第89話 不穏な空
正直言って、失敗した。
事件が解決しそうだと考えてしまい、焦って容疑者に詰め寄ってしまった結果……その子は深いトラウマを覚えてしまったかもしれない。
『シロちゃん』。彼女の顔は傷ついていた。そんな子が覆面を被っているんだから、理由は想像つく。
あの後の強い拒否にも鑑みて、その傷を見られたくなかったのだろう。
なのに僕は見てしまった。
「はー」
ため息しかでない。僕はいつから、人に寄り添わなくなっていたんだろう。
僕の脳裏をよぎるのは、お父さんが無気力となり悲しんでいた男の子の顔。
あの子は今どうしているのだろうか。ちゃんと帰れたのかな。
それすらわからないんだから、最近の僕は体たらくなんだ。
焦りすぎるな。
気をつけろと師匠から言われたばかりなのに、見落としていた。
僕自身の焦りについて。
「……」
「わ!」
「……!?」
僕は驚いて体を強く震わせた。そして追撃のように頬に冷たいペットボトルが当てられる。
「つめたいっ!」
「へへ、すまぬな相棒よ」
ノホホンとした表情で後ろからそう言ってきたのは、陽向さん。
おっと、自己紹介が遅れたな。
僕の名前は空錠鍵斗。『鍵使い』であり、アークロックのリーダーだ。
そんな僕は今、ベンチで休憩していた。
陽向さんは用事があるとかなんとか言って、僕から離れていたが……まさかの用事とは飲み物を買いに行くことだったのか。
「これあげる」
「……ありがとう」
その優しさに感謝しながら、僕は水を貰う。
陽向さんは僕の傷心を察してくれたのか、こう言ってくれた。
「ごめんね、私もボーっとしちゃって、止められなかった」
チョップをするように手の側面を見せて謝ってくれた陽向さん。でもそれは必要ない行為であるため、僕はこう返す。
「謝らなくていいよ。僕が悪いんだし。……それよりさ、どうしようこれから」
「そうだよね〜。作戦崩壊だよ」
「だね」
ごくごくと飲んだ水は澄んでいて美味しい。流石は金持ち学校に置かれている自動販売機の飲み物だと感嘆しながらも、僕は空を見る。
黒くなっていく空一面の雲は、僕の気分をどすんと落とした。
「アークを使うには、アークが開いていないといけない。だけど、まだ確認していない『忍者ちゃん』を除いて全員アークは閉まっていた」
「そして『忍者ちゃん』は無気力になっていた姿を見られている」
「……鍵使いがいたら、話は別なのかな?」
「鍵使い?」
「うん。鍵使いがいたら、アークの開け閉めができる」
「……! じゃあそれが!」
僕から希望を見せておいてなんだが、僕は首を横に振ってこう言った。
「でも、鍵使いが閉めたか開けたかはなんとなくわかるんだ。開ける際の強度が違うっていうか……。だからわかるんだけど、鍵使いは多分関与していない。
そう何人もいないしね『鍵使い』は」
「……じゃあ、どういうことなんだろう」
陽向さんも疲れたように空を見つめる。
なんだか最近の陽向さんは静かだ。いや別に普通の人と比べると明るいんだけど、なんというか……
奇行が減っているような気もする。
なんとなくなんだけど。
そんなことを考えていると、陽向さんはこう呟いた。
「容疑者絞りが間違ってたのかな」
「……」
僕は思い出す。陽向さんが、事件のあった時間に学校にいなかったひとをまとめてくれたことを。
つまり、容疑者が漏れていたのだとしたら、陽向さんのせいになる。
といっても、誰も責めないし、陽向さんが絞ってくれなかったら捜査の時間も大幅に伸びていたから、みんな感謝しているのだが。
それでも陽向さんは責任を感じるだろうから、僕はリーダーとして彼女にこう伝えた。
「陽向さんは間違ってないよ。でも念のために、僕は片っ端から女の子に触れて開いているかどうかを確認してみる。もちろん、強引にはやらない。ちゃんと配慮してだ」
「わかった、じゃあ私も」
「いや……」
僕はその言葉を止めて、こう返した。もとより、考え方が間違っていたんだ。
僕は無意識に、アークを気にしていた。普段からアークに関わっているからだ。
でもこれは事件。
人が関与したもの。
捜査なんだから、事件を探るべきなんだ。
アークじゃない。
「アーク関連は僕がなんとかする。だから陽向さんに頼みたいことがあるんだ」
それは、君じゃないとできないこと。
「容疑者の動機について探ってほしい。普通、こうやって推理は進めるんだった」
「……鍵斗くん。うん、それなら得意かも! 任せて!」
明るい笑顔を見せながら、陽向さんはそう言ってくれた。僕は頷いて、こう返す。
「容疑者リストは変えない。アークが開いてなくても、あの六人が怪しいことに変わりはないんだ。よろしくね、陽向さん」
「おうよ! 任せろい!」
僕は陽向さんの返事を聞いて、元気をもらう。アークロックは、たとえ一人が折れたとしても、他の人間が支えるチームだ。
パズル理論を忘れるな。
みんなで、突き進むんだ。
□■□■□
そして、別の場所では……山田穂火が勇気を振り絞っていた。
「いのちゃん!」
ようやく見つけた親友の姿を視界で捉えた穂火は、笑顔で彼女に駆け寄る。
そして、考えておいたプランを実行した。
「……ほの」
そう。彼女の顔など見ずに、彼女のペースも考えずに、ただ、プランを走らせる。
そこに、ダークネスなどとふざけている余裕などなかった。
場所は教室。摩白祈莉の友人がおり、多くのクラスメイトが穂火の声に驚き視線を向ける中、
祈莉の困惑など無視して、穂火はこう言った。
誰も口を開かないその雰囲気は、穂火の場違い感を強く印象づける。
「我! 炎の精霊と契約せし山田穂火!」
周りの人間は、まるで珍獣でも見るように穂火を見つめる。
「摩白祈莉と契りを交わした親友であり、ソナタと邂逅せし地獄の番人!」
そして穂火を、やっと人間なんだと理解した女生徒たちは、口々にその可笑しさから、笑いをこぼす。
「今こそ我と再契約を結びし、あの頃の盟友を復活させよ!」
そう言って穂火が腰のポーチから取り出したのは、あの時の写真だった。
天使のような格好をした摩白祈莉が、悪魔のような格好をした山田穂火と決めポーズをとっている写真。
それがなんだか理解した祈莉は、反射的に穂火の手を叩いた。
手からこぼれ落ちた写真を、誰にも見えないように、足で踏みつける祈莉。
「いの……ちゃん?」
その光景は、あの穂火の口をも閉ざさせる。
詠唱も、写真も、思い出も、グシャリと潰れる。
周りの奇人を見るような視線と笑い声の中、祈莉は、涙を散らしてこう言った。
「なんで、こんな酷いことするの? なんで!?」
「……」
穂火は、力を込められて少しずつ潰れていく写真を見て、絶句した。
踏み潰されたそれは、思い出の否定。
親友からの、拒絶の証。
「ごめんだけど山田さん。もう私と……関わらないで!」
そう叫んだ祈莉の顔は、リンゴのように真っ赤に染まっていた。
祈莉の近くにいた祈莉の友達も、何かを察したのかそっと祈莉から離れる。
祈莉はそれに気づいて、歪んだ表情を浮かべた。
すぐに足元の写真を拾い上げ、ぐちゃぐちゃにしてから自身の胸のポケットに入れて、友達にこう言った。
「ごめん、変な子に絡まれちゃってさ」
「あ、はは。だよね」
穂火の目には、親友だった者の背中しか映らない。
穂火にとって、祈莉の拒絶は、例えば、今は忙しいから、のような、軽いものだと考えていた。
だが違ったのだ。
摩白祈莉は、クラスの人気者。たくさんの友達と一緒に、明るくなった自分を見せて生きている。
そんな彼女が最も恐れていることは、中学時代の暴露。それによる友達の喪失。
山田穂火とは、摩白祈莉にとって、天敵であったのだ。
ゆえに、祈莉は穂火を拒否する。
だけど穂火の目には、それが……自分が大切にしていた思い出の死体蹴りのように映って、彼女は
穂火は
我慢ならずに、涙を流して教室から走り去った。
山田穂火の源流にある中二心は、今、この瞬間に、
ぽきりと折れた。
唯一の親友は、彼女の知らないところで、彼女を……思い出を……捨てていた。
穂火には、そうとしか思えなかった。




