第86話 存在しない対等
改めまして自己紹介を。
僕の名前は水沢零。アークロックの一員だ。
そんな僕は、今日の会議を終えて、何事もなく帰宅し、自室にてちゃぶ台の上に置いた『桃太郎の腕輪』を見つめていた。
今日の戦いで、あの腕輪は一瞬だけど、僕の腕に巻き付くように出現した。
不思議と、大丈夫かと助けに来たかのように。
でも、桃木島での出来事を考えると、そこには悪意があるようにしか思えなかった。
正直言って、もう一度あれに触るのは怖い。
もう、戻って来られないような気がするから。でもどこか魅力的で、僕は目が離せずにいるんだ。
あの時、『桃太郎の腕輪』が見せた幻影のようなもの。うっすら見えた謎の男の背中は、今思えばおとぎ話の桃太郎のようだった。
もしあれが桃太郎なら、なにか、大きなものに繋がっている気がして、どうにも気になった。
でも、もう失敗はしたくない。
鍵斗先輩に失望されたくないし、穂火に馬鹿にされるのも勘弁だ。
でも……どうしてかな。
僕はそれから意識を逸らせないんだ。
弟である百が突然部屋にやってくる。百はこう言った。
「お兄ちゃん、ご飯だって!」
「ああ、わかった」
とにかく僕は、悩みを置いたまま家族で夕食を囲む。そして、夕食を終えて、部屋に戻り、『桃太郎の腕輪』に……
触れた。
考えたんだ。食事中ずっと……どうするべきなのかと。
答えは出た。
曖昧に残さない。
きっとこのまま、死ぬまでこれを無視し続けても、死ぬまでモヤモヤするだけだから。
僕は、どんな底なし沼でも足を入れられる勇気を……桃木島での修行で得た。
正直言うと、もう逃げるのは嫌なんだ。
僕は……僕だって……アークロックの一員なのだから。
そっと指先が『桃太郎の腕輪』に触れて、視界が黒く塗りつぶされた。
見える景色は日常から非日常へと変わり、僕の身体から力が抜けてバタンと倒れる。
気絶するように眠った僕は、ある世界にいた。
直感でわかる、ここは夢のような世界。つまり……『桃太郎の腕輪』の中だった。
目の前には、桃色の陣羽織に身を包み、ポニーテールのように髪をまとめ、白い鉢巻をつけている者の背中がある。
僕はそっとそいつに近づいて、肩に触れた。
振り返ってこちらを見たそいつの顔は、真っ黒に染まっていた。
そして現れるのは、歪な顔。潰されている目、叫んでいる口。
喉の奥で突っかかる悲鳴。
本能に恐怖を与えてくる、悍ましいなにか。
僕はそいつに飲み込まれ、気づいた時には、知らない場所にいた。
『むかーしむかし、ある所にお爺さんとお婆さんがいました。
お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。
そこへ、どんぶらこ、どんぶらこと桃が流れてきます。お婆さんはそれを見つけ、家に持って帰りました。
そこへ!
山賊が現れました。山賊は赤ちゃんを抱いた女性を追っています。
お婆さんは急いで桃を切って、山賊と女性に食べさせました。
するとあまりの美味しさに、みんなが争いを忘れ、幸せになったのです。
山賊は財宝を出して残りの桃をせがむくらい。
お婆さんとお爺さんは困りましたが、女性が、
赤ちゃんをやるので桃をください
と言って、それなら……とお爺さんとお婆さんは、赤ちゃんを受け取って、桃を渡しました。
そして家に迎えられた男の子に、桃で授かった息子だから
桃太郎
と名付けたのです。
それから桃太郎はすくすくと成長しました。
そして、桃太郎は馬車馬の如く働きます。お爺さんとお婆さんに恩を返すために、頑張ります。
幸い桃太郎には才能がありました。あらゆる分野で意識が飛ぶほどの努力を繰り返し、成長し、活躍し、金を稼ぐ。
そして全ての賃金をお爺さんとお婆さんに還元することで、彼は満足していました。
そしてついに、鬼ヶ島の噂を聞きます。
お爺さんとお婆さんから金銀財宝を盗んだのが、鬼だったのです。
そして、桃太郎はお婆さんが作ったきびだんごと、お爺さんが作った立派な刀を腰に差して、旅に出ました。
その先々で、犬、雉、猿と出会い、桃太郎は冒険を続けました。
そしてついに、人の仲間を得ます。
遅くまで語り明かした大切な仲間。同じ目標を追いかける同志。
そんな彼らが、起きたらふと消えていました。
テントの中には、金もない。
外を探しても、犬、雉、猿はいない。
桃太郎は不思議に思い、探しました。
そしてついに見つけたのです!
《犬雉猿のスペシャルメニュー。丸ごと一頭使った、ボリューミーな料理です》
そうでした。
犬、雉、猿は……売られていたのです。
仲間だと思っていた、人間によって。
「あ、ああ……」
純粋な桃太郎は、驚きました。
裏切りを、初めて知ったのですから。
桃太郎は強いショックを受けて、三日三晩走り続けました。
涙を散らしながら。
無意識にその足は実家へと向かっていて、桃太郎はお爺さんとお婆さんに慰めてもらおうとしたのです。
ですが……家の外から、家の中の会話を聞いてしまいました。
「きびだんごを動物なんぞに使いおって」
「あれはあの子のために丹精込めて作った特注品。人を魅了できる力があるというのに。あの子は変に純粋だから」
「だがいいではないか、あいつは金を運んでくれる。あいつが生み出した金で幸せを味わい、あいつが持って帰ってくる財宝でワシらは死ぬまで安泰じゃ」
「でも、流石にやりすぎよ……
人を雇って仲間を引き剥がすなんて」
「仕方ないだろう、動物なんかと話していたら、閉じこもった人間になってしまう!」
ぽちゃん、と、大きな涙が落ちました。
桃太郎は知っていたのです。
知っていて、無視していた。
赤ちゃんの頃から母に売られ、成長してからは育て親の肥やしにされる。挙げ句の果てには、偶然出会った大切な仲間は、親のエゴで殺された。
生まれてずっと、
利用され続けてきた男。
桃太郎は泣きました。
桃太郎は叫びました。
桃太郎は……この世を恨みました。
その強い願いが桃太郎を突き動かし、アークが生まれます。
それは、二度と裏切られない、仲良くなる工程を省くことができる、『支配のアーク』。
桃太郎は自暴自棄になり、鬼ヶ島へ向かいました。たった一人で。
そして、心の穴を埋めるように、鬼を支配したのです。
その後、この島は桃木島と呼ばれる。
だが、桃太郎は満足できなかった。どこまで行っても空っぽで、どこまで行っても喜びを得られなくて、
人生に失望して、
彼は支配によって奪ってきた寿命を放棄しました。
ただ、作り上げた王国を捨てたくなくて、彼は『支配のアークリオン』を自身から分離し、彼にこの王国を託したのです。
そんな桃太郎は、死にました。
人生に失望しながら。
ああ、落胆。ああ、絶望。
その顔はまるで……悍ましい、叫びでした。
桃太郎は目を閉じます。
もう何も……見たくないから。』
「……!!」
気づけば、僕の体にまとわりつく無数の黒い手があった。
視界を埋めていたのは、これだったか。
僕はそれに支配される。
記憶も、思考も、願いも、全部、全部、消えていく。
もう、何も見たくな……。
声が聞こえた。
「諦めるな、水沢零」
「……」
その声は、こんなことを言ったんだ。
「勇気を持て。それが、伝える力であろう!!」
「……!!」
この暗闇の中で、僕の手を引っ張ったものがいた。そいつの顔が微かに見えた刹那、僕の意識は現実へと戻される。
「……なんだ! 今の記憶!」
「今のは、桃太郎。オレの原点の記憶」
「……その声は、まさか!!」
僕の脳内に直接語りかけてきたのは、あの時、桃木島でアークロックと激戦を繰り広げた……
「そうだ。オレは『支配のアークリオン』。水沢零、お前のおかげで蘇れた」
「……!」
取り返しのつかないミス、取り返しのつかない勇気。僕は冷や汗を垂らしながら、『桃太郎の腕輪』から、ホログラムのように出てきた『支配のアークリオン』を睨む。
だがやつは、優しい表情でこう言ったんだ。
「友達になろう、水沢零。そして救ってくれ、オレの原点、桃太郎を……」
「……何を言って」
僕はこの展開が理解しきれていない。でも、心の中で、どこか他人事のように思えない彼の心。
桃太郎の叫びは、確かに僕の心に、こびりついてしまった。




