ガラスの靴と黒い影
「遅いぞ、お前ら。どこほっつき歩いてた」
ルベルを乗せたカボチャの馬車を見送った後、レイクとミリアが急いで指定された集合場所へ向かうと、腕組みをしたラルクが呆れたように立ち尽くしていた。
「すみません……先生。知り合った子を見送っていて……」
ミリアが申し訳なさそうに頭を下げる。
「まあいい。昨日からコソコソなんかやってたみたいだったしな。ただ今回は警護の任務であることを忘れるな」
「はい!」
「では、舞踏会が始まる前にリュミエール王とセシル王子に挨拶に行く。任務はもう始まってる。気を引き締めろよ」
「はいっ!」
気が引き締まる想いで、三人は威厳あるリュミエール城の大きな正門へと向かった。
城門の前には、重厚な鎧を着た門番たちが鋭い視線で立ち塞がっている。
「止まれ。これより先は許可なき者の立ち入りを禁じる」
ラルクが静かに歩み出で、学園の紋章が入った書面を提示した。
「騎士学園からの派遣警護です。王と王子殿下へのご挨拶と、今夜の警護の配置確認に参りました」
門番は書面をじっくりと確認すると、満足そうに頷いて恭しく頭を下げた。
「確認いたしました。どうぞお通りください」
重々しい音を立てて巨大な城門が開かれ、敷地内へと足を踏み入れた三人。
すると――広大な庭園の先、城のエントランスで一人の人物が待っていたかのように立っていた。先ほどルベルに魔法をかけた王国の宰相――ヴァルガンだ。
「お待ちしておりましたよ。おや? あなた方は先ほどの。そうですか、今夜の舞踏会の警護の方々でしたか」
「どうも」
レイクは短く答えたものの、何やら顔を曇らせていた。
(……なんだ? あのおっさん。なんか妙な感じがするな……。)
うまく言葉にはできない。ただ、どこか人間とは違うような、そんな違和感だけが胸に引っ掛かった。
「レイク君……?」
不思議そうにミリアが横顔を覗き込む。
「王と王子にご挨拶をさせていただきたいのですが……」
ラルクが淡々と切り出すと、ヴァルガンは穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ。私がご案内させていただきます」
「助かります、宰相殿」
◇
重厚な扉が開かれ、豪華絢爛な玉座の間へと通される。
そこには、凛とした佇まいの美しい青年――セシル王子が座していた。
「騎士学園から参りました。今夜の警護、誠心誠意務めさせていただきます」
ラルクが恭しく礼をとると、セシル王子は立ち上がり、穏やかで温かい微笑みを浮かべて自ら歩み寄ってきた。
「遠方よりお越しいただき、ありがとうございます。学園の精鋭が警護についてくださるなら、これほど心強いことはありません」
セシル王子はレイクとミリアの顔を交互に見つめ、真っ直ぐな瞳で感謝を口にする。
「お二人も、お若いのに立派な志を持たれているのですね。今夜はどうかお怪我のないよう、よろしくお願いいたします」
「は、はいっ! お任せください!」
ミリアが背筋を伸ばして返事をすると、レイクも思わず
「おう! 王子様も楽しんでくれよ!」
と声を弾ませた。
「おい……! 王子殿下だぞ……っ」
ささっとラルクが低音で小言を挟み、ミリアも
「レ、レイクくん!?」
と青ざめる。
レイクはハッとして慌てて頭を下げ、ぎこちなく言い直した。
「あ、えと……た、楽しんじゃってください! 殿下!」
「ふふっ、ハハハハ!」
そのやり取りを見たセシル王子は思わず声をあげて笑った。
「失礼いたしました、殿下。なにぶん言葉遣いのなっていない者でして……」
「いいえ、構いませんよ。素直で良い生徒をお持ちですね。そのままで結構です」
セシル王子の気品の中にある気さくさと温かさに、三人は一瞬で好感を抱いた。
無事に挨拶と警護配置の確認を終えたとき、控えていたヴァルガンが静かに口を開いた。
「今夜ほどめでたい式はございません。セシル王子をはじめ、国民には存分にお楽しみいただきましょう。……念のためとはいえ、いささか警護の方を外部から招くというのはやりすぎたかもしれませんな。あなた方もぜひ、お楽しみください」
その言葉に、セシル王子が親しみを込めて微笑んだ。
「ハハ、ヴァルガン。君はいつも私の身を案じてくれるね。父上が倒れられて以来、この国が平和でいられるのは君が宰相として尽力してくれているおかげだ。君の助言には全幅の信頼を置いているよ。だが、彼らの力もきっと今夜の安心に繋がるはずだ」
ヴァルガンを父親のように心から信頼し、全幅の情を寄せるセシル王子。
ヴァルガンの言葉は一見、王子への気遣いに聞こえた。だが――その裏にある「余計な真似をするな」という暗黙の牽制を、ラルクは見逃さなかった。
「お気遣い痛み入ります。しかし、これも任務ですので。お気持ちだけいただきます」
「……そうですか」
「えぇ」
ヴァルガンとラルクの間で、ピリリとした視線が交差する。
表面上は柔和な笑みを崩さないヴァルガンだったが、その瞳の奥には底知れない冷たさが潜んでおり、ラルクもまた一切の隙を見せずに相手を見据えていた。
◇
やがて、大広間には絢爛豪華なドレスを着た貴族や街の女性たちが集まり、舞踏会が盛大に始まった。
警護として会場の隅に立つレイクたち。だが、会場が突如として大きくどよめいた。
「……あ、ルベルさん……!」
ミリアが息を呑む。
会場の階段から降りてきたのは、ヴァルガンの魔法によって夜空の星を散りばめたような光り輝くドレスを纏ったルベルだった。その圧倒的な美しさに、誰もが視線を奪われる。
セシル王子もまた、一目で彼女に心を奪われたように駆け寄った。
「君は……!」
「王子様、覚えていらっしゃらないでしょうが、昔助けていただいたお礼を言いたくて……」
二人は引き寄せられるように手を取り合い、夢のようなダンスを踊り始める。
だが、その幸せな光景を、物陰からドス黒い瞳で見つめる者たちがいた。
「あいつ……ルベルじゃないかしら!?」
「なんであんな召使いが……! あんな豪華なドレスを着ているの!?」
会場隅にいた継母と二人の義姉たちの顔は、醜い嫉妬と憎悪でドロドロに歪んでいた。
「絶対に許さないわ……あんな生意気な娘、タダじゃおかないんだから……!」
――次の瞬間だった。
継母たちの身体から、目には見えない不気味な『黒い魔力』の渦が、どろりと揺らめき立つ。
(……!? なんだ……!?)
会場の隅で警護していたレイクが、ピクッと眉をひそめて振り返った。
同時に、ラルクとミリアも息を呑んで継母たちの方向へ鋭い視線を向ける。
(凄まじい嫉妬と悪意……いや、それだけじゃない。誰かがこの女たちの負の感情を『刺激して煽り立てている』ような、ドス黒い魔力の反応だ……!)
ラルクが警戒を強め、手繰り寄せるように魔力の源を探ろうとした――その直後。
ゴーン――……ゴーン――……
重々しく、深夜12時を告げる城の鐘が響き渡った。
その瞬間、ルベルのドレスの光が微かに揺らぎ始める。ヴァルガンが仕掛けた「手品のタイムリミット」だ。
「あっ……! ご、ごめんなさい……っ!」
「待ってくれ! 君の名前は!?」
解けかける魔法に青ざめたルベルは、セシル王子の手を振り払い、弾かれたように走り出した。
大急ぎで城の階段を駆け下りていくルベル。その拍子に、彼女の足から片方の『ガラスの靴』が脱げ落ちる。
「待ってくれーー!!」
追ってきたセシル王子が拾い上げたのは、階段に残された透き通るガラスの靴だけだった。
王子は靴を愛おしそうに抱きしめ、固く誓うように声を張り上げた。
「この靴がピッタリ合う女性を……王国中から探すんだ!!」
夜空へと去っていくカボチャの馬車を、城のバルコニーからヴァルガンが見下ろしていた。
灯りの届かない暗がりの中、男の瞳だけが不気味に静まり返っていた。




