救世主と黒薔薇
王宮の玉座。
父王から「我が国、第二王女――ミリアよ」と告げられたミリアは、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
「……お父様」
懐かしいはずの父の姿。
それなのに――胸の奥には、言いようのない違和感があった。
「お久しぶりです……」
「ああ」
王は短く答える。その表情には、幼い頃に見ていた父の面影がほとんどなかった。
ミリアは恐る恐る周囲を見渡す。
「……お母様は? お兄様や、お姉様……それに妹も……」
王は答えない。代わりに、隣に立っていたマルフィアが静かに口を開いた。
「皆様、今はここにはおりません」
「……どうして?」
ミリアの胸がざわつく。マルフィアは、痛ましげな表情を浮かべた。
「あなたが王国を去った後……国王陛下は、深い悲しみに囚われてしまったのです。それは次第に、陛下の心を蝕んでいきました」
ミリアは息を呑む。
「そして……我を失った陛下は、ご家族を幽閉し、国民にも厳しい圧政を敷くようになってしまいました。国は荒れ果てました。私は何度も陛下をお支えしようとしましたが、簡単には立ち直りませんでした」
「そ、そんな……」
冷や汗を浮かべ、俯くミリアにマルフィアは微笑みかける。
「だからこそ、あなたをこの国へ連れ戻したのです。あなたがいれば、陛下も変わるかもしれない。そう思ったのですよ」
「そんな……私は……追い出された身のはずでは……」
「それこそが……間違いだったのです。お帰りなさい、ミリア王女」
その言葉が、ミリアの胸に深く突き刺さった。
自分が国を去ったせいで父がおかしくなり、家族が幽閉され、国民が苦しんでいる――。
(私の……せい……?)
胸の奥に、黒い何かが小さく芽吹いていた。
◇
一方、城下。
「まずは、この国の情報収集をしなければならないな」
エギルが冷静に呟く。
「お!ならいいとこあるぞ!」
レイクが飄々と言う。
「……なんだ?」
エギルが眉をひそめ尋ねる。
レイクは街の一角にある建物を指差した。
そこには、大勢の人間が出入りしている。
「酒場だ!」
レイクは不敵に笑い言う。
「おい!!」
エギルが慌ててレイクの腕を掴む。
「まだおれたちは酒を飲むわけには――」
「いいんだよ、飲んだフリでも。こういうとこに情報は集まるんだ」
「……そういうものなのか」
ゼノンが妙に納得したように頷いた。
「わかった。ジュースを頼んでもいいのか?」
ゼノンは酒場へ向かおうとする。
「なぜ乗り気なんだ貴様は! それに酒場でジュースなんてあるわけないだろ!」
「それがあるんだよなぁ~♪ まぁ任せとけって!」
呆れるエギルを余所に、三人はそのまま酒場へ足を踏み入れた。
◇
「ビール三つ!」
席につくなり、レイクが声を上げた。
「ビール三つですね!」
ウェイターの女性が注文を復唱する。
その直後――。
「あ!お姉さん!ちょっと……」
レイクが手招きをする。
ウェイターが近づくと、レイクは周囲に聞こえないよう、そっと耳打ちした。
「実はこいつらベロベロでさ……おれも参ってるんですよ。なんとか全部、それっぽくジュースにできない?」
ウェイターはキョトンとした後、
「ふふっ」
小さく笑った。
「かしこまりました。少々お待ちください」
「……お前、本当に大丈夫なんだろうな?」
エギルが呆れ顔で呟く。
「大丈夫だって~!」
やがて運ばれてきたのは、酒に見せかけた色鮮やかなジュースだった。
ゼノンが嬉しそうにグラスを眺める。
「本当にあったな」
「だろ? ――んで、情報収集だ」
レイクは周囲へ視線を向けた。近くの男に気さくに声をかける。
「なぁ、おっちゃん。この国っていつからこんな感じなんだ? A級だのD級だのってやつだよ」
男は少し驚いた顔をした。
「なんだ、お前さん達旅の者か? 」
「ああ。昨日来たばっかりでさ」
レイクがヘラヘラしながら答える
「なるほどな。この国じゃ昔から等級制度はあったが……露骨になったのはクーデター以降だな」
「クーデター?」
エギルが聞き返す。
「ああ。少し前、この国では王家に対する大きな反発が起こったんだ。国中が荒れてな。王のやり方に不満を持つ連中が一斉に蜂起した」
別の男が話に入ってくる。
「その頃は酷かったぜ。街も滅茶苦茶。誰が敵で誰が味方かも分からねぇ」
男はニッと笑う。
「だがな……その時に現れたのが、いばらの魔女こと――マルフィア様だ!」
レイクの表情が僅かに変わった。
「マルフィア?」
「な~んだ、知らねぇのか?」
「……まぁな」
レイクは笑いながら答える。
別の男が誇らしげに割り込んでくる。
「あの方が滅茶苦茶になった国をまとめ上げたんだ。マルフィア様がいなけりゃ今頃どうなってたか!」
周囲の男達も口々に呟く。
「本来なら王になってもおかしくなかったのに、あえて前の王を立てて自分は支え役に回った!」
「寛大なお方だよ!」
男達の話を聞きながらレイクが口を開く
「……救世主、ってわけか」
「そうとも!この国にとって、マルフィア様は救世主だ!」
男達は口々にそう言った。
エギルとゼノンは顔を見合わせる。
誰もが王よりもマルフィアを称えている。
「じゃあ、今の王様は?」
酒場の空気が、一瞬だけ止まった。
「……ああ」
男達は少し言葉を濁した。
「王様も昔はな……でも今じゃマルフィア様が支えてくださらなきゃ、とてもじゃねぇが無理だろうな」
男たちの言葉に疑いは微塵もなかった。
ミリアがあれほど恐れていた魔女を、人々は「救世主」と口を揃えて称えている。
「なるほどな……すげーんだな!マルフィア様って」
レイクは笑いながら男達に言い残した。
「ちなみに、D級のやつらはどう暮らしているのですか?」
エギルが尋ねると、男たちは少し顔を顰めた。
男達は顔を見合わせ言う。
「D級は……なぁ….…?」
「D級の住処は東の外れにある地下街だ。あんなとこ行けたもんじゃねぇ。王国の見張りや戦士が常に巡回してるんだ!」
三人の手が止まる。
「王国の人間に目つけられたら終わりだ。ここじゃ生きていけねぇ」
レイクが笑みを浮かべ言った。
「そうか。ありがとうな。色々教えてくれて」
ゼノンが静かに答えた。
「少なくとも……おれらが知っているマルフィアと、この国の人間が知っているマルフィアは、同じ人物には見えないな」
「だな。聞きたいことは聞けた。そろそろ行こう」
三人は会計を済ませて立ち上がると、先ほどのウェイターの女性が近づいてきた。
「ありがとうございました!」
「おう!」
レイクが手を振る。
女性は少し笑って、耳打ちをする。
「……飲める歳になったら、またおいで」
「あれ? バレてた?」
「ふふっ、最初からよ」
マスターや客たちも楽しそうに笑っている。
エギルとゼノンは呆れた顔をしていた。
レイクは目を手で覆い笑った。
「タッハハ~! マジかよ!」
そしてにこやかに続ける。
「そんじゃ、また来るわ!」
「はい!ありがとうございました!」
三人は酒場を後にした。
◇
王都の東に広がる地下街。
華やかな大通りとは打って変わり、粗末な家屋と崩れかけた壁が連なり、痩せ細った人々が道端に座り込んでいた。
「……こんなとこが」
レイクが呟く
――そして。三人の背後
屋根の上や路地の影には、いつの間にか複数の人影が潜んでいた。いずれも黒い外套を纏い、気配を完全に殺している。
「……来たな」
黒い外套を纏った男が、小さく呟く。
「ああ。間違いない。昼間から王都を嗅ぎ回っていた旅人だ」
「どうする?」
「リゼット様に報告を――」
「必要ない」
その声と同時に、一人の少女が現れた。
小柄な身体。妖精族特有の尖った耳。腰には一振りの短剣。
リゼットだった。
「私が直接確かめる」
「はっ!」
周囲の影たちが一斉に動いた。
◇
「……やっぱり、おかしいな。国の中心はあんなに綺麗なのに、少し離れればこれか」
レイクが眉をひそめる。周囲の凄惨な光景に表情を硬くした。
ゼノンが周囲を見渡す。
「等級によって、人間の価値そのものを決めている……」
エギルが険しい顔をする。
「それを国民が『当然』として受け入れているのも異様だな。マルフィアという存在を信頼しすぎている」
「……行こう。もっとこの国の裏を調べるぞ」
三人が奥の路地へ歩を進めた、その時だった。
ザザザッ!!!!
前後の屋根や路地の影から、黒い外套を纏った男たちが突如現れ、退路を塞いだ。
ゼノンが周囲へ威圧する。
「……囲まれたか。歓迎されてはなさそうだな」
「レイク!」
「あぁ、わかってる」
エギルとゼノンが身構え、レイクも拳を握る。まさに次の瞬間――。
「――待てっ!」
鋭い声とともに、冷ややかな鉄の感触が首元を撫でた。気づけば、短剣がレイクの首筋へ突きつけられていた。
小柄な妖精族特有の尖らせた耳を持つ少女が、鋭い眼差しでレイクを見上げている。
「お前、よそ者だな」
「あ?」
レイクが目を細める。
「レイク!」
エギルとゼノンが助けに入ろうとする。
「動くな。こいつ、かなりやるぞ」
レイクは二人を静止した。
短剣を構えたまま、少女は問いかける。
「何をしに来た」
エギルたちが息を呑む中、レイクは首元の刃を恐れる風もなく、真っ直ぐに少女を見つめた。
「……ミリアを助けに来た」
「……!?……そう」
少女の瞳がわずかに揺れ、視線が落ちる。その反応を見逃さず、レイクは静かに問いかけた。
「なぁ……そろそろ離れちゃくれねぇか? 」
少女は顔を上げ鋭い目線をレイクへ向ける。
「……いや、ここから先へは行かせ――」
少女の仕草に生じた一瞬の迷い。レイクはその隙を見逃さず、拳に魔力を集束させて振り翳す。
「――ッ!」
ドォォォォンッ!!
「外したな。」
間一髪で跳び退き、宙で身を翻して着地するリゼット。砕けた地面を背に、レイクはニヤリと構え直す。
「おい、てめぇ……何者だ」
リゼットは短剣を握り直し、鋭い眼差しで宣言した。
「マルフィア黒薔薇六傑が一人――リゼット!」
地面を蹴り、弾丸のような速度で肉薄するリゼット。
「来るぞ!」
「上等だ……!」
王都の薄暗い地下街で、激しい戦いの火蓋が切って落とされた――。




