1-2 歩み
「何年だ」
「何年?」
「何年ここにいる」
「あぁ……」
男は自然と、“何年”と尋ねていた。
……こんな見た目の少女ならば、せいぜい一年が現実的な数字だった。しかしこれまでの会話で、彼女が只者ではないことを察していた。そうなると、自ずとこう聞くしかないのだ。
「さて、どうなのだろうな」
「わからないのか?」
単純に数えていないか、それとも、数えるのも疎まれるような時間か……。
「きっと途中までは数えていたかもしれないな。ここに“固定”され、初めはどうやって出られるものかと模索していた気がするよ」
「“固定”?」
「色々あってな。要はこの樹海から出られなくなったのだ。そして代わりに、この樹海の中では“なんでも”できるようになった」
「それが……“魔法”?」
「おお!物分りが良いではないか。褒めてやるぞ」
その後も歩きながら、男は魔女との会話を続けた。わかったことは、彼女は長い間ずっとここに、独りで出られないでいること。“魔法”は樹海の中だけで使えること……。彼女がただ単にここから出られないだけなら、“縛り”や“隔離”とも言えるはずだが、彼女は“固定”という言葉を選んだ。その真意はまだわからないが、細かいことは“住処”に着いたら聞けるだろう。
それにしても、こんな生命の気配の無い樹海で「人間が」生活することなどできるのだろうか。いいや、できるはずなかった。つまり、やはり、目の前の“魔女”を名乗る少女は……。
こんなこと、もう聞くまでもないとわかっていた。だがしかし、そうは言ってもやはり、聞かずにはいられなかった。男は、自分が生きた31年間が全く通用しない異象に、興奮が抑えられないのだ。
「……生きてるのか?」
「ん?なんと言ったのだ?」
ヤツが振り向いた。琥珀色……というより、琥珀のような瞳だった。
男は問い直す。
――お前は、生きた人間か?
ドックン、ドックンと二回、男の心臓は大きく鼓動した。
「かかっ!お前さんはその答えを、もうわかっておるではないか」
ヤツは笑って、また歩き出した。男は少しの間取り残されていたが、その後、見えない何かに突き動かされるように後を追った。足が勝手に動き出していた。
間違いない、これはヤツの“魔法”によるものだと、男は思った。
周囲はすっかり暗黒に包まれていた。夜はこんなにも暗いものなのかと、これまで東京で生活していた男は痛感する。目の前に案内人がいなければ、全くどこを歩いていいか分からないだろう。そんな奥行きも掴めない視界の先に、かすかな明かりが見えはじめた。
「お前さん、見えるか?あれが私の住処だ」
そう言われても、建物のシルエットは未だ闇の中に埋もれている。男は適当に返事をして、歩みを進めた。
程なくして、ヤツが「着いたぞ」と言うと、ギギギと音を鳴らしてひとりでに扉が開いた。おそらくはまた“魔法”の仕業だ。
未だに全体像は見えないが、そんなに大きくない木製の小屋だということはわかった。
「さ、入った入った」
ヤツは体をこちらに向けずに手招きをした。小屋の中も真っ暗だったが、ヤツが入った途端にポッと灯りがつく。
男は魔女の住処に足を踏み入れた。
中は思ったより綺麗だった。四方が棚に囲まれ、さまざまな怪しい液体や乾燥物が所狭しと並んでいたが、きちんと整頓されている。中央には作業台と思しき長方形の机があり、その上にはランプと多少の道具が散らばっていたものの、少なくとも俺の住んでいたアパートの一室よりは整理が行き届いていた。
しかし、当たり前だが、全体的にヤツのサイズに合わせられているためか、男にとってはかなり狭い空間だった。
「すごいな。動かなくても色々と作業ができそうじゃないか」
「かかっ!お前さんにも良さがわかるか?過ごしやすくて良い場所だろう」
男の嫌味は、ヤツには通じないようだった。
「それはそうと、お前さんには早速弟子として手伝ってもらおう。準備しているから聞きたいことがあれば適当に聞いてくれ」
「……おい、俺がいつ、お前の弟子になると言った」
「ん?私が“なれ”と言ったのだからなれ」
ヤツは声色を一切変えずにそんなことを言った。
「そんなの滅茶苦茶だ」
男は言い返そうとしたが、バタン、という重々しい音に遮られる。振り向くと、扉が閉まっていた。
ランプの炎が揺れる。ヤツはこちらを向いてすらいなかった。
男は扉を開けようとしたが、押しても引いてもびくともしない。鍵なんてかかってはいなかった。ドンドンと叩いていると、ヤツは口を開く。
「お前さん、何か勘違いをしていないか?」
ヤツは作業を進めながら話していた。
「お前さんはこの樹海に足を踏み入れて私に会った時から、運命が決まっていたのだ。私の“この実験”に付き合うとな。嫌だと言っても、死にぞこなったのが運の尽きだ」
ヤツの言葉には妙な説得力があった。受け入れるしかないと思えた。なぜなら、未だに信じられないが、ヤツの“魔法”は本物だから。小細工もなしに、触れることなく縄を切り、脚立から落下させ、扉を閉じた。今だって、怪しい薬瓶がヤツの周りに浮いている。“なんでも”できるというのはハッタリではないんだろうと思えた。
男は、目の前の、自分よりずっと小さな少女に敵うイメージができなかった。




