第59話 女の子になる瞬間
夏休み終了まで、残り八日。
限りある休日を大切にしなければならないな、と思いながら、まだ終わっていない夏休みの宿題の束を見つめる。
そして僕は、秘密裏に入手した制服が入った透明袋を四つ手に取って自室を後にした。
今日の僕はやる気ありだ。
なぜなら今日は……。
僕は家を出て、階段を降りる。そして『鍵屋ガッチャン』に入り、店員として働いている大学生の絵美さんに挨拶する。
思えば、絵美さんは僕が幼い頃からここで働いている謎めいた女性だ。
出身地とか、好きなものとかは聞いたことがあるし、昔から遊んでもらっていたけど……なんでここで働いているのかは聞いたことなかったな。
師匠の知り合いなのだろうか。僕には近所のお姉さんとしか知らされていない。
今度さりげなく聞いてみるか、などと思いながら、僕はカウンターに入り、そのまま奥の『アークロックの基地』に入った。
「お、来た来た〜!」
「空錠先輩、おはようございます!」
「鍵斗先輩、今日はなんの集まりなんですか?」
陽向さん、穂火ちゃん、零くんが次々と声をかけてくれた。
どうやら僕が一番最後だったらしい。
おっと、自己紹介が遅れたな。
僕の名前は空錠鍵斗。『鍵使い』であり、アークロックのリーダーだ。
そんな僕は、師匠が不在なことを確認し、今日の集合理由を話そうと決めた。
陽向さんに「それじゃあ」と目配せして、みんなが座っている近くの椅子に座る。
一つの丸テーブルを囲んで、四方に配置された椅子の一つに座るイメージだ。
そして僕は机の上に四つの制服を並べる。陽向さんはポーチを取り出した。
そして僕は語る。
「昨日、師匠からあるミッションが与えられた」
穂火ちゃん、零くんはごくりと喉を鳴らす。陽向さんは涼しい顔で、かつ小さく微笑んで聞いていた。
僕はこう続ける。
「『美佐土女子高等学校』、通称美佐校で、ある事件が起きた。それは……『無気力症候群事件』と呼ばれている。
詳しく語ると、ある日突然……ぱったりと感情を失ってしまう事案らしい。
聞いた話によると、生きる希望を失ったようだったと。
つまり、突然『願い』が無い状態になるようなんだ」
「……願いが消えた? それって!」
穂火ちゃんは気づいたようでそう口にする。僕は頷き、こう続けた。
「そう。そしてその事件の裏には『アークリオン』がいる可能性が高い」
穂火ちゃんは「あ、そっちなんですね……」と呟き小さく身を縮めた。
一体何を考えていたのだろうか。すごく気になるが、あまり有用なものが聞けるとは思えなかったので、僕は無視してこう言った。
「これは昨日の夜に調べてわかったんだけど、被害者は三名いるらしく、いずれも夜まで学校に残っていた生徒が狙われていたんだ」
零くんは「夜行性のアークリオン?」と呟く。僕は「うん」と頷いて、こう続けた。
「夜行性というか、隠密性かな。今回の事件を大事件たらしめているのはそこなの。
『アークリオン』が『見つからない』んだ。
これは僕の仮説だけど、今回のアークリオンは何かが違う。
もしかしたら、桃木島の時のように……強い意志を持ったアークリオンなのかもしれない」
最後に陽向さんがこう付け加えてくれた。
「だから探すの。隠れちゃってるアークリオンは、美佐校のどこかにいる。私たちでそれを見つける! それが今回のミッション!」
そして僕がこう言って、情報共有は終わった。
「そう! そしていつものように、美佐校の幸せを守ろう」
穂火ちゃんと零くんは、理解を示すように頷いてくれた。
そして、零くんはもっともなことを言う。
「でも、美佐校って女子校ですよね? 僕と鍵斗先輩は入れないんじゃ?」
そこで、陽向さんが目を輝かせてこう言い始める。
「だからするんだよ! 女装を!」
「……え?」
陽向さんはメイク道具を見せて、こう言う。僕は持ってきた四つの『女性用』制服を見せた。
「零くんも、女の子になるんだよ!」
「え、ええ!?」
驚く零くん。
気持ちはわかるよ。でもね、諦めるしかないんだ。僕も女装するのだから。
穂火ちゃんは、そんな零くんを見て「ぶふぉ!」と吹き出していた。
僕は、達観して腕を組んでみせた。
■□■□■
僕の名前は空錠鍵斗。
情報共有が終わり、僕は今……ひ、ひ、陽向さんの股の間にいた!?!?
あ、頭がおかしくなってしまいそうだ。
陽向さんは僕をできるだけ女の子に見せるために、メイクをしてくれている。だが、メイクってこんなに近くでやるものなのか、
陽向さんは股の間に僕を入れて、超至近距離で前に座って僕の顔をいじっているのだ。
やばい。匂いだけじゃない、ちょこちょこ足に触れる陽向さんの足が、余計に神経を敏感にさせる。
顔を走るペンの感触も、凄まじい勢いで心をノックした。
今、僕は……女性用の服を着ている。
ゆえに下半身はスカート。素足が……素足が触れるのはウブな僕にはまだ早すぎた。
そんな緊張の最中、陽向さんは呆れるように笑って「あはは、顔真っ赤すぎてチーク塗ったかわかんないよ〜」と言ってきた。
チークが何かわからないし、そもそも顔が赤いのにも気づかなかったので、僕は余計に恥ずかしくて赤面する。
でも、これはミッションのためなのだ。
僕は鋼の精神で、真顔を保った。それはまさに、菩薩である。
「鍵斗くん、なんか怖いよ?」
だが僕は、その返答にすら反応しない。
『無』。その感情を極めていた。
途中、陽向さんが何かを言っていたが、僕の耳に届くことはなかった。
そして気づくと十五分が経過しており、陽向さんの「終わり!」という声で意識が戻る。
僕はハッとして、陽向さんが見せてくれた手鏡に映る僕の顔を見た。
こ、これが私!?
思っていたよりも女の子になっており、僕は驚きのあまり自分の顔に触れようとした。でも「あんまり触らないで」という陽向さんの優しい声に制止され、腕を止める。
これは、悪い気はしなかった。
これがメイクの力、これが僕の顔か……と思いながら、僕は鏡に映る女の子を見て少しあざといポーズを取ってみたり。
しかし目の前に陽向さんがいることを思い出し、スッと彼女の顔を見てみると、なんだかニヤニヤしていた。
僕は恥ずかしくなり「ありがとう」と言って席を立つ。
そして背中を見せた時、陽向さんの声が聞こえた。
「あー……」
その、何かを諦めたような声は、僕の心配を煽る。大丈夫かなと考えていると、クッキーをもぐもぐと食べていた穂火ちゃんがこんなことを言った。
「空錠先輩って、男の時はそこまで気にならないのに、女になった瞬間、肩幅が目立ちますね」
「……え!?」
僕は姿見で全身を確認する。背中を映して、首だけ曲げて後ろを見た結果、その姿はまさに武闘家のようであった。
これは……まずい、男の骨格だ!!
「ひ、陽向さん……」
僕は助けを求めるように陽向さんにそう言ったが、陽向さんは「ま、だいじょーぶ!」とお気楽に返して来た。
本当に大丈夫なのだろうか!?
僕は穂火ちゃんを見る。穂火ちゃんは新品の透明袋に入ったタイツを僕に見せて来た。
そしてこんなことを言う。
「空錠先輩、毛は無いから分かりづらかったんですけど、足もやっぱり男なんで、タイツをおすすめします」
「え……」
僕は言われるがままにタイツを履いて、ガクッと残念そうに穂火ちゃんが座っているソファに、並ぶように座った。
そしてこう訊く。
「大丈夫かな……?」
穂火ちゃんは、ミルクを飲んだ後、こう返してくれた。
「大丈夫ですよ。てか……女の子がみんなスラっとしてて、華奢な骨格してるなんてあり得ないんですから、ははっ」
まるで絶望しているかのように乾いた笑いを浮かべる穂火ちゃんは「見てくださいよ、これ」と言いながら、服の上から自分の腹を掴む。
むにっと掴んだその腹は、ぷくっと膨らんでいた。
「私、最近また太ったんです。太ももも大きくなって来たし、世の中そんなもんなんですよ」
「……女の子は太りやすいっていうもんね」
「そうなんです。空錠先輩は陽向先輩を見続けているから感覚がおかしくなってるんですよ。陽向先輩はいわゆるモデル体型です。あれ、相当努力してますよ。私みたいに間食してるとこあんまり見ないですし……」
「……そうだったんだ」
僕はスマホを触っている陽向さんを遠くから見つめた。あの自然とあるような身体も、努力の賜物なのだと知れた。
そんな僕の横で、穂火ちゃんは「あ、これ零には内緒ですよ。言ったらデブとか言われちゃう」と言っていた。
僕は「流石に零くんはそういうこと言わないんじゃ無いかな」と苦笑いを浮かべたが、穂火ちゃんは「言いますよ、零は」と言っていたので、
穂火ちゃんにしてみれば、零くんは言う男なのだろう。
僕はウィッグを付けて長くなった髪をイジりながらこう答えた。
「でも、ありがとう。男が女装したら、やっぱりこうなるよね」
そのタイミングで、
陽向さんのメイクを気絶しそうなので断り、自分の力でやることにした零くんが、メイクが終わったのか更衣室から現れた。
その姿は、
すらっとした身体に、高い身長、ここまでは男の時と変わらないのに、
ウィッグを付けたことで少しだけボリュームを得た肩くらいまでの髪に、ほんのり追加したメイクにより女性感を持たせ、パットを入れたのか胸もあり、すらっとした素足がスカートから見えて、それはもう……王子様系女子として完成した姿であった。
男が女装したら僕のようになるとはなんだったのだろうか。
しかもパッと見た感じ、零くんは僕と違って厚化粧ではない。
零くんは「気乗りしませんが、とりあえずしてみました」と言う。
陽向さんは「うお! 素材の味!?」と言いながら、まるで眩しいものを見たかのように目を閉じた。
穂火ちゃんは僕の肩に手を置いて、こう言う。
「世の中こんなもんですよ」
「くそぉ……」
僕は女装して初めて、ルッキズムの世界に触れた。
零くんは言う。
「これから女子校に行くんですよね。大丈夫かな……」
僕はなんだか悔しくなったので「すぐに行こう。さっさとこの服を脱ぎたい」と言って、行くことを決めた。
よくよく考えれば穴だらけなこの作戦だけど、とりあえずアークロックのアドリブ力に任せて突っ走ってみようと思う。
零くんは、ふと鏡に映る自分を見て気絶しそうになっていた。




