第49話 願いは永遠に
荒々しく動いていた波は、静寂を取り戻す。雄々しく吹いていた風も、音を無くす。
空さえも、平凡な青空に変わっていた。
まさに、日常の風景。
だがその場に、赤い血溜まりが広がっていく。
この静寂は、まるでそれを畏怖しているかのように、非日常をパッと塗り替えた。
まさに、沈黙。
この場の誰も、口を開かない。
しかし、その掟を破るように呟く者がいた。
決して閉じぬその口は、『詠唱』を続ける。
赤い血溜まりの中に倒れ伏しながらも、彼女の口は動き続ける。
目元は暗く、表情は見えない。
だが……彼女には確かな、恐怖があった。
それに怯えた『支配のアークリオン』は、すぐにでも山田穂火を殺そうとした。
だが、『鬼の槍』は穂火の手を離れ、空中でそれを防いだ。
「なんだと!?」
まるで透明な誰かが槍を持つように、槍だけが動いている。まさに、念力であった。
だがその力は、山田穂火に忠誠を誓っている。
それは……一つの詠唱の力であった。
「……なんだ、何を話している?」
「……」
ブツブツと呟く穂火の声は、耳を澄まさないと聞こえない。だが、そっと寄り添うことで、声が聞こえた。
それは……『鬼の槍』の力を解放する、最後のピース。
■□■□■
二日前。
山田穂火はツキバアとこんな会話をしていた。
「独身!?」
穂火はそう叫ぶ。その言葉にムッとしたツキバアは、拗ねたようにこう言った。
「悪かったな、独身で。じゃが聞いても面白くないじゃろ、年寄りの恋愛話なんて」
穂火はかぶりを振る。
槍の修行でボロボロになった穂火は、小さな疑問を投げかけた。
「でも、ツキバアって若い頃美人そうだし、モテそうなのに、言い寄ってくる男性とかいなかったんですか?」
そう投げかけた時のツキバアの表情は、不思議なもので、少ししんみりと柔らかくなっていた。
そんな彼女は、こう返す。
「いたさ……たった一人だけな」
「……」
穂火は、その雰囲気に混じり、真剣な表情を浮かべる。そして、ツキバアの話を聞いた。
それは……儚くも美しい恋物語。
■□■□■
そんな恋物語を、戦闘中に挟む余裕はない。だが、穂火は確かに思い出していた。
あの日のお話を。
そして、一つのキーワードを。
それは、『詠唱』であった。
これは山田穂火が考えた詠唱ではなく、『鬼の槍』に付属した詠唱。
その思い出と共に語られたのは、『預言者』による書物。
神の言葉を綴りしそれは、二日前、穂火の手に渡る。
『鬼の槍』と共に桃木島に送られたその書物は、『鬼の槍』の力を引き出す詠唱なのだ。
だが、穂火にとってそれは、異質なものだった。
一見すると、ただの書物。読んでもただの詠唱。
だが、詠唱ソムリエである穂火からして見ると、それは少し不可解な詠唱であった。
よく読んでも、意味が伝わらない。
ところどころ意味のわからない言葉もある。
そんな、謎の書物。
穂火はそれが気になり、その書物を夜更かしして読み込んだ。そして一つのことが判明する。
これは……これは……。
それは、反撃の狼煙であったと。
「黄昏の季節。昭和の核が45を示す時、汝は我を見つけた」
穂火の声を聞いた『支配のアークリオン』は、身の毛がよだつ謎の恐怖を覚えながら、雉に命令して着地した。
そんな『支配のアークリオン』をギロリと見つめた穂火の瞳は、獲物を逃がさないように視線を変えない。
そのまま、穂火は槍を手に戻し、地面に槍を突き刺しながら立ち上がった。
ゆっくり、ゆっくり。
その間も詠唱は続く。だが、それはもはや隙とは言えなかった。
獅子の眼力のように、睨まれたこの場の全ては静寂する。
『支配のアークリオン』ですら、例外ではなかった。
「地球の鼓動湧き立つ桃の島より出でし汝は、我を見つけ、天使の呼吸を放つ。我、汝を見つめ、虎の心を奪われし」
ブワッと穂火から溢れたのは、真っ赤な炎。まるで、穂火が大きなキャンプファイヤーになったようだった。
「空虚なる壁で阻まれし我らは、三つの神器で湧き立つ世間から隔離され、人の声は、次第に雪のようにさらさらと消え、我らの足元に消えた」
「なんなんだ、その詠唱は……なんなんだ……!!」
『支配のアークリオン』は、どこか気に障る詠唱に得体の知れない憤りを覚え、怒りに身を任せて刀を抜いた。それは、桃太郎の三本目の刀……妖刀であった。
手に触れずともふわりと浮いたその紫の刀は、鋭く穂火に向けて突き進む。だが、『支配のアークリオン』を穴が開くように見ていた穂火は、簡単に槍で刀を弾き飛ばした。
「なんだと!?」
そして、詠唱は続く。
ダラダラと血を流しながら、穂火はこう言っていた。
「汝、我と相容れぬ存在なり。桃の島を治めし其方は、いずれこの場を去る運命。天使の光を放つ山々は、我らを過ぎ去るように消えていく。時代は忙しく、我は汝に心臓を握られ、離れていく其方を感じるほどに、強く痛むのだった」
「なんなんだ、その言葉は……!!」
穂火の表情は、この時初めて見える。血と土に塗れ、暗くなっていたその顔は、バサンと上げた前髪の下で、確かに前を見据えていた。そこにあるのは、一人の少女の覚悟だった。
鬼でも悪魔でもない、怖くてたまらない心を必死で抑える表情。
でも、彼女には『伝えたい』ことがあるから……止まらないんだ。
「黄昏の季節は終わり、流動の季節が参る。我は汝の瞳を幽玄の国で覗くが、虚空の世界があるのみ。我は耐えられずに、其方に契りの書物を送る。だがそれは、我の暴れる右手により防がれた。何度書いても満足できない言葉。
私は……君に何を伝えたいのだろうか」
「なんなんだそれは……詠唱なのか! もはや!!」
穂火は、槍を構えて詠唱を続ける。
「混沌なる心を定義できずに、我は一人の女性と結ばれた。もはや、裏切りは許されない。その贖罪の褒美をここに送ろう。『鬼の槍』は、我が其方のために探した最後の贈り物なり。預言者は、ここに其方への想いを綴る」
「……」
「……」
止まる空気。静寂が身を包んだこの場で、穂火だけがポツンと涙を流した。
先ほど詠唱した言葉は、『鬼の槍』と共に送られた書物を穂火が解読したもの。アナグラムで作られていた暗号を解くと、理解できる文が現れる。
それは、たった一つの恋文であったのだ。
「私は、ツキバアに聞いたの。ツキバアの恋愛を。
昔、都会で会ったかっこいい人がいて。でもその人とは役職も居場所も違って、結局結ばれなかった。
ツキバアはそんな彼のことをずっと想っていたの。
でも、帰ってきたのは謎の『槍』だけ。ツキバアはそれでも、それを大切にしてきた。
大好きな人からの贈り物だから。だから……私はこの書物を読んで、悲しかった。
少しの運命が変わっていれば、ツキバアはもしかしたら……付き合っていたかもしれないんだ」
「何の話をしているんだ……?」
瞳孔を揺らし、明らかに動揺する『支配のアークリオン』。
だが瞬時に、危機を悟った。
「待て、ツキバアだと!? しまった!!」
『支配のアークリオン』が見てしまったのは、自身の配下である『雉』。そう、『支配のアークリオン』はずっと、穂火の声を配下である『雉』と『犬』を通じて伝えていたのだ。
なぜなら、穂火の悲鳴を聞かせてツキバアの心を折るために。
だがそれが、痛手となる。
ツキバアは、その詠唱を聞いた。
なぜ、詠唱というものがあるのか。それは、『伝える』ため。
神に、精霊に、悪魔に、なんでもそうだ。人が伝えるために『詠唱』は存在した。
いつの時代も、『詠唱』は常に、大切なことを伝えるから。
大好きで、忘れられなくて、ずっと密かに思い続けていた男の本音。
それが、オレも好きだった、だと知ってしまったツキバアは、
戦闘中にも関わらず涙を浮かべてしまう。
「秋穂……」
ふと呟いたその名前は、空気に散った大粒の涙と共にツキバアの心を刺激する。
好きだよ、会いたいよ、そんな『願い』が、
ツキバアの錆びていた心の箱を、ゆっくりと洗浄した。
もう枯れたと思っていた願いは、ずっと心に残り続けていたから。
ツキバアは、ふとこんなことを思い出していた。
二日前、穂火に過去の恋愛を話した日。
山田穂火という名前を見て、笑ったのを思い出す。
なぜならあの人も、山田という名前だったのだから。
山田穂火は山田秋穂の孫。それを知ったから、ツキバアは『鬼の槍』を穂火に託した。
預言だのなんだのと、勝手な理由をつけて。
大好きな人の、大好きな孫を、守りたかったから。
「穂火……」
そして、そんな穂火が、大好きなあの人の本音を届けてくれたから。
ツキバアは、泣いてしまったんだ。
「ありがとう」
開く、心の箱。
ツキバアの枯れていた『鍵使い』の力が一時的に蘇り、自らのアークを開く。
開かれた力は、『伝える力』。
大好きだと、君に伝えたいから。
「勝てっ! 穂火ー!!」
ツキバアから届くのは、エールの力。ボワンッと穂火に飛んできたエネルギーの塊は、穂火に爆発的な力を与えた!!
「なんだ、それは! なんなんだ! それはッ!!」
『支配のアークリオン』は辟易する。
「だが、まだ……!! オレは負けんッ!! うおおおおおおおっ!!」
鬼の力が本格的に進行し、『支配のアークリオン』はもはや戻れない領域にまで突入した。
唾液を垂らし、言葉を忘れ、発狂する化け物。
だがその代償に、鬼神の如きパワーと耐久を手に入れた。
まだ……穂火の力では貫ききれない。
あと少し、ほんの少しのきっかけで……戦場は激変する。
■□■□■
家々の間を、針の糸を通すように進んでいく陽向は、遂に曲がり角で待ち伏せし、鬼の赤子の目の前に現れた。
「やっと追い込んだぞ! おりゃー!!」
そして、その手は赤子の方へ。
桃木島のバトルは、決着へと進んでいく。
最後のピースは、あなたの手の中に。




