↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
15/21

第15話 団長様の過保護が止まりません


 筆記試験の結果は、三日後に、薬師院の門の掲示板に貼り出された。


 合格者、十二名。二十一番の数字は、上から三つ目にあった。


 わたしは掲示板の前で、自分の番号を三回数えなおした。二十一。何度数えても、二十一だった。


「……あった」


 声が裏返った。


 隣で、ルークが、小さく息を吐いた。それから、何も言わずに、わたしの頭の上に、大きな手をぽん、と一回だけのせた。


 その手の重みで膝の力が抜けそうになった。


 掲示板のいちばん上には、ベアトリーチェ様の番号があった。次の実技試験は十日後。最終実技はその五日後。


 ――次の満月の、夜。


 わたしは掲示板の日付を見上げて指を折って数えた。


 隣で、ルークも同じ日付を見ていた。




 その日から、ルークの過保護が、止まらなくなった。


 朝、一番窯のパンを持ってくるのは変わらない。そのまま、店の奥の作業台の前に陣取って、わたしの試験勉強の相手をするようになった。


「ヨモギ。効き目を三つ」


「血止め、虫よけ、冷えた体を温める」


「煎じてはいけないのは」


「生の葉で傷に貼るとき。……あの、ルーク様。お仕事は?」


「午後からだ。次。セージ」


 ルークは薬草の図鑑を片手に、次々と質問をしてきた。図鑑の字をときどき指でなぞりながら読んでいた。剣の稽古なら一日じゅうでも平気なのに、細かい字を読むと目が疲れる、と言っていた。


 それでも毎朝来た。


 お昼になると、マーガレットさんがパンを差し入れにきて、作業台の前で並んで座っているわたしたちを見て「おやまあ」と言いながら、ものすごくうれしそうに帰っていった。


 午後、わたしが裏の薬草畑に出ると、なぜか、ヨストさんがいた。


「団長の命令で畑の見張りです」


「畑の?」


「はい。カラスが来たら追い払えって」


 ヨストさんはほうきを持ってにこにこしていた。その隣で、背の高いもう一人の騎士が、真剣な目つきで空をにらんでいた。カラスは一羽も来なかった。


「ヨストさん。団長様って、いつもあんなふうなんですか」


「まさか」


 ヨストさんはほうきにもたれてくすくす笑った。


「詰め所じゃ、鬼ですよ。剣の稽古で、俺なんか毎日十回は地面に転がされてます。笑ったところなんて去年いっぺん見たきりです」


「……そうなんですか」


「それが、コレットさんの店の前だと、あれでしょう。副団長が言ってました。団長は猫だったころに、すっかり骨抜きにされたって」


 背の高い騎士がヨストさんの脇腹を、肘で小突いた。ヨストさんはほうきを抱えてぺろりと舌を出した。


 夕方、市場に薬草の種を買いに行こうとすると、ルークがどこからともなく現れてわたしの籠を取り上げた。


「僕が持つ」


「軽いですよ。種だけですから」


「持つ」


 市場ではルークがわたしのすぐ半歩うしろを歩いた。わたしに話しかけてくる八百屋のお兄さんにも、魚屋のおじさんにも金色の目でじっと視線を送った。


 八百屋のお兄さんは、おまけのリンゴを渡そうとして手を引っこめた。


「ルーク様。にらまないでください」


「にらんでいない」


「にらんでます。リンゴ、もらいそこねました」


 ルークは少し考えてから、八百屋の台に硬貨を置いて、リンゴを三つ買った。全部、わたしの籠に入れた。


 帰り道、夕方の風が冷たくなってきた。わたしが肩をすくめると、ルークは何も言わずに自分の外套を外してわたしの肩にかけた。


 重かった。大きすぎて裾が石畳に引きずった。ルークの匂いがした。鉄と、革と、それから、ほんの少しだけ、わたしの店のカモミールの匂い。


「……過保護です」


「そうか」


「そうです。わたし、五年間、一人で市場に行ってたんですよ」


「知っている」


 ルークは前を向いたまま言った。


「五年間、一人で行っていた。だから、これからは一人で行かせない」


 わたしは外套の襟をぎゅっとつかんだ。


 言い返す言葉が見つからなかった。


 見つからなくてよかった気がした。




 夜、ルークが詰め所に戻ったあと、裏口が三回叩かれた。


 開けると、バルドウィン様が立っていた。手に、葡萄酒の瓶を一本、ぶら下げていた。


「お嬢さん。少しだけ、いいかな。団長には内緒で」


 バルドウィン様は作業台の前に座って、わたしの勉強の様子をしばらく黙って眺めていた。図鑑の書きこみ。乾いた薬草の見本。ルークが毎朝持ってくるパンの包み紙が、作業台のすみに、きちんとたたんで積んであった。


 バルドウィン様はその包み紙の束を見てひげの下でふっと笑った。


「団長はな、昔、口をきかん子どもだった」


 葡萄酒を一口あおってから言った。


「前にも話したな。ご両親を亡くされて王宮に来られた。十の夏だ。一日じゅう、薬草園の生け垣の陰に隠れておった。わしらが呼んでも出てこん。飯もろくに食わん」


 わたしは羽根ペンを置いた。


「それが、ある日から、急に変わった。朝、薬草園に駆けていく。夕方、手を緑色に染めて帰ってくる。乳鉢を回したと言う。草の名前を十も二十も覚えてきてわしに得意そうに言う」


 バルドウィン様の灰色の目が、作業台の上の、白い石の乳鉢に向いた。


「若い女の薬師が、相手をしてくれておったそうだ。わしは一度、遠くから見たきりだがな。栗色の髪の、よく笑う娘だった」


 わたしの胸がどくんと鳴った。


 母だ。


「その娘が、ある日、王宮から消えた。何があったのか、わしらのような騎士には知らされなかった。ただ、その年の秋から、団長はまた口をきかなくなった」


 バルドウィン様は瓶を作業台に置いた。


「お嬢さん。団長が毎朝、夜明けから立っておるのは浮かれておるからだけではない。……また、目の前から誰かが消えるのが、こわいのだ。十の時と同じように」


 部屋の中がしんとした。


 わたしは肩にかけたままだった外套をそっと胸の前で合わせた。ルークの外套。返しそびれた、重たい外套。


 過保護です、と言った。五年間、一人で行っていたんですよ、と。


 ――だから、これからは一人で行かせない。


 あの言葉の重さをわたしは半分も分かっていなかった。


「……バルドウィン様。わたし、消えません」


 声が少し震えた。


「試験に受かっても、落ちても。どこにも消えません」


 バルドウィン様は、灰色の目を細めてわたしを見た。


 それから、大きな手でわたしの頭を一回なでた。ルークと、同じなで方だった。


「それを団長に言うてやってくだされ。わしではなく」






◆ルーク


 その夜遅く、ヨストが詰め所の団長室に駆けこんできた。


「団長。下町の見張りの交代のとき、王宮の薬草園の裏門を通ったんですが」


「何だ」


「夜中なのに、薬草園の温室に灯りがついてました。侍女の服を着た女が二人、出入りしてて。籠に何か摘んでました」


 僕は羽根ペンを置いた。


「顔は」


「暗くてよく見えませんでした。でも一人のエプロンに刺繍が。あれ、確か、ヴァンダイク家の」


 ヨストの言葉がそこで切れた。


 僕の手の中で、羽根ペンの軸が、ぱきりと折れた。


 実技試験まであと十日。


 薬草園の温室には、王宮でしか育てない草が並んでいる。ヨルガオ。それから、見た目だけなら、どこにでもある薬草とそっくりな、毒草もいくつか。


「ヨスト。明日から、見張りを一人増やす。下町ではなく、薬草園に」


「はっ」


 ヨストが出ていったあと、僕は椅子の背にもたれた。


 机の上に、彼女の店から勝手にもらってきた、カモミールの花が一つ、転がっていた。


 指でつまむと、乾いた花びらが、かさりと鳴った。あの店の、朝の匂いがした。


 明日も、夜明けに坂を下りる。一番窯が焼けるより先に。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。