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魔瘴  作者: 三重川智也
一章
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4/7

1-4 実験

「もういいだろう。始めようじゃないか」

 ヤツがそう言うと、バン、と後ろの戸が開く音がする。男の背後にあったクローゼットのような空間――そこには赤黒く禍々しい紋様が描かれていた。文字のような、記号のようなものが陣を組んで、奥の壁面にこびりつくようにでかでかと。

 ヤツはまるで重力なんて存在しないかのように台上から身を翻し、男の土跡がついてしまった床にその素足を、片方ずつ下ろしていく。その瞳は、ずっと男を捉えていた。

 男を見上げながら、ヤツはおもむろにローブをはだけさせた。肩を出して、胸を晒す。その体はびっくりするほど、ただの少女に見える。

 しかし男の目に映ったのは、陶器のように白く生気のない肌……だけではなく、そこに赤く浮き上がった生々しい紋様だった。

「この紋様は、私がここに縛り付けられている印だ。今からこれをお前さんに写す」

 胸元の紋様は、まるで焼印を押されたその跡が蚯蚓脹れになったような痛々しさがあった。しかし、血管のように浮き上がったそれは、ヤツの死んだ色の肌に生という朱を添えていた。ヤツの全体で、金継ぎのような美しさがあった。男は思わず魅入っていた。

「ん?なんだ、そんなに気になるか?かかっ!案ずるな。今譲ってやる」

「……いや、ダメだ」

 男は無意識に反論していた。

「その印は、お前に必要なものだ。俺が持っても意味は無い」

「意味はあるぞ。私がこの呪縛から開放されるのだ!代わりにお前さんが負うことになるがな」

「……は?」

 ヤツは今こう言ったか。俺が呪いを受け持つことになると。つまり一生……いや永遠にここで過ごすことになると?ヤツが今までそうしてきたように?

「冗談じゃない。今すぐ解放しろ。俺は死にたくてここへ来たんだ。それなのに永遠にここにいろだって?ふざけるなよ」

「かかっ!そう怒るな、今更やめるなんて無理な願いだからな!」

 全く悪びれもせずヤツはそう言い放った。

 そして次の瞬間、ヤツの纏う雰囲気が変わった。急に黙り込んで、目を閉じ、上を仰いだ。およそ聞いた事のない発音の言葉が発せられる。呪文か、知らない国の言語なのか、とにかく理解不能な音声とともに、ヤツの足が床から離れていく。

 この樹海の瘴気が、ヤツの小さな体に集まっていってるみたいだった。小屋が小刻みに揺れ始め、棚に置かれていた瓶が衝突しあってキツキツと音を鳴らしている。

「あつ……ッ!?なんだ」

 突然男の胸に、焼けるような痛みが走る。そしてその痛みを背中にも感じ始める。

 揺れが大きくなり、瓶が床に落ち始める。次第にヤツの声量も大きくなっていく。それに伴って、男の痛みも増していった。胸に熱せられた杭を打たれて、それが貫通していくような、絶望的な痛みだった。

「あ゛が……!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 男はもはや声にならない叫びを発していた。全身を縛られているため、それくらいでしか苦痛を発散することができない。

 この痛みはあとどれくらい続くのだろう。意識を保っていられるだろうか。いや、いっそ気を失った方が楽だろうか。痛い、痛い痛い痛い痛い。

 もう呪いなんてどうでもいいから、早くこれから解放してくれ――

 そんなことが脳裏をよぎった矢先だった。


 胸の杭が引き抜かれ、一気に体の力が抜けた。だらんと垂れた男の視界の先にあったのは、床に転がった少女の肢体だった。力は入っておらず、床に突っ伏して死んだカエルのように関節を曲げていた。そしてあの大きな帽子が頭から落ちて、銀色の長い髪が扇状に広がっていた。ひんやりしていて、気持ちよさそうだった。

 男は朦朧とした意識の中で手を伸ばしていた。胸につかえている温度を下げるために、彼女の髪を触る必要があった。

 男を縛っていたはずの縄がブチブチと千切れ、もはや男は止まることを知らない。バランスを崩して椅子から崩れ落ちた。

 目の前に彼女の髪がある。砂漠を歩き回ってやっと見つけたオアシスのように、男の目にはそれは魅力的に映っていた。やっと届いて――

 そう思ったらヤツはちょうど起き上がった。男は力尽きた。

「かかかっ……!やった、やったぞ!成功した!かーっかっかっか!」

 心底嬉しそうなヤツの声が聞こえる。そうか、“成功”したのか……。

 それはつまり、男の絶望を意味していた。ヤツは男に、自分の呪い――この樹海とともに自らを“固定”させていた印を写した。自分が開放される代わりに、新たに男が呪いの生贄となったのだ。

「はは……死のうとしてやってきた場所で永遠に過ごすことになるなんて、いったいどんな皮肉だ?」

 男はもう、笑うしかなかった。


とりあえず一章は終わりです。まだまだ始まりです。

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