第4話 店に、柄の悪い男たちが来ました
その朝、クロの様子がおかしかった。
いつもなら窓辺で見張りをしているのに、今朝は店の棚の下にもぐりこんでなかなか出てこない。ほうきの柄でのぞきこむと、いちばん奥の暗がりで金色の目が二つ光った。
「クロ、そこ、ほこりだらけだよ」
クロは出てこなかった。前足で何かを奥へ押しこむ、かさりという音がした。
「なにか隠してるの? ねずみ?」
ふん、と鼻を鳴らす音。それから、クロはほこりまみれになって這い出してきて、わたしの足もとで体をぶるぶる振った。黒い毛から灰色の綿ぼこりが舞った。
「もう。ブラシかけるからね」
膝にのせてブラシをかけると、クロはおとなしくしていた。いつもなら三回なでたところで逃げるのに、今日はじっとしている。それどころか、ブラシを置いても膝から降りなかった。
わたしの膝の上で窓のほうをにらんでいた。
お昼過ぎ、店の扉が乱暴に開いた。
扉の鈴ががらんと鳴りすぎて紐が切れそうになった。
入ってきたのは男が三人だった。下町では見かけない顔。三人とも腕が太くて首まで日に焼けている。先頭の男は左の眉に古い切り傷があった。
「いらっしゃいませ」
声が少しだけ硬くなった。カウンターの下で、指先が前掛けの裾をつかんだ。
「薬が欲しい」
眉に傷のある男が、カウンターに両手をついた。酒と、馬小屋の匂いがした。
「どんなお薬でしょう。熱さましですか、それとも」
「眠り薬だ。強いやつ。大の男がまる一日起きねえくらいのな」
わたしはまばたきをした。
「……眠れないんですか?」
「俺じゃねえ。騎士だ。鎧を着た、図体のでかい騎士を、一晩ぐっすり眠らせたい」
うしろの二人がにやにやと笑った。
背中が冷たくなった。眠れない人のための薬なら、カモミールとカノコソウを出す。でも、騎士を眠らせたい、というのは違う。それは誰かを眠らせて、そのあいだに何かをする、という意味だ。
「うちには、そういう強いお薬は置いていません」
「嘘をつけ。薬草屋だろうが」
「眠れない人に、ぐっすり眠ってもらうお薬ならあります。でも、人を無理やり眠らせるお薬は、作りません」
声が震えないように、お腹に力を入れた。母に言われていた。薬で人を傷つける手伝いだけは、絶対にしてはいけない、と。
男の目が細くなった。
「作らねえ、じゃなくて作れねえんだろ。下町の小娘にゃあ」
「作りません」
もう一度言った。膝ががくがくしていた。
男はふん、と鼻で笑ってカウンターから手を離した。それから、店の中をぐるりと見回した。天井の薬草の束、棚の瓶、作業台。
最後に、カウンターの端で目が止まった。
クロが座っていた。
「……おい。黒猫だ」
男たちの空気が変わった。
「首に札をつけた黒猫を、知らねえか。左の前足をけがした、でかい黒猫だ」
わたしは息を止めた。
クロの首には、今朝も、あの剣と百合の札がぶら下がっている。前足の包帯は取れたけれど、毛の下には、まだ傷あとがある。
「……知りません。この子はうちの猫です。ずっと前から」
嘘をついた。生まれてはじめてお客さんに嘘をついた。
「札を見せろ」
男がクロに手を伸ばした。
その瞬間、クロが跳んだ。
黒い影が男の顔に飛びついた。爪が日に焼けた頬を引っかいた。男がのけぞって悲鳴を上げる。クロはその肩を蹴って、うしろの男の頭に跳び移った。頭巾をはぎとって耳に噛みついた。
「いってえ! なんだこの猫!」
「つかまえろ!」
三人目の男がクロをつかもうとした。クロは身をひねってすり抜けて棚の上に駆けのぼった。瓶ががちゃがちゃと揺れた。
わたしは考えるより先に体が動いていた。
作業台の上の小瓶をつかんだ。乾燥させたトウガラシとコショウの粉。肩こりの温湿布に混ぜるための粉だ。ふたを外して、男たちのほうへ思いきり振りまいた。
「ぶわっ、げほっ、げほっ」
「目が、目がっ」
赤い粉が舞った。男たちは目を押さえて、咳きこみながら扉にぶつかった。
「お、覚えてろ!」
三人は転がるように店から出ていった。扉の鈴がまた、がらんと鳴った。
しん、と静かになった。
わたしは空になった小瓶を握りしめたまま、その場にへたりこんだ。鼻の奥がトウガラシでつんとした。くしゃみが一つ出た。
「……こ、こわかった」
声が裏返った。手も、足も、震えが止まらなかった。
棚の上から、クロが降りてきた。とん、と軽い音で床に着地してわたしのほうへ歩いてきた。
わたしの右の手首に、細い赤い線が走っていた。粉を振りまくとき、棚の釘にこすったらしい。気がつかなかった。
クロはその手首に顔を寄せてぺろりと舐めた。
ざらざらの舌だった。少し痛くてくすぐったかった。一回、二回、三回。傷の上を、ていねいに舐めた。
「……ありがと、クロ」
クロは舐めるのをやめてわたしの顔を見上げた。金色の目がまだ怒っていた。背中の毛も、少し逆立ったままだった。
でも、怒っているのはわたしにではなかった。
わたしはクロを抱きしめた。思ったより重くて、温かくて心臓がとくとくと速かった。
「守ってくれたんだね」
クロは腕の中で身じろぎした。逃げるのかと思ったら、わたしの肩に、顎をのせた。
そのまま、しばらく、じっとしていた。
その日はもう店を開けておく気になれなかった。
扉に「本日休業」の札を下げてかんぬきを二重にかけた。窓の板戸も、昼間なのに全部閉めた。店の中が薄暗くなって、天井の薬草の束が、黒い影になって揺れた。
かまどでお湯を沸かしてカモミールのお茶をいれた。自分のために薬草を煎じるのは、母が亡くなった冬以来だった。
カップを両手で包んでも、指先の震えがなかなか止まらなかった。
――この子はうちの猫です。ずっと前から。
自分の声が耳の奥でくり返した。
嘘をついた。お客さんに。母が「薬草屋は、嘘をついたらおしまいよ」と言っていたのに。
でも、あそこで本当のことを言っていたら、クロは連れていかれた。首の札をむしり取られて、麻袋に入れられてどこかの川に。
わたしはお茶をひと口すすった。甘くて少し苦かった。
「……後悔は、してないよ」
足もとのクロに言った。クロはわたしのすねに、体をぐいぐいとこすりつけた。
何度も。何度も。わたしの震えが止まるまで。
夕方、店を片づけていて、扉の前の石畳に何かが光っているのに気づいた。
拾いあげると、金貨だった。
下町の薬草屋では、ひと月かかっても見ないような、厚くて重い金貨。男たちが逃げるときに落としたのだろう。
裏返してわたしは手を止めた。
金貨の縁に、小さな刻印が打ってあった。三つ葉の模様。
どこかで見た気がした。
思い出すより先に、足もとのクロが、喉の奥で低くうなった。
◆ルーク
三つ葉の刻印。宰相ヘイスティングス家の、私用の金貨だ。
あの男たちは宰相に雇われている。眠り薬を探していたのは、また誰かを眠らせるためだ。僕と同じように。
――次は、誰だ。
国王陛下か。王女殿下か。それとも、騎士団の誰かか。
棚の下には、昨夜の紙が押しこんである。「黒猫を渡せ。さもなくば、店に火をつける」。彼女に見せるわけにはいかなかった。見せれば、彼女は僕を手放すだろう。僕を守るために、ではなく、僕に言われたとおりに、僕を差し出して自分を守る。それが正しい。
だから隠した。
騎士として最低の判断だ。
彼女は今日、粉の小瓶ひとつで大の男を三人追い返した。膝を震わせながら、「作りません」と二回言った。
――作りません。
あの声を僕は一生忘れないと思う。
手首の傷は浅い。舐めておけば治る。猫の舌でも、それくらいはできる。
だが次は粉では済まない。
彼女の膝の上で僕は決めた。明日、この金貨を持って王宮に行かせる。どうにかして彼女にそう思わせる。
問題は猫の僕に、どうやってそれを伝えるかだった。




