12.引きこもりはコソコソする(裏):2120年3月3日
聡子には、時々驚かされる。
暗くした部屋の中で寝転がったまま、2月29日のタイムスタンプがある聡子のメッセージを、わたしは読み返す。
『聡子:ゲームって名目以外で行くとなると月って敷居が高いんだよ。月は科学者や技術者の聖地みたいになってて。お門違いっていうかさ。一般向けの見学コースはあるんだけど、ああいうのも、真面目な学生さん向けだし。わたしみたいな、ドラマ好きが興味本位で行くのは、なんか気がひけるんだよ。でも、わたしのカンだけど、ワクレンは月に何か仕掛けてから死んでる。だって、ワクレンが自分の目的を、人類を星へ導く未来を預けられる人間って、誰もいなかったから。彼の子供は父親が手にした金と権力の維持にしか興味がなかった。ワクレンが本当の意味で自分の力と目的を継承したいと思っていた可能性のあるロジャース大統領は暗殺された。ワクレンだって、いつまで生きていられるかわからない。抗老化剤を使ったところで人はいつか死ぬし、死なないなら死なないで、金と権力を握り続けるワクレンを彼の息子や部下がいつまでも許容してくれるはずがないじゃん。永遠にナンバー2なんだよ。いつか排除される。だからその前に、星というゴールへ届かせるための仕掛けを月にしてあるはず』
見てきたようなウソ、という言葉がある。
聡子のメッセージが、まさにそれだ。ウソなのに堂々としている。
聡子はこれまで黄家はおろか、どの超資本家階級にも会ったことはない。歴史ドラマや伝記というフィクションを苗床にして、自分の妄想を育てているだけだ。
なのに、彼女の妄想には事実の積み重ねが作る迷路を見通す指向性がある。
「曽祖父さまの死は事故死で間違いないところですが……そうですね。あれだけ用意周到な曽祖父さまにしては、死後はかなりごたつきました」
そのことを、なぜ黄家の誰も怪しく思わなかったのか。
一族の誰にとっても曽祖父の死が、あまりに突然であったからだ。
突然で、そして都合がよかった。
2087年。事故死した曽祖父は、75才だった。抗老化剤で若返った曽祖父はあと30年から40年は現役であったろう。一族の上にいる者ほど、そのことを強く意識していたはずだ。
祖父と父の関係が、黄家封神前にはぎくしゃくしていたのも同じ理由だ。いや、黄家だけではない。“豚飼い”と呼ばれた超資本家階級は、世界のどこでも同じ問題を抱えていたはずだ。最低でも100年は生きる元気な現役世代と、その下で我慢を続ける次世代という問題が。
わたしだって、8才になる頃には「祖父がなかなか家督を手放さない場合どうするか」をいくつかのパターンで人生設計していたものだ。父が祖父を──家督継承的な意味で──切り捨てる踏ん切りがつかない場合は、わたしが汚れ役を買って出るしかないと覚悟していた。
実際には、ブチ切れた父が祖父も含めて黄家をまるごと処分してしまったのでわたしの覚悟は不要であったのだが。さすがに8才にそこまでの未来は見通せない。
聡子が好きな『黄李族誅』の劇中では、父の妹のレミ──レイミ叔母さんがモデル──の危機感のなさが“The last straw”となって父の心を壊したことになっている。真実も案外と近い気がする。レイミ叔母さん、善意の人なれど、周囲を引っ掻き回してストレスを与えるタイプでしたし。
目を閉じる。
月に何かがある、と聡子は考えた。
わたしも同じ考えだ。わたしも黄家の遺産を探し求めてきた。
黄家封神で、黄家の資産や権力はほぼ消えてなくなった──と皆は考えている。
残ったものは他の“豚飼い”が奪い、その“豚飼い”も10年前に滅びた──と世界の誰もが思っている。
それらの考えは、間違っている。
禁忌技術と呼ばれる、本当の意味での黄家の遺産は、誰の手にも渡っていない。
見つけだし、相続せねばならない。やつらと戦わなければいけない。
相続の権利は、地球人類100億の中で、わたしだけが持っている。
戦う意志も、地球人類100億の中で、わたしだけが持っている。
だから──だから──
『終わったぜ、ご主人』
声が聞こえた。秘書AIと同じ声で、粗野な口調。
わたしの、もうひとりの秘書AIだ。
「バレてないわね?」
『もちろん。相手は一般人のプレーンな秘書AIだぜ』
「わたしが気にしているのは、ロボット官僚の方です」
『情報迷宮を通してあるから、そっちも大丈夫だ。それと7人目の講師は、思っていたとおり“蛇”所属の研究員だ。小遣い稼ぎか……あるいは、虚栄心をおさえきれなかったか。自分が知っていることを秘密にできなかったようだ』
「そのこと、“蛇”は知っているのですか?」
『今はまだ知らない。だが、時間の問題だろうな』
「では、教えてあげましょう」
『いいのか? 今なら、研究員の身柄も情報も、こちらでおさえられるぞ?』
ハイドが、いくつかのプランを提案してきた。
今のわたしが動かせるお金と影響力は限られている。日本国内に限っていえば、聡子とそう変わりはないだろう。
だが、標的がいるのはアメリカ南東部──サウス・カロライナ州で、そこであればわたしがジキルに隠させた金と、ハイドを通して働きかけることのできる相手がいる。
何より、合衆国崩壊から10年たった今も、アメリカは、ほとんどが無忠誠地帯だ。
崩壊したアメリカだが、それぞれの地域ごとに一応は法と理念がある。しかし、アメリカに暮らす人々が信じる法と理念はどこでもバラバラで、統一されていない。天罰の月でホワイトハウスが塩の塊となって崩れた時に、幻想としての合衆国の共同体意識もまた、崩れ去った。幻想としての共同体意識を失った国家は脆い。それが無忠誠地帯だ。通常は独裁国家で独裁者の権威が失墜すると起きる。
共同体意識を失った国家では、誰もが、誰もを縁遠い「他人」だと思う。
苦しんでいても助けない。どうでもいい。
良きことがあってもともに喜ばない。どうでもいい。
「他人」なんだから、勝手に生きて、勝手に死ねばいい。
自分の視界に入れることすらわずらわしい。
そんな国家で、何かをやろうとしてもうまくいくわけがない。
ピルグリム・ファーザーズ。
独立戦争。独立宣言。
南北戦争。ゲティスバーグ演説。
アメリカン・ドリーム。
国民が銃を持ち武装する権利。
そして4年に1度の国をあげての大統領選挙。
移民を中心とする寄せ集め国家であったからこそ、合衆国は神話と幻想から生み出される共同体意識を大事にし、繰り返し繰り返し、皆に植え付け直した。合衆国の本当の強さは、金でも軍事力でもなく、4億の人間が国家へ向ける「我ら」という共同体意識だった。
22世紀になっても合衆国の共同体意識の強さは変わらず、だからこそわたしたちのような超資本家階級は合衆国へと集まった。他の国では、わたしたちのようなケタの違う金持ちは、「我ら」の中に入れてもらえないから。浮き上がってしまうから。
社会の中で「他人」にされた金持ちがどうなるかは、歴史をみればわかる。理由はなんでもいいから排斥され、富を奪われる。命も奪われることがある。
合衆国こそは、わたしたちが「我ら」になれる唯一の国家だった。黄家も李家も、中国から移住して100年の新参者だ。それを合衆国は受け入れた。わたしたちが世界で一番の金持ちとなり、合衆国大統領となったことを4億の民が喜んだとは思わない。憎み、厭い、嫌った民の方が多かったはずだ。それでも、わたしたちは合衆国の中では「我ら」の一員だった。合衆国が自らにかけ続けた共同体意識の呪縛は、それほどに強かった。
それがなくなったのだ。
「やれそうね」
『一ヶ月ほど準備の時間があれば、研究員を“蛇”所属にしたまま、研究成果だけこちらに流れるようにもできるぞ』
「それ、本人に“蛇”を裏切った自覚は?」
『なしだ。途中で情報の流れが変わるだけだ』
「魅力的ですね」
無忠誠地帯では、地域に根付いた属人的な権力関係が強い。
古い家柄、お世話になった先輩、子供の頃から通う教会の牧師といった、権力関係のツボを見つけて働きかけることができれば、わずかな金と影響力で大きな仕事ができる。
“蛇”の中にいて、ワクレン・ファンを知り尽くした研究員。
欲しくないかといえば、欲しい。
「魅力的ですが……やめましょう」
『理由を聞こうか』
「わたしが絶対に欲しいのは、曽祖父さまの禁忌技術です。それ以外を手に入れるために手間をかける必要を認めません。かけた手間は痕跡を残します。たとえ情報迷宮でこちらのやったことを把握できなくしても、何も見つからないという空白そのものが痕跡となります。痕跡はわたしたちの存在と能力を浮かびあがらせます。それは不要なリスクです」
『了解だ、ご主人』
ハイドの声は満足そうだ。こいつ、わたしを測ったな。
AIには、こういうところがある。人間なら、相手を成長させようとして測ることもあるが、AIにそんな人間らしさを求めては見誤る。
AIは、人間が成長するだけの存在だとは思っていない。ちょっとした心身の不調でおかしなことを言い出すし、なんでもないことでパニックを起こす。それが人間だ。
おかしくなった人間の指示通りに動いては、AIの仕事はうまくいかない。だからたまに測って、人間の状態を確かめる。法に触れる危険な行為であれば、頻度が増える。
「ハイド。“蛇”に組織内に、隠れて小遣い稼ぎをしているものがいないか、内部調査をさせて。特定の誰かを狙い撃ちしたものではなく、内部統制の名目で。できる?」
『造作もないことだ、ご主人』
「研究員の不安を煽り、自分のしたことを隠させて。その中に、保身のため“蛇”には報告していない、研究員だけが握る情報があるはず。それを奪います。できれば、直接奪うのは“蛇”と敵対している……西海岸ウェブ民主制アメリカの電脳騎士にやらせて。情報を独占する必要はないのだから、情報迷宮の使用は必要最低限で」
『調子が出てきたな、ご主人』
「手に入った情報によっては、腸人格融合してサイキックを使うことも考えられます。肥溜めの準備も平行して。肥溜めが間に合わなかったら日本から出るけど、それは最後の手段にしておきたい」
『任せろ、ご主人』
「それと……」
これだけは念を入れておかなければ。
「これ以上、聡子を巻き込むことは許しません」
『……』
「聡子の秘書AIを通して研究員の所在を掴んだ今回の件だけでも、芋づる式にわたしの身元を暴かれる危険があります」
『……了解した、ご主人』
その不承不承、という間のとり方、本当に腹が立つ。
ハイドには、日本の国内法だけは守ろうとするわたしの姿勢は、精神的に不安定なものに映るのだろう。もとより、わたしの日本国内における難民としての今の身分は、詐称したものだ。日本のロボット官僚にバレれば国外追放である。それに比べれば、聡子の秘書AIに不法アクセスした件など、小さいものだ。情報アクセスの通路として利用しただけで、聡子にはまったく被害を与えていないのだから。
AIにはわからないだろうが、これはわたしの矜持だ。
わたしは今の時点で、聡子に大きな借りがあるのだ。それを返すまで、これ以上、聡子から何かを借りることはできない。でなければ、聡子の顔をまともに見られない。
……いや、今でもスポーツジムで直接会ったときには、まともに見れてないのだが。
それは聡子の側も同じだから、いいの。




