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  青白い炎の頭部にはりつく不気味な白い人面。吸魔鬼と呼ばれる幽体の魔族は幽魔の中でも低能で、その表情は泣いているようにも微笑んでいるようにも見える。

 手足は枯れ木よりも細く不規則に折れていて、だらんと下へ垂れ下がっており、霧のような黒い衣を一枚羽織ってユラリと夜の闇を泳いでいるのだ。

 吸魔鬼を含めた多くの幽魔の弱点は毒であり、その毒は乾燥させ砕いた薬草に香辛料を混ぜることで粉塵として用いられる。これを食わせて討伐するのが一般的なやり方だ。

 しかし彼等は刺激臭に敏感で無臭の毒にしなければならないので、臭い消しの薬草の量を違えると他の用量が如何に正確でも失敗してしまうのである。


「幽魔は魂が剥き出しになった実態のない魔族の総称だ。奴らは霊力を主食としているから、祓うにしてもやり方が他の魔族と少し違う。霊力を強制的に体から引き剥がされて啜られるってことは、間接的に魂を貪られるようなものだからあまり近づきすぎるなよ。奴らのお仲間になっちまうぞ」


 霊力は退魔師であろうとなかろうと、生者であれば誰もが身の内に宿している第二の生命力だ。それを貪られる痛みは想像を絶するものである。

 適当に寝そべりながら頬杖をついているユシュネモとは対照的に、アズラエルとスピネルは真面目な顔で首を縦にふっている。

 彼等は今、川辺近くの薄汚れた祭殿で火にくべた鍋を囲っていた。

  近頃この一帯で幽魔が旅人や商人を襲うようになり、見かねた領主から退治の依頼がユシュネモ達の実家であるツェニルティ家にあったらしいのだが、引き受けた退魔師が自身の身体の都合上断念せざるを得なくなり、その結果ウルトナにまわってきたため、彼の生徒が修行として依頼に臨んでいるのだ。

 修行というには色々教え足りないんじゃないかと思ったユシュネモだが黙っておいた。

 これから知っていけばいいのだ。二人とも頭の回転だって悪くない。たいしてよく知らないユシュネモの話を聞く素直さもある。


「君達は本当にいい子だな」


 まるで桃の皮を丁寧に剥くような優しい声音だったが本人にそのつもりはなく、耳が赤くなった少年達になんだどうしたと目をきょときょとさせていた。


「それで、この鍋はいつまで煮ればいいんですか」


 どことなく誇らしげに胸を張りながらスピネルが疑問をなげると、ユシュネモは器用に片眉を跳ね上げた。


「いつまでって、出汁が肉に染み込むまでだよ。これが俺達の今日の夕餉だぞ」


 粉塵を調合する過程で余った薬草と香辛料、そしてウルトナが常備している干し肉を使ってユシュネモは薬膳料理を作っていた。

 ちなみに少年達の調合の腕は笑って許されるレベルではなかったのだが、一度も声を荒げることなく、むしろ楽しそうにニヤニヤしながら「その調子だ」とユシュネモがおだてるものだから、うっかり調子にのった二人がウルトナの眉間に薄ら刻まれた一筋の皺を見て肝を冷やしたりした。

 そうして世界が夜に浸かると、ようやく起き上がったユシュネモが、粉塵の入った小袋を腰にぶら下げている生徒達の背に手を添えた。


「俺と兄上もついて行くから頑張れ。後ろで見てるぞ」

「まるで参観だね」


 アズラエルが嬉しそうな、それでいて迷惑そうにも見える顔をした。


「それって俺にむかって言ってる? それとも兄上?」

「分かってるくせに意地悪なこと言わないでよ」


 剥き出しになった山肌にぬるい風が吹く。

 ユシュネモは揶揄うのをピタリとやめると腕を組んだ。


「もういる」

「え?」


 すいっと視線を上に向け、二人の意識を誘う。頭上高くにこちらの隙をうかがうように二匹の吸魔鬼がいた。

 ユシュネモはウルトナの腕を掴んで少年達から距離をとると、近くにあった岩陰に身を隠した。

 アズラエルとスピネルが身構えて手に握った粉塵に霊力をこめる。 

 すると吸魔鬼がぐるぐると彼等の周りを旋回し始めた。


「たったあれだけの霊力に奴ら喜んでるぞ。餌に群がる魚みたいだ」


 ユシュネモは見下すように言うと、ぐっと眉間に皺を寄せて強く不快感を露わにした。

 すぐさま気づいたウルトナがさっと体の向きを変えた。


「どうした」

「いや、なんでもない。あいつらの喚きがちょっとうるさいだけ」

「…魔族の言葉が分かるのか」 

「そりゃ分かるよ、同じとこまで堕ちたんだから」


 幽魔や生徒には目もくれず、頭をふって鬱陶しさを振り払おうとするユシュネモをじっと見ていたウルトナは、何を思ったのか急に立ち上がって岩陰から出ようとした。


「こら待て待て、俺らはここで参観するんだって。そう簡単に手を出したら修行にならないでしょ」


 慌ててウルトナの腕を掴んだユシュネモが強引に彼の腰を落とさせた。

 一方、魔族を相手している二人は弓も剣も通用しない状況に少々手こずりつつも、そこそこ上手く立ち回れている。

 何度か幽魔の口に粉塵を放り込めているようで、致死量に至るまでもう一押しといったところか。


「あいつら、幽魔どころか吸魔鬼を退治するの初めて?」

「うん」


 思った通りの答えが返ってきて、ユシュネモはだよなと頷いた。

 明らかな隙を警戒しすぎなうえ、なんというか、段取りが悪い。

 探り探りにしても慎重さが逆にこちらの行動を制限して居て、あれでは自分で自分の首を絞めているようなものだ。いかにウルトナの教育方針が『見て覚えろ』だけの一辺倒なのかが分かる。そういう動き方をしているのだから。座学と実戦の釣り合いがとれていないのだ。


「もったいねえな。俺があの子達に宿題をだしてやろうか」

「何個でも」


 でたらめで言ったつもりが前のめりな答えが返ってきて、ユシュネモは笑いながら唸るという器用なことをするはめになった。

 お前に教育者は難しいとはっきり伝えてやるべきだろうか。いや、やめておこうとユシュネモは喉元で右往左往して行き場のなくなった言葉達を腹の底に閉じ込めた。

 ちょうどその時、幽魔の口に最後の粉塵が放り込められた。

 ユシュネモにしか聞こえない断末魔は、米神が勝手にヒクついてしまうくらいの不協和音で、金属と金属を力づくでぶつかり合わせたようなその音に自分の耳を両手で押さえながら吸魔鬼が祓われるのを待った。

 戻ってきた少年二人はユシュネモに駆け寄ると、今しがた体験した幽魔の退治について矢継ぎ早に質問し始めた。

 それはこう、あれはそう、とひとつひとつに答えていたが、俺じゃなくてこいつに聞けよと顎でウルトナをさすと、アズラエルとスピネルはこぞって萎縮してしまい、ユシュネモに対してよりもずっと丁寧な物言いでウルトナに問いかけたが、彼は「うん」どころか声も発せず頷くか否かという僅かな動作しかしなかった。


「君らの先生っていつもこんな感じなの?」

「うん、でも生徒として認めてもらえてるだけで特別待遇だから」


 アズラエルのしおらしい態度にユシュネモは素っ頓狂な声がでそうになった。というか、顔にはもうでていた。


「あのさ、いくらなんでも恐縮し過ぎじゃない? そりゃ兄上に憧れてるのは分かるけど、かと言って聞きたいことも聞けないようじゃ教えを請うてる意味がないって」


 それに、とつけ加える。


「どうせ聞いてもろくな答えなんてくれないんだから、遠慮するだけ無駄」


 先程の気遣いを彼方へ投げ捨ててしまったのか、歯に衣着せないユシュネモに二の句が継げなくなった少年達は、ひたすら目の前の笑っている男と冷え冷えとした無我の男を見比べることしかできなかった。


「じゃ、またな」

「え?」


 そして唐突に告げられた別れに揃って呆けた顔をした。


「だって君達、これから家に帰って報告書とか書かなきゃじゃん」

「お前も行く」

「は?」


 今度はユシュネモが呆ける番だった。


「お前も行く。私も行く。皆で行く」

「いや、いやいや。兄上、俺がどれだけあの家が嫌いか散々見てきたでしょ。行かねえよ。なに? 嫌がらせ?」

「当時を知る退魔師は隠居した」

「……」


 頭が痛くなってきたユシュネモは額に手を当てて俯いてしまった。

 短くも長くもない沈黙ののち、四方から浴びる視線を蹴散らすように顔をあげる。


「つまり、俺が死んでいる間に色々あったわけだ」

「うん」

「あんたみたいに長生きしてる退魔師は隠居して、それ以外は死んで家の中がリニューアルされた」

「うん」

「当主は?」

「殴った時に隠居した」

「…じゃあ今の当主も俺が知らない奴ってことか」

「そう」


 ユシュネモは顎に手を添えると、スッと目を細めて続きを促すようにウルトナを見続けたが、彼はそれ以上は何も言わず、ただ深々と雪がふる夜の如く静かな目で見つめ返してくるだけだった。


「必要な物を貰いに行くだけだ。長居はしねえから」

「分かった」


 ツェニルティ家の拠点は、北方の山奥に位置している。

 荘厳な屋敷の近くには滝壺があり、年中濃い霧に囲まれている山は人の世から一線を引いているようで、迂闊に足を踏み入れるには腰が引けるような重々しい雰囲気がある。

 まるで雲の中に建てられているかのようだ。

 そんな屋敷では夜明け前の薄暗がりの頃から未明まで、粛然と退魔師とその卵達が学問や剣技の修練に励んでいるため、常に気を尖らせていた。

 連中は居心地がいいのかもしれないが、この、息の詰まるような場所に何度ユシュネモの気が滅入ったことか。

 とてつもなく渋いお茶を飲んだような顔をしながら、正門に足を踏み入れる。こんなに嫌々ながらもユシュネモが来たのには理由がある。それは当主のみが配ることができる玻璃鏡を手にするためだ。

 その小さな鏡は全国各地どこにでも行けるようになる、退魔師専用の特別通行許可証みたいなもので、あれば大変便利で都合がいいのである。ユシュネモひとりでは到底無理だろうが、なにせ今はウルトナという最大の手札がある。今後のことを考えると手にした方がいい品物なため、同行することにしたのだ。この鏡は本人が持っていなければ意味がなく、ウルトナの波璃鏡はウルトナしか使えない仕様で、ユシュネモにもユシュネモだけの波璃鏡が必要だ。かつては持っていたのだが、失ってしまったので再発行してくれと現当主に頼まなければならない。

 そこでウルトナの出番なのである。

 アズラエルとスピネルとは来て早々に別れ、今はウルトナと二人、屋敷に続く道のりを歩いているのだが、道中ですれ違う退魔師がこぞって仰天して慌ただしく道をあけるものだから、ユシュネモは虎の威を借る狐のような気分になった。

 そして皆等しくあれは誰だとユシュネモに疑念の視線をむけるのだ。

 本当に自分のことを知る人間がいないんだなと、ユシュネモの硬くなった頬からゆっくりと力が抜けた。


「で、最初は何処に行くんだ?」

「部屋」

「そりゃそうだろ」


 聞きたいのはそういうことじゃないのだが、牢屋と言われなかったことに無意識にホッと胸を撫で下ろすと、ユシュネモは屋敷の中を見渡して、「へえ」と情のない声をだした。

 見覚えのあるものが何一つない。懐かしいさを感じる隙間などないくらい、何もかも造りが変わっている。

 昔は華美にならない程度の優雅さもあったが、今は氷山みたいな、どっしりと構えた造りで、優雅さよりも堅固で堅実な屋敷になっている。

 黒い天然石を敷き詰められた床も、かつては大理石だったなと雑談にもならないことを考えながら、ウルトナの後をついて歩き、やがて彼がひとつの部屋の前で立ち止まると、ユシュネモはほんの少し顎を引いた。

 ノックもせずウルトナが扉を引いて開ける。

 こいつって以外と礼儀知らずだよなと思っているユシュネモの手首を掴み、中に入るよう誘導される。

 そこは大きな窓が特徴的な執務室で、机に積み上げられた書類は分厚く、書きかけの書類の上に羽根ペンが転がっている。

 ソファすら置かれていないというのに、本棚はずらりと並ぶくらい数が多く、どうにも来客をもてなすような部屋には見えない。

 ユシュネモは無造作に書類を手に取って厚かましくも読み始めた。

 内容は退魔師の仕事に関するもので、遠方の地域からの依頼書もある。読んだ痕跡はあるのに私印も署名もされていないということは、これはまだ検討中の件なのだろうか。


「…うわー」


 喰人虫系の魔族の名前がずらりと並んでいる。

 なるほど。人材を選ぶわけだ。


「興味ある?」

「あるって言ったら俺にやらせてくれんの?」

「うん」


 ユシュネモは読み終えた書類をウルトナの目の前でピラピラとふった。


「これは若手にとっていい経験になる依頼だから、そっちに任せた方がいい」

「そうしよう」


 そう言うとウルトナはさらに奥の部屋へとユシュネモを案内した。

 そこは寝具やソファ、クローゼットとローテーブルなどしかない殺風景な部屋だった。


「ここって兄上の部屋?」

「うん」

「どうりで」


 ユシュネモはソファに腰かけず、部屋をグルグルと落ち着かない犬のように歩き回り、何周目になろうかという時、平素と変わらない調子でウルトナに求めた。


「俺、波璃鏡が欲しい」

「少し待ってて」


 こちらが拍子抜けするほどあっさりした返事を残し、ウルトナは部屋を出てどこかに行ってしまった。

 ドサッと乱暴な音を立ててソファに座る。

 足を伸ばし、力を抜けばぐてんぐてんになった体がずり落ちてローブの裾がめくれ上がった。

 静かな部屋だ。あまり音を通さない仕組みになっているのだろうか。

 ユシュネモは賑やかな場所が好きだが、こういう何もない場所でじっと過ごすのも同じくらい好んでいた。

 月と星を眺めながら夜風を浴びて日の出を待ったり、酒場の喧騒が届く場所で胡座をかいて居眠りをし、目を覚ました時には一夜が明けているというような、そんな風流のないことも好きなのである。

 しかし口にするものとなるとまた別で、ユシュネモは紅茶の類いに目がなかった。特にミルクティー。あれは美味い。

 思い出すと口惜しくなってくる。ウルトナに頼んだら一杯くらい飲めないだろうか。

 肘掛けに指を立ててコツコツと叩く。

 やがて何かを思案するように目を伏せると、その体勢のまま動かなくなってしまった。

 眉間に少しずつ皺が寄って、小難しい顔ができあがる。

 結局、ウルトナが戻ってくるまで、ユシュネモはその顔のままだった。

 

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