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ドロドロした眠りの底から乱暴な力で無理矢理叩き起こされる。
うめき声が漏れるほどの頭痛に、さては後頭部を殴られたのかと意識を失う前の記憶を呼び起こしたユシュネモは、突きつけられた現実に愕然とした。
殴られたどころか、自分は死んだのだ。
腹這いに倒れていた状態から両手を地面について身を起こす。
夜をそのまま塗り込んだような長い黒髪が顔を覆った。
機能し始めた五感が言葉を拾う。
そのどれもがユシュネモへの警戒に溢れていた。
勝手に蘇らせておいて随分なことだと可笑しくなる。
笑おうとして、しかしそれが出来ない。
まるで首裏から全ての神経を馬の手綱のように引っ張られているような感覚に、すらりとした白い手が髪をかき分けうなじを探る。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
連なった鎖が頸椎に沿って垂れている。埋め込まれた先頭部分の盛りあがった皮膚を二度撫でると、ユシュネモは一気にそれを引き抜いた。
曇天から晴天に変わるように頭痛が治まる。手綱が千切れて体の主導権が本来の持ち主のところへ戻ってきた。
頭を軽く振りながらゆっくりと立ち上がったユシュネモは、視界を遮断する髪をかき上げて薄紫色の瞳に世界をうつした。
誰かの息を呑む音が聞こえる。
周囲にいる十数人の退魔師が、言葉も忘れてユシュネモの動きに全神経を集中させていた。
滅多に見ないほど美麗なユシュネモの顔貌がキョトンとする。破裂しそうな風船のように膨れ上がった緊張感が一帯を覆っているのに、まるっきり他人事だった。
その風船を無造作に割ろうとしたユシュネモよりはやく、破り捨てた男がいた。
「ユシュネモ」
水面を揺蕩う葉よりも静かで、雨風に耐えた岩石より重く圧のある声が耳朶に届く。
その瞬間、ユシュネモは全力で走り出していた。
脱兎の如く逃げたのだ。
流れる滝。生い茂る森。彼方に見える巨大な正門。
目にもとまらぬ速さで走りながら、ここが見知った土地であることに気づいた。
生前、仲が良いとはお世辞も言えない兄弟関係だった兄から名前を呼ばれ、思わず足が動いてしまったユシュネモは内心で舌をだした。
死者を蘇らせることは禁術だ。そして禁術を使う奴にろくなのはいない。
よりによってユシュネモを蘇らせるなんて術者は一体何を考えていたのか、懇々と問い詰めたくなる。
しかしそれが不可能であることをユシュネモは既に知っていた。
何故なら、この禁術は蘇らせたい人間の墓土と霊骨、そして術者本人の魂を贄にするからだ。
術者は自分の心臓を自分で抉り出す必要があるため、数百年に一人いるかいないかという、禁術の中でも使用者が限りなく少ないうちのひとつである故に、歴史的資料もほんの僅かしか存在しない。
捕まったら呈のいい実験体にされるのが目に見えている。
ましてや、自分は大層な嫌われ者としてつまはじきにされていただけでなく、一国を滅ぼした大罪人なのだ。味方などないに等しいことは、ユシュネモ自身がよく分かっていた。
走って走って、崖を飛び越えて川を渡る。
もうすぐ平原というところで足を止めると、ユシュネモは近くの木の上に飛び乗って身を潜めた。
それほど時間が経たないうちに、先の退魔師達がやってくる。手分けしてユシュネモを探しているが何処にも姿が見当たらず、悪態を吐きながら、どこか慌てた様子で来た道を帰って行った。
「なーにがどうなってこうなってんだか」
頭の後ろに手をまわして木に寄りかかり、この先のことを考える。
蘇らせた術者の目的も理由も不明だが、せっかくまた今世の空気を吸えたのだ。
気儘に謳歌して毎日美味いご飯を食べて、静かな辺境の地でだらだら暮らしていくのも悪くない。
亀のようにゆっくり流れる雲をぼーっと見つめているうちに、うとうとと瞼が落ちてくる。
慌てふためいたところで事のあれそれはどうにもならないと、生前に嫌というほど学んでいた。
まずはひと眠りして、それから全てを考えよう。
欠伸をしようとして、ごきゅりと変な音が喉から漏れた。動揺と共に眠気も一緒に飲み込んでしまっていた。
「あー、と。兄上じゃん。久しぶり」
喉をさすりながら片手でヒラヒラと挨拶をする。
ユシュネモが背を預けている木のすぐ傍に、こちらを見上げている兄──ウルトナがいた。
合わせ目のある服に灰色のローブ。
ユシュネモと同じ薄紫色の瞳は冬のような冷気を纏っていて、光沢のない黒髪が首根で揺れている。その少し長い襟足を見つめることで微妙に視線を合わせないようにしていた弟の名前をウルトナが呼ぶ。
「ユシュネモ」
「うん」
「…」
「…」
相変わらず無口無表情で何を考えているのか分からない。なんなら、より無口に拍車がかかっている気がする。
大人になったことで眉目秀麗な顔立ちから人らしい温度感が抜け、ユシュネモが言うのも変だが死人のようでぞっとする。
せっかく誰もがふり向き見惚れるくらいの容姿なのに、漂う雰囲気が極寒過ぎて近寄りがたいのが本当に勿体ない。
「憎たらしい奴が蘇ってさぞ不愉快だろうな。俺のことを殺しに来たのか?」
「違う」
ユシュネモは片眉をひょいと上げた。わざと煽るような言葉を選んだのに、ウルトナの反応が思っていたのと違ったのだ。
「じゃあなんだ。実験体にするために捕まえに来たとか?」
「違う」
ユシュネモは少しの間悩んだ後、ウルトナの前に降り立った。
以前よりも身長が伸びた兄は大人になっていて、視線を合わせるためには首を上に向けなければならず、嫌でも過ぎた年月の長さを思い知らされたユシュネモは、急に襲いかかってきた胸のつっかえを払うように顔にかかる髪を除けた。
「行き先は」
「人の気がないとこならどこでも。なんなら世界一周とかいいかもな」
「一緒に行く」
「は?」
「お前と一緒に行く」
呆然とするユシュネモに、ウルトナはもう一度繰り返し言った。
はっと我に返ったユシュネモは、ウルトナのまわりをぐるりと一周してからまじまじと彼を観察したが、ウルトナは顔色どころか眉のひとつも動かさずにユシュネモがすることを見守っている。
そのどれもがユシュネモの知る兄の姿とかけ離れていて、困惑のままユシュネモは首を傾げた。
「あんた、俺のこと嫌いじゃん。どういう心境の変化?」
「嫌いじゃない」
「あ?」
「ユシュネモは私のこと、嫌い?」
「別に」
「よかった」
ユシュネモは思わず頭を抱えた。
「え、誰? ほんとにこれ兄上?」
「うん」
ウルトナの素直さにすっかり毒気が抜けてしまったユシュネモは、彼の腕を引っ掴んで歩きだした。
「とりあえず宿を探してご飯を食べて寝て明日なんかする」
「うん」
「全部あんたの奢りだからな」
「うん」
「…いいのかよ、財布扱いで」
「財布は肌身離さず持つ物だから」
ユシュネモの目が点になった。
それでも歩き続けて平原を抜けると、日が暮れる前に整備された街道へでた。途中から簡素な馬車に乗って移動する。出で立ちや独特の雰囲気から、ユシュネモ達が退魔師であると気づいた御者の対応が丁寧になった。
退魔師達は俗世から切り離された場所で暮らしているので、仕事以外で領地から出てくることがあまりなく、政治に関わることを嫌ってもいる。
魔物を退けられる術を磨いて人間離れした能力を得た彼等は、多くの者から羨望の眼差しで見られていた。
なりたい職業で長年上位に君臨し、もし自分に霊力があったらと、酒のつまみに話題にだす大人が必ずいるくらいだった。
この御者も、そのうちのひとりなのだろう。
口八丁で喋り続ける御者に、にっこり笑いながらユシュネモが相槌を打っていると、更に気分のよくなった御者が旧友のような気安さで話しかけてくるようになった。
それでもウルトナの方には視線すら向けず、下手に触れることすら恐ろしいと思っているのが分かりやすく伝わってきて、可笑しくなったユシュネモは忍び笑いをこぼした。
街の入り口で降りると金銭を渡しながら御者に礼を言う。
既に薄暗くなってきていて街灯がポツポツと光っていた。
賑わう出店を眺めながらユシュネモは宿を探し、そこそこ値は張るが二部屋泊まれる場所を見つけた。しかも三食付きだ。迷うことなくそこに決めると、ユシュネモが促さずとも隣でじっとしていたウルトナが提示された金額を払った。
「あんたはどっちの部屋がいい?」
「どちらでも」
「じゃあ広いほうに行きな」
表情は全く変わらずともウルトナが躊躇しているのが雰囲気で感じられ、ユシュネモは軽やかに笑ったあと揶揄いの言葉をつけた。
「夜中にこわくなって俺の部屋に来たりするなよ」
「しない」
「じゃ、また明日」
ウルトナは少し考えるようにユシュネモを見て、彼に逃げる意志も素振りもないことを確認すると静かに自分の部屋に入っていった。
それを見届けてからユシュネモも部屋に入る。
宿に泊まってご飯を食べて寝るという目的を全て果たしたユシュネモは、翌朝の朝食が思ったより量が多かったことでウルトナの部屋を訪ねる羽目になった。
既に身なりを整えていたウルトナは、ユシュネモから差し出された小麦のパンを食べながら部屋のあちこちを物色している弟を視線で追っていた。
「兄上食べ終わった?」
「うん」
「俺市場に行ってくる、窓から見てたけど面白そうだった」
「私も行く」
「けどあんた人混み嫌いじゃん。いいよ俺に合わせなくて。好きにしてなよ、別に俺逃げねえし」
「私も行く」
物色し終えたユシュネモが立ち上がると、すぐ背後にウルトナがいていつでもいいぞと言わんばかりに懐にしまってある部屋の鍵を取り出していた。
「まだ部屋着だから着替えなきゃ…」
呆然として弱々しくなってしまったユシュネモの呟きもしっかり聞きとったウルトナが、タンスを開けて自身の物を渡してきた。
合わせ目のある紺色の服に、光沢を放つ白いローブ。
和と洋の装飾が施されていて一目で上物だと分かるが、ユシュネモが着ると指先まで袖口に覆われてしまうため少々不格好であった。
そのまま外にでると、活気のある街の様子にユシュネモが目を輝かせた。
あれななに、これはなにと、随時ウルトナに問うてくる姿は在りし日の少年心を取り戻したように生き生きとしていて、ユシュネモは目を細めているウルトナの手を引っ張った。




