↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
6/10

第6話 うちの猫が、近衛騎士団長でした


 通されたのは王宮の端にある、近衛騎士団の詰め所の奥の部屋だった。


 石の壁に、古い地図の掛け軸がかかっている。大きな樫の机に、羊皮紙の束が積み上げてある。暖炉には火が入っていて、ぱちぱちと薪がはぜていた。


 わたしは籠を膝に抱えて硬い木の椅子に座っていた。


 副団長のバルドウィン様は、部屋に入るなり扉に鍵をかけ、窓の板戸まで閉めた。それから、机の上に、そっとクロを下ろした。


「お嬢さん。名前は」


「コレットです。下町で薬草屋をしています」


「コレット殿。これから話すことは、この部屋の外では、決して口にせんでほしい」


 バルドウィン様は、わたしの正面に椅子を引いて、腰を下ろした。灰色の目がまっすぐわたしを見た。


「その猫は、近衛騎士団長、ルーク・クロフォードだ」


 暖炉の薪がぱちん、と鳴った。


「……はい?」


「ひと月前の夜、団長は宰相閣下に呼ばれて晩餐の席に出た。それきり、戻らなかった。団長の剣と鎧だけが、王宮の裏の水路に浮かんでいた。騎士団はひと月、王都じゅうを探しまわった」


 わたしは机の上のクロを見た。


 クロは前足を揃えて背筋を伸ばして座っていた。金色の目がまっすぐバルドウィン様を見ていた。


「ゆうべ、団長の札を下げた黒猫が城門に来た。わしは正直、信じられなんだ。だがあの鳴き方。あの座り方。そして、この目。団長が十の時から見とる目だ。見間違えはせん」


「で、でも。猫、ですよ?」


「獣化の呪いだ」


 バルドウィン様は、低い声で言った。


「人を獣の姿に変える、古い呪いだ。何十年も前に禁じられた。それを使える呪術師が、まだ王都にいたらしい」


 わたしは口を開けて閉じた。


 呪い。人を猫に変える呪い。おとぎ話の中にしか出てこないものだと思っていた。


「……クロ」


 呼ぶと、クロがこちらを向いた。


「ほんとに、人間なの?」


 クロはゆっくりと、一回うなずいた。


 バルドウィン様が、机の上の羊皮紙を一枚ひっくり返して、そこにペンで大きく二つの字を書いた。「はい」と「いいえ」。


「団長。はいなら右、いいえなら左に、前足を置いてくだされ」


 クロはすたすたと羊皮紙の上を歩いて、「はい」の上に前足を置いた。


「あなたは、近衛騎士団長ルーク・クロフォードか」


 はい。


「ひと月前、宰相閣下の晩餐で何かを盛られたか」


 前足は迷わず右へ。


「盛ったのは宰相閣下の手の者か」


 右。前足の爪が羊皮紙に小さな穴をあけた。


「そのあと、誰かに呪いをかけられ、猫の姿で水路に捨てられた」


 はい。それから、少し考えて、クロは前足で羊皮紙のすみをとんとんと叩いた。前足の傷あとのところをもう一方の前足でさした。


「……逃げるときに、斬られたのですな」


 はい。


 わたしは膝の上の籠をぎゅっと握りしめた。


 雨の路地裏で木箱の陰に震えていた黒猫。刃物で切られた、まっすぐな傷。あの子は命からがら逃げてきたところだったのだ。


「団長は、十のときに、ご両親を流行り病で亡くされた」


 バルドウィン様が、暖炉の火を見ながら言った。


「ご両親は、陛下の古いご友人でな。陛下が王宮に引き取られた。だがあの方は誰とも口をきかん子どもだった。薬草園の生け垣の陰に、一日じゅう隠れておった」


 机の上で、クロが、ほんの少し耳を伏せた。


「十五で見習いに入って十八で叙任。二十五で団長だ。若すぎると言う者もおったが、団長より剣の立つ者は、騎士団に一人もおらん。そのくせ、口下手でな。部下を褒めるのも、叱るのもひと言で済ませる」


 バルドウィン様の口の端が、ほんの少しゆるんだ。


「わしは団長が笑ったところを数えるほどしか見ておらん」


 わたしは机の上のクロを見た。


 毎朝、豆のスープを舐めながら、耳をぴくぴく動かしていた。若い衆の手をはたいたあと、得意そうに尻尾を立てていた。


 笑わない人、には見えなかった。


「呪いは、解けるんですか」


 声が少しうわずった。


 バルドウィン様は、しばらく黙っていた。それから、太い指で、白髪まじりのこめかみをかいた。


「古い言い伝えがある。獣の姿の者を心から愛し、そして愛された者が、その名を呼んで口づけをすれば、呪いは解ける」


「……それって」


「おとぎ話だ。わしも子どものころ、婆様から聞いた。眠り姫や、蛙の王子と同じ類いの話だ。本当に解けたという記録はどこにもない」


 バルドウィン様は、ふうっと長い息を吐いた。


「呪術師を見つけ出して、呪いを返させるのが、いちばん確かな道だ。騎士団で探す。だが宰相閣下の目がある。王宮の中で団長を預かるのは危うい。宰相閣下に知れたら、今度こそ命はない」


 灰色の目がわたしに向いた。


「コレット殿。勝手な頼みだと分かっておる。もうしばらく、団長をお嬢さんの家に置いてはもらえんか。若い者を二人、下町に張りつかせる。店にも、お嬢さんにも指一本触れさせん」


 わたしは机の上のクロを見た。


 クロもわたしを見ていた。耳が少しだけ後ろに倒れていた。断られるのを待っているみたいに。


「……はい。もちろんです」


 答えると、クロの耳が、ぴんと立った。


 そのとき、わたしはふと思った。


 この子が人間だというなら。


 近衛騎士団長だというなら。


 あの夜、わたしの枕元で丸くなっていたのは。


「あの、バルドウィン様。ルーク様、という方は、おいくつなんですか」


「団長か。今年で二十八になる」


 二十八。


 男の人。二十八歳の、男の人。


 わたしの頭の中で、この半月のことが、ものすごい速さで巻き戻っていった。


 着替えのたびに、部屋を出ていった。毛布をめくっても、首を横にふった。寝台にのぼってこなかった。


 ――そういうことだったんだ。


 ほっとしたのはほんの一瞬だった。


 次の瞬間、もっと大事なことを思い出した。


 最初の夜。灯りを消した暗い部屋で。天井に向かって。猫に聞かせるつもりで。誰も聞いていないつもりで。


 ――わたし、このまま一人で、ここで、おばあさんになるのかなって。


 ――王宮の薬師になりたかったんだ。


 ――誰かと話すの、久しぶりだなあ。


 全部。全部、言った。二十八歳の、近衛騎士団長の前で。


 まだある。毎朝、パンをかじりながら、天気の話とか、マーガレットさんの旦那さんの二日酔いの話とか、鍛冶屋の親方の水虫の話とか。お風呂上がりに、鼻歌まじりで変な踊りをしたことも。


 お風呂上がりに。


 わたしはゆっくりと、机の上のクロを見た。


 クロはすっと目をそらした。


 耳の先がぴくぴくと動いていた。


「――きゃああああああっ!」


 詰め所じゅうに、わたしの悲鳴が響きわたった。






◆ルーク


 風呂上がりの踊りは、見ていない。


 ……と、言えたら、どれだけよかったか。


 見ていない。断じて。あの夜、彼女が湯を使っていたのは一階の奥で僕は二階の扉の前にいた。鼻歌は聞こえた。階段の下から、とん、とん、と床を鳴らす足音も聞こえた。だが見てはいない。


 騎士の誇りにかけて見ていない。


 なのに、彼女は真っ赤になって、両手で耳をふさいで、椅子の上で小さく丸まっている。


 バルドウィンが扉の外から駆けつけた若い騎士たちに「なんでもない、下がれ」と手をふっている。ひげの下で、あの男の口の端が、ぴくぴく震えているのを僕は見逃さなかった。


 ――笑っているな。


 あとで覚えていろ。


「……ルーク様の、ばか」


 椅子の上で、彼女が、くぐもった声で言った。


 はじめて彼女に名前を呼ばれた。


 猫の心臓は小さい。だから、こんなに簡単に、跳ねあがる。


 僕は羊皮紙の上を歩いて、彼女の膝のそばまで行った。何と伝えればいいか分からなかった。見ていない。ごめん。ありがとう。全部を一度に。


 前足を、「はい」の字の上に置いた。


 彼女が指の隙間から、それを見た。


「……なにが、はい、なの」


 僕にも分からなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。