりとついている。

 ユシュネモは結界を無理矢理破いた泥人形に、先程自分が言った言葉を撤回したくなった。

 魔族ではない。完全に魔族ではないが、別に魔族と言いきってもいいくらい堕ちている。

 魂の姿や声がよく聞こえない。かろうじて繋がっている未練じみた絆で、まだ指の先だけ人間でいられている。

 禁術に手を出した者は遅かれ速かれ魔族堕ちするというのに、こんなになってまでまだ人の部分にしがみついているなんて、相当な未練が残っているのだろう。

 しかし、それは喰われた者達も同じである。

 ユシュネモには、泥人形の周りを黒い球体が何個も浮遊しているのが見えていた。


『このまま喰魂系の魔族に喰われるより、恨み辛みをはらしてあの世にいきたいだろ?』


 世界の理から外れた言葉を理解できるのは、同じく理から外れたモノだけだ。

 そしてユシュネモは、外れたモノの中でも特に強い力を持っていた。


『俺が手伝ってやろう』


 ユシュネモの体から墨のように黒い瘴煙が吹き上がる。

 あまりの禍々しさに、近くにいた退魔師が失神した。

 平然と隣に立っているウルトナがおかしいのだが、とりあえずユシュネモは目の前のことに集中することにした。

 ユシュネモの瘴気を取り込んだ死魂は、霧状のふわふわとした球体から硝子玉のような球体に変わり、更に実体化してユシュネモ以外の人間にも視認出来るようになった。

 死魂が泥人形を軸にして時計回りに回転する。

 すると、何かとてつもなく重い負荷を背負わされたかのように泥人形が膝をつき、あっという間にうつ伏せになってそのまま地面に押し潰された。

 硝子玉は消えることなく、潰れた泥人形を見下すかの如く浮いている。

 『力』を『力』で捻じ伏せてみせたユシュネモに、様々な感情を孕んだ視線が突き刺さる。

 完全に異端者を見る目だ。

 慣れているユシュネモはなんてことない顔をしてサザノンと話し始めた。


「根本的な解決にはならないけど、あれなら当面は大丈夫だろ」

「阿呆みたいな禁術を使いやがって。お前が一番厄介じゃないか」


 サザノンの額に薄らと汗が滲んでいた。


「正直、こいつは我々の手に負えない部分も多い」

「…」

「貴様のその顔はなんだ」

「驚きだよ。尊厳と書いて退魔師を読むみたいな言葉が市井にあるくらいなのに、弱音をはくなんて」


 嫌味を言っても、サザノンは至って冷静だった。


「利用するなら、利用されることも受け入れろ」


 ユシュネモの懐で、玻璃鏡が冷気を帯びた気がした。

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