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 これは昔からなのだが、ユシュネモは食べることが大層好きだった。

 好みは甘い物から辛いものまで幅広いが、町の市場で興味が引かれた食べ物を人の金で手に入れると、頬張りながら満面の笑みをこぼしたり、珍妙に眉根を寄せて口の動きを止めてしまったりと素直な反応をみせた。

 あまりにも好みに反する味は適当な理由をつけてウルトナに差し出しているのだが、ウルトナは何も言わずに受け取ると綺麗に平らげてしまううえに、塵を返すかわりに金銭をユシュネモに渡したりと甲斐甲斐しく世話まで焼いているのである。なんとなく目元が柔く細まっているようないないような。楽しんでいるのだろうか。いるのだろうと都合良く解釈したユシュネモに遠慮の素振りはない。

 兄の豹変ぶりに困惑していたユシュネモはすっかり調子を取り戻していた。


「兄上っていつから人の心が芽生えたの? もっと冷たかったじゃん」


 不躾な質問にひとつ瞬きしてからウルトナは答えた。


「雨の日」

「だからいつだよ、結局分かんねえって」


 ユシュネモの足はふらふらと酔っ払いのように一貫性がなく動きが定まらない。そんな彼の一挙一足をウルトナの目が追っていた。


 ユシュネモの関心は食べ物だけに飽き足らず、ウルトナが「石」やら「赤い花」やら真面目に答えてくれるのをゲラゲラ笑っており、気づけば町並みから逸れた丘の上までやってきていた。


「こうして見ると賑やかさのわりに小さい町だな」

「そうか」

「商人が多いから物流もよくて、だから繁盛してるんだよ」

「うん」

「あの赤くてつぶつぶした果物どこの国のやつかな。凄く美味しかった。俺はあれが気に入った」

「うん」

「あんた、家に帰らなくていいの?」

「いい」


 ユシュネモは片膝を立てて座ると、ふうんと気の抜けた声をだした。


「あのくそ親父が兄上をこき使わずに自由にさせてるなんて信じられない」

「殴って黙らせた」

「…なんて?」

「退魔師としての仕事はしている。問題ない」

「あ、うん…うん?」


 ユシュネモが知る限り、ウルトナは淡々と与えられた仕事をこなす人間で、自分と違って文句も反抗もしなければ物静かという、家門の中でも職人気質な性分であった。

 そんな彼に殴られるなんて、心臓が縮むくらい驚いたんじゃないだろうか。

 というより、ウルトナでも強く感情が揺さぶられることがあるんだなとユシュネモは妙に関心してしまった。

 藪を突いて蛇がでてきたら面倒なので聞くつもりはないが、余程癪にさわることを言われたに違いない。


 ユシュネモは塵となった串焼きの串にふっと息を吹きかけた。

 すると瞬く間に木製の串が何枚かの木の葉に変わり、左右に揺れながら地面へと落ちていく。

 生前、あれほど禁術を使わないよう監視をしてきたウルトナは、ちらりと視線を寄越しただけで何も言わない。

 静かにユシュネモの隣に腰をおろすと、地に重なっていた木の葉をそっと脇に寄せた。

 互いに無言のまま、薫風が二人の間をすり抜けていく。

 草花が擦れ合う音に混じって町の喧騒も耳を掠めた。

 ふと、心地よさの中に不釣り合いな音を拾い、ユシュネモの眉がピクリと動いた。それは甲高い女性の悲鳴で、あまりよくないことが起こっていることを示唆していた。

 次いで群衆の悲鳴と怒号がはっきりと聞こえ、今度こそユシュネモは立ち上がった。


「行こう」

「うん」


 二人が町に戻ると、そこはまさに阿鼻叫喚だった。

 首のない死体が町の人々を襲っていたのだ。不自然に折れた足の膝から皮膚を突き破り、束になって蠢いているのは子供の胴体よりも太い植物の蔦だった。

 逃げ惑う人の腹を貫き、根こそぎ生命力を奪っている。奪われた人は枯れ木よりも干しからびた死体となり乱暴に転がされ、その衝撃でバラバラに砕けてしまっていた。

 ひと目で魔族の見当がついたユシュネモは、何事かを呟いた。それは人の言葉とは言い難い響きを含んでいて、理解できる言語の範疇を超えていた。

 魂を直接逆撫でされるような感覚に魔族の動きが止まり、怯えたように首のない体を左右にふっている。

 その隙をついたのはユシュネモでもウルトナでもなく、町人を避難させていた少年達だった。 

 立ち振る舞いからして、退魔師を目指している何処ぞの家門の子供達だろう。言わば修行中の身であり、こうして現場で実戦経験を積むことで一人前の退魔師へと成長していくための実力を磨いていくのだ。 

 通常なら保護者というか、師だったり先生が近くにいて彼等を見守っている筈なのだがとユシュネモは首を傾げた。傾げながら、くっと口角を上げた。

 紺色のローブを翻しながら魔族の前に躍りでた彼等は、互いのチャコールグレーの髪を引っ張りながら言い合いをしていたのだ。


「はやく、はやくその気色悪いやつにとどめをさして! おれはもう無理! 見てよこの鳥肌、凄いよほら!」

「分かったから黙ってね。僕今忙しいの」


 白味がかった優しい緑色の瞳に浮かぶ涙を拭う泣きっ面の少年と、柔やかに笑いながらやや緑みのある明るい青色の瞳をギラギラさせて舌打ちしている少年。歳は十四、五歳ほどか。秀麗な顔立ちにほんのり似通った面影がある。兄弟、とまではいかないが、血縁者なのだろう。


「こんな時に感情を剥き出しにして言い合えるなんて肝が据わってるじゃん。将来有望だよ」


 面白半分、揶揄い半分、適当な冗談を口にしながらユシュネモは逃げ遅れた人がいないか目を走らせていた。やがて一通り確認し終えると、魔族と対峙している少年達を観察しだした。必要以上に助太刀をする気はない。他の家の教育方針にほいほい首を突っ込む趣味はユシュネモにはないのだ。


「兄上はどう思う?」

「お前がそう感じるなら、そうなのだろう」


 腕を組もうとして失敗したユシュネモは、頭の後ろに両手を当ててしっかりと指を組み直した。


「どこの生徒だろう。あんな風に生き生きとした子供に指導できるなんて、そいつは恵まれてるな」


 これもただの漫言放語に過ぎず、ユシュネモはちっとも本気で言っていないのだが、ウルトナは思案するように僅かに目を伏せた。しかしそれはほんの一瞬で、ユシュネモが気づくことはなかった。

 少年達は慄き動きが鈍くなった魔族を囲み、霊剣と霊弓を駆使して四方八方から一閃し射貫いては、鞭のように降りかかってくる太い蔦を避けていた。

 この魔族は見ての通り植物型で、死体に種を植え付け寄生する生態を持つ。加えて肉食のため人や馬などの家畜を襲って成長するのだ。

 魔族は基本的に夜行性で、この人食い植物も例外ではないのだが、わざわざ住み処の森から離れて昼間だというのに人を襲うとは、それだけ飢えに苦しんでいたのだろう。

 少年達はしきりに心臓部分を狙っているが、魔族の抵抗もありなかなか思うようにいかないようで、器用に剣を弾かれてしまっている。

 実戦においての立ち振る舞いはまだまだ不十分なことが多そうだとユシュネモが勝手に先生気取りになってると、泣きっ面だった少年が押し負けそうになっている雰囲気を一閃するかの如く叫んだ。


「どけ! アズラエル!」


 名前を呼ばれた少年はバッとふり向き、猫のように目を丸くした。

 ついさっきまで泣きそうになっていたとは思えないほど凛々しい顔つきで、退魔師の専売特許でもある霊剣を彼はあろうことか魔物に投げようとしていたのだ。

 アズラエルは直ぐに我に返ると、魔族の注意を霊剣から逸らすためにわざと相手の頭上高く飛んで霊弓を構えた。

 アズラエルの思惑通り魔族の意識は完全に彼に集中し、蔦が動いた。

 その開けた道を勢いがついた霊剣が真っ直ぐに進み、魔族の胸を貫いた。

 鍔までぐっぷり刺さった霊剣の切っ先に、猫の頭ほどの種が刺さっている。おおよそ植物の種とは思えない毒々しい見た目の種に、霊剣を投げた少年が頬を引き攣らせた。

  

「ほら、スピネル」


 魔族が灰になって消滅するのを最後まで見てから、アズラエルが種が刺さったままの霊剣をスピネルに返す。嫌味な奴だとスピネルが悪態つく前に、種もボロボロと崩れて消えてしまった。

 少年達の肩から力が抜け、周囲に目をやる余裕ができると、寸秒でウルトナとユシュネモの存在に気付いたようだ。

 ユシュネモが賞賛の言葉をおくる前に彼等の歓喜の声が響いた。


「先生!」


 まさか、とユシュネモは隣にいる男を見上げる。


「兄上の生徒かよ!」

「うん」

「人にものを教えられたのか…」

「自分で考えて行動するように言った」

「それ放任してるだけじゃん」


 親しげに会話する二人にありありと困惑している少年達に向き直ると、ユシュネモはウルトナの肩に肘をのせて寄りかかりながらひらりと手をふって笑った。


「どーも」

「はじめまして」

「……こんにちは」


 続けて言い放つ。


「格好よかった」

「あ、ありがとうございます。どちら様で…?」


 飾り気のない褒め言葉は相手の心に擽ったさをあたえたのか、ほんのり頬を紅く染めながらスピネルが問うてくる。


「ユシュネモ」


 少年達は揃ってはぁ、とため息ともつかない返事をした。

 聞きたいのはユシュネモの名前ではなくウルトナとの関係性だったようで、湯気の立たないぬるいスープを喉に流し込んだような表情をしている。

 もっと違う反応をされると思っていたユシュネモは目をぱちくりさせた。正直、名乗った途端に指をさされ今すぐにでも祓ってやるくらいのことを言われる気持ちでいたのだ。


「こいつの弟だよ」


 気が変わってすんなり告げたユシュネモは、よりウルトナに体重をのせて寄りかかった。


「こいつ?! こいつ今、先生のことをこいつって言ったぞ!」

「いやお前だって…弟?! 弟だって言ったよ!」


 互いの胸倉を掴んでぐらぐら揺さぶり合う様に肩を震わせていたユシュネモだったが、聞こえてきた会話ではっと息を呑んだ。


「でも先生の弟って二百年前に死んだはずじゃ…」

「なんだって?」


 三人の視線が一気にユシュネモに集まった。


「兄上、本当?」

「本当」


 霊力を高め続けた退魔師の中には、不老になる者もいる。しかしその極地まで辿り着くほど霊力を高めるのは相当根気がいることで、努力だけではどうにもならない領域でもある。

 ユシュネモは、自分が死んでから二百年経っていたことよりも、ウルトナが二百年生きていることに驚いていた。

 

「どうりで性格がまるくなったわけだ」

「気にするのそこなんだ…」


 アズラエルの呟きで微妙な空気になりかけた時、ユシュネモがすっと姿勢を正した。


「そろそろ衛兵が来る。面倒だから俺はもう行く」

「私も行く」

「…うん。俺らはもう行くよ」


 わざわざ言い直すとウルトナが満足そうに頷いた。

 少年達は不気味なものを見たと言わんばかりに両目を執拗に擦ってからおずおずと手をあげた。

 

「おれ達もご一緒していいですか? ここに来たのはたまたまで、今はまだ他のことをしている最中なんです。巻き込まれると支障をきたすというか」

「どうぞ」


 スピネルはそれなりに面の皮が厚いようだ。嫌いじゃない。

 やや語尾を上げながらユシュネモは快諾した。ウルトナもまさか自分の生徒を拒んだりはしないだろう。

 老いを凌駕するほどの霊力を身に秘めている退魔師は数えるほどに少なく、彼等の領域まで辿り着くと自由自在に霊力の性質を変化させることができる。

 禁術しか使えないユシュネモはさておき、そんなほんの一握りの退魔師筆頭であるウルトナは他の退魔師にとって雲の上の存在で、彼の生徒である二人もきっといい修練生なのだろう。


「歳はいくつ?」

「十九」

「なんて呼べばいい?」

「色男でもユシュネモでも兄さんでもお好きに」

「じゃあ兄さんで!」

「おいおい、君ってば馴れ馴れしい子だな。ハハッ」


 ユシュネモは短く笑うとアズラエルの頭を撫で回して直ぐに手を離した。

 ユシュネモにとって特に意味のない行為だったが、撫でられたアズラエルはあんたの方が馴れ馴れしいと不意をつかれたことに口を尖らせた。

 スピネルがニヤニヤしながらアズラエルを揶揄おうとするが、その前に気づいたアズラエルに強く睨み付けられて口笛を吹きながら明後日の方を向いた。


 ミントグリーンの瞳をした面の皮が厚いお調子者がスピネル。

 シアン色の瞳でクールぶった馴れ馴れしい子がアズラエル。

 ユシュネモは心の中で指さししながら二人のことを覚えた。

 

 彼等は別の魔族を祓う仕事を受けていて、それに必要な『粉塵』の素材を買い集めるためにあの町に立ち寄っていたらしい。

 ローブの内ポケットからどっさりと薬草やら香辛料を取り出した少年達の顔には暗雲が立ちこめており、気づいたユシュネモは少し考える素振りをしてから口を開いた。


「随分大量に買ったんだな。祓わなきゃいけない魔族が多いのか」


 粉塵は幽魔と呼ばれる種類の魔族を祓うために使われる道具で、二人が手にしている薬草からその幽魔が吸魔鬼であることを確信したユシュネモは、数匹なら容易くとも大量発生されるとそれなりに厄介な魔族であるため、アズラエルとスピネルだけで退治するのは危険だろうと徐々に目つきを鋭くさせた。

 しかし、スピネルが首を横にふって告げる。


「違うんです。祓う魔族って幽魔…吸魔鬼なんですが、それは二匹だけなんです。ただ、おれ達の調合の腕が未熟すぎて、粉塵を作ろうとしても失敗ばかりで作れないんです」


 不器用ってこういう時面倒だよなと頷き合う少年達を前にユシュネモは言葉を失うと、隣を歩いていたウルトナの肩をバンバン叩きながら可笑しそうに笑いはじめた。


「兄上! 作り方教えてやれよ」

「教えた」

「どんな風に?」

「切って砕いて煮て混ぜて乾かす」

「説明下手くそ! この子達のせいじゃなくて、兄上のせいだろ、こんなの」


 腹を震わせながら途切れ途切れにユシュネモがウルトナを揶揄うと、急に背筋を伸ばして指先までピンと神経を張りつめさせた生徒達が数歩後ろに下がって距離をとった。

 ウルトナはユシュネモの好きにさせた後、全く不快感を滲ませていない声音で至って静かに訊いた。


「お前は得意なの?」

「しーらね、人に教えたことなんかねぇもん」

「そこに生徒が二人いる。やってみるといい」

「なに言ってんの?」


 どういうつもりなのか分からないが、流石にそれはないだろうとユシュネモが断ろうとすると横から強い視線を感じた。

 件の生徒二人が藁にも縋るような瞳でユシュネモを見ていたのだ。

 助けを求める無言の訴えに、笑うに笑えなくなってしまったユシュネモは空を見上げた。


 



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