第16話 実技試験の薬草が、すり替えられていました
実技試験の会場は、薬師院の一階の、調合室だった。
石の床。高い窓。壁ぎわに、銅の鍋と、炭の焜炉がずらりと並んでいる。部屋じゅうに、乾いた薬草と、煮出した根の匂いがこもっていた。
受験者は十二人。一人に一つずつ、作業台が割り当てられていた。わたしの台はまたいちばん奥の、窓際だった。
作業台の上に、木の盆が一枚置いてあった。盆の上に、紙で包んだ薬草が、六つ。それぞれの包みに、薬草の名前が書いた札が添えてあった。
前の台の向こうで、ベアトリーチェ様が、白い手袋を外していた。わたしのほうを見なかった。今日は一度も。
それがかえって気になった。
今日の試験官はハーヴィ様ではなかった。四十くらいの、痩せた男の人だった。薬師院の副院長だと、誰かがささやいた。
「課題を言う。七つの子どもが三日、咳と熱で眠れずにいる。盆の材料だけを使い、子どもに飲ませる咳止めの煎じ薬を作れ。時間は二時間。始め」
わたしは息を吸った。
咳止め。七つの子ども。
流行り風邪の季節に、何十回も作ってきた薬だった。クロに止められたあの日みたいに忙しくなければ、目をつぶってでも作れる。
包みを一つずつ開いた。
タチジャコウソウ。セージ。カンゾウの根。ヤナギの皮。はちみつの小瓶。それから、ムラサキの葉。喉の腫れを引かせる、少し珍しい薬草。
いつもの手順どおり、まず、タチジャコウソウの葉を一枚つまんで裏返した。
指が止まった。
産毛がなかった。
葉の裏がつるりとしていた。
――イヌハッカ。
背中がすうっと冷たくなった。あの日とまったく同じ冷たさだった。
わたしは葉を鼻に近づけた。すっとした草の匂いが、しなかった。かわりに、かすかに、土くさい、えぐい匂いがした。
間違いない。強い下剤だ。七つの子どもに飲ませたら、ひどい腹痛と、脱水を起こす。
わたしはほかの包みも、一つずつ確かめた。
セージ。本物だった。カンゾウ。本物。ヤナギの皮。本物。
ムラサキの葉を指でつまんだ。
大きな、厚い葉。表に、細かい毛がびっしり。形はムラサキによく似ていた。図鑑の挿絵と並べたら、誰も見分けられないくらい。
でも、葉のふちが、ほんの少しだけ、ぎざぎざしていた。葉脈が網の目みたいに細かかった。
鼻に近づけた。
ほとんど匂いがしない。ムラサキなら、乾かすと、ほんのり甘い匂いがするはずだった。
――キツネノテブクロ。
わたしの指先が震えはじめた。
心臓の薬に、ほんのひとつまみだけ使う草。量を間違えれば、心臓が止まる。子どもなら、なおさらだ。
二つ。六つの包みのうち、二つが、すり替えられていた。
わたしはまわりの作業台を見回した。
みんな、もう、包みを開けて鍋に水を張りはじめていた。誰も、手を止めていなかった。ベアトリーチェ様の台の上の、タチジャコウソウの葉が、窓の光に透けていた。葉の裏に、白い産毛が見えた。
わたしの盆だけだ。
喉の奥がからからに乾いた。
「……あの、試験官様」
手を挙げた。声がかすれた。
副院長が眉を寄せてこちらに歩いてきた。
「何だ。二十一番」
「わたしの材料が、違います。このタチジャコウソウは、イヌハッカです。このムラサキはキツネノテブクロです。替えていただけませんか」
まわりの受験者が、手を止めてこちらを見た。
副院長はわたしの盆をちらりと見下ろした。葉を手に取りもしなかった。
「材料は、全員同じものを薬師院が用意している。間違いはない」
「でも葉の裏に、産毛が」
「言い訳か」
冷たい声だった。
「材料のせいにして、調合に失敗した時の逃げ道を作っておくつもりか。平民の受験者はこれだから」
くすっ、と、前のほうで誰かが笑った。
ベアトリーチェ様の肩が小さく揺れていた。
わたしの頬がかっと熱くなった。
「替えはない。その材料で作るか、棄権するか。どちらかだ」
副院長は背を向けて教壇のほうへ戻っていった。
わたしは盆の前で立ちつくした。
棄権したら、試験は終わる。推薦状も、ルークと陛下の名前も全部無駄になる。
この材料で作ったら。下剤と、心臓の毒の入った咳止めを作ることになる。
――作りません。
また、あの声がした。
わたしの声だった。
母の声でもあった。薬で人を傷つける手伝いだけは、絶対にしてはいけない。
わたしは目を閉じた。
まぶたの裏に、熱を出した小さな女の子が浮かんだ。クロに止められた日、お母さんの肩にしがみついて、苦しそうに咳をしていた子。
この試験の課題は、紙の上の子どもだ。誰も、本当には飲まない。
それでも。
わたしがここで毒の入った薬を作れば、わたしは、そういう薬を作れる薬師になる。
目を開けた。指の震えは止まっていた。
わたしは息を吐いた。それから、イヌハッカとキツネノテブクロの包みを元どおりにきっちりたたみなおした。紙の端を折りこんで、札をつけたまま、作業台のすみに置いた。
残りは四つ。セージ、カンゾウ、ヤナギの皮、はちみつ。
七つの子どもの、咳と熱。三日、眠れていない。
タチジャコウソウがなくても、咳はセージで鎮められる。喉の腫れはカンゾウの根の甘さで和らげる。熱はヤナギの皮。量を大人の三分の一に。はちみつで子どもが嫌がらない味に。
それから。
わたしは鞄の中から、小さな布袋を取り出した。
ルークがくれた、カモミールとミントの袋。
――眠れずにいる。
課題の言葉をもう一度、頭の中で読んだ。咳を止めるだけでは、足りない。三日眠れていない子どもを眠らせてあげなければ。
布袋の中から、カモミールの花をひとつまみ取り出した。
盆の材料だけを使え、と言われた。分かっていた。これを入れたら、減点される。もしかしたら、失格になる。
それでも、眠れない子どもに出す薬に、カモミールを入れないのはわたしの薬じゃない。
鍋に水を張って焜炉に炭を入れた。
ごり、ごり、と、乳鉢を回した。
気がつくと、小さな声で歌っていた。
――月のしずくを、三つぶ落として。
◆ルーク
調合室の窓の外の、植え込みの陰で僕は彼女の背中を見ていた。
すり替えだ。彼女の盆だけ、二つ。
副院長は葉を手に取りもしなかった。薬師院の副院長を十年あまり務めている男だ。薬師長の、いちばんの腹心でもある。
窓ガラスを叩き割って飛びこみたかった。
だが彼女は自分で選んだ。棄権もせず、毒の入った薬も作らず、四つの材料と、カモミールのひとつまみで。
乳鉢を回しながら、歌っている。あの歌を。
試験が終わって受験者たちが出てきた。最後に、副院長が、扉の前の掲示板に、一枚の紙を貼った。
――最終実技は、月光草を用いる調合とする。月光草は満月の夜にのみ花を開くため、最終実技の日取りを五日後の夜に改める。
五日後の夜。
満月だ。
月の出から、夜明けまで。僕は猫になる。
剣も持てない。声も出せない。彼女のそばで、人の姿で立っていてやることが、できない。
副院長が掲示板の前で、ちらりと僕の隠れている植え込みのほうを見た気がした。
気のせいかもしれない。
――知っているのか。僕の呪いが満月の夜に戻ることを。
知っているのはバルドウィンと、ヨストと、彼女だけのはずだ。
それから、呪いをかけた、呪術師と。
呪術師に、呪いの材料を流した、誰かと。
植え込みの土を、指で掻いた。爪の間に、黒い土が入りこんだ。
猫の前足なら、窓ガラスくらい、何でもないのに。人の指は、こういうときに、何の役にも立たない。




