第36話 鬼の根城
AM.8時
なんとなく、一日が過ぎるのが早く感じるようになった。
幼少期より学生の方が一日の体感時間が短くなるもので、それは経験を積んだ故の麻痺からくる。
つまりは、慣れたのだ。
僕もまた、多くの人と同じように……この桃木島での環境に慣れた。
あんなに長かった一日目は何処へ。気づけば修行が始まってから四日目になっていた。
そんなテンポよく進む毎日だが、僕は少しだけ警戒している。
理由は一つ。
今日は洞窟を探索するからだ。
あの鬼が住まう危険な洞窟の中に、きっと何かがある。だからそこを探索する。
僕は師匠に用意してもらった基礎鍵を数えながら、腰のポーチにしまっていく。
身体能力強化の鍵が四本、壁走りの鍵が二本、跳躍の鍵が二本、疾走の鍵が三本、剛力の鍵が二本、耐久の鍵が二本、感覚強化の鍵が四本、計十九本の基礎鍵。
多いと思いつつも、師匠に感謝する。
そして自室を出て、リビングに向かった。
どうやらみんなも準備ができているようで、部屋に入った僕を一斉に見る。
相変わらず暗い表情で、今にも怨霊として祟って来そうな程だった。
そんな三人に、僕はこう言う。
「みんな、僕は今日……洞窟の中に行こうと思っている」
陽向さんが、怨霊の表情からいつもの顔に戻りながら不思議そうにこう訊いてきた。
「鬼のやつ?」
「うん。この島には鬼がいる。その住処に乗り込む」
「……!」
その僕の言葉を聞いて、全員の表情が固まった。
空気が一瞬ピリつくのを感じた。だがすぐに陽向さんが和らげてくれる。
「うんうん、成長だね〜。昔なら絶対に私たちに言わずに行ってたもん」
その言葉を皮切りに、穂火ちゃんと、零くんもこう言い始めた。
「そうですね、安心します」
「気をつけてください、鍵斗先輩」
僕は頷く。そして陽向さんが、ウィンクしながらこう言ったんだ。
「危ないって思ったらすぐに帰ってくるんだよ!」
僕はそれに笑顔で返した。まったく、気持ちのいい仲間と清々しい朝である。
「了解。三人も頑張ってね」
「うっ!」
「ぐっ!」
「おげっ!」
僕の一言を聞いて、なぜかダメージをくらう三人。
こういう日常にも慣れてきたけど、大切なものなんだ。
僕は、胸の前に手を持ってきて、強く拳を握りしめた。
■□■□■
AM.10時
洞窟に行くと言ったが、まずはツキバアだ。今から彼女に会いに行く。
僕は穂火ちゃんの修行場所である神社に行き、お辞儀をする。するとツキバアはこんなことを言った。
「穂火は自主練じゃ。書物を読んでいろ」
「はい!」
穂火ちゃんは目を輝かせて答えていた。見ていると、彼女は何かの巻物を読み始める。
中二病な彼女が好きそうなものだと思いつつ、僕はツキバアを見た。ツキバアはこう言う。
「して、何の用じゃ?」
僕はツキバアの目を見て、こう話した。
「前に鬼について話したんですけど」
「うむ」
「この島に鬼がいるのは確かです」
「……それは本当か?」
目を大きく開いたツキバアを見て、僕は確信する。彼女は何かを知っていると。
だがそれは穿ち過ぎであったようだ。
彼女は顎に手を当てて考えた後、こう言う。
「すまないな。前は頭ごなしに否定して」
「い、いえ」
謝られることは想定外であり、少し面食らう。
ツキバアは背中が痛むのか、背中を叩いた後、僕にこう言った。
「長くなりそうじゃ、そこの切り株に座れ」
「は、はい!」
僕は切り株に座る。ツキバアは落ちていた木の棒を地面に突き刺し、その上に足を曲げながら立った……いや座ったのか。
「……それ、リラックスできますか?」
まるでどこかの仙人の様な格好に、僕は訝しむ心で苦笑いを浮かべてそう言った。だが彼女は、「気にするな」と言いながらこう続けた。
「まず言っておこう。ワシは鬼については知らん。人生で一度も見たことがない」
「……っ!」
「じゃが、知っていることはある」
「……!」
ツキバアは、その神妙な面持ちを僕に見せてこう続けた。
「鍵斗よ、アークリオンのイメージとはなんだ?」
「イメージ?……怪物ですか?」
「その通りじゃ。アークリオンは、いわば人ではない異形の見た目をしておる。
古今東西、その様な生き物は確認されているじゃろう?」
「……まさか!」
「その通りじゃ」
頷くツキバアを見て、僕は喉を鳴らす。そう、つまり鬼とは……。
「昔の人は、アークリオンをこう呼んでいた。『妖怪』……と」
「つまり鬼は……」
「うむ。アークリオンの可能性が高いだろう」
その聞き馴染みのある『アークリオン』という情報は、不明瞭だった鬼の情報にラベルを付ける。停滞していた思考が濁流に飲み込まれたかのように一気に繋がり合う。
僕は笑みを浮かべた。
なぜなら、アークリオンならば対抗できるからだ。
僕は、一般人よりアークリオンに触れて生きている。
「質問です」
「なんでも聞け」
「鬼がアークリオンなら、アークから生まれているということ。でも、アークは『鍵使い』が心の箱を開けないと発動しないはずです。この島には『鍵使い』がいると?」
この考え方には自信があった。だがすぐにかぶりを振るツキバアを見て、僕は心の高揚をそっと抑えた。
「いない。潜伏していれば話は別だが、私とお主の師匠であるシーラが調査した結果……見つけられなかった」
「……」
僕は、師匠のことを一応信頼している。
日常生活能力は低いが、アークに関する仕事力は僕を遥かに凌ぐ。一体いつ寝ているんだと聞きたいレベルで有能なのだ。
ゆえに、『鍵使い』はいないと考える方がよさそうだ。
であればなぜ……?
そう考えていると、ツキバアはこう言い始める。
「ワシが生まれた頃から、この島では神隠しが起こっていた。三十年に一回ほどだがな。……その原因を探ろうと動いたこともあったが、無駄に終わった。じゃから鍵斗」
「……?」
「もしお主が鬼を見たというのなら、逃すな。これは子どもであるお主に言っているのではない。アークロックのリーダーであるお主のことを信頼して言っておる」
「……ツキバアさん」
僕は、その言葉がやけに嬉しくて、なのに表情には出なくて、ただ彼女を見つめたのだ。
そんな彼女は、初めて僕に笑顔を向けてこんなことを言った。
「お前さんは一人前だからな」
「……はい!」
そして、ツキバアは穂火ちゃんを見てこう続ける。
「穂火は才能ある巫女になるじゃろう。わしならあと一日あれば育てきれる。じゃからこっちは任せろ。鬼は任せたぞ、鍵斗」
僕は、胸の前に手を持ってきて拳を作り、ツキバアに見せて笑顔でこう返した。
「任せてください!!」
今思えば、あの時の僕はどこか……油断していたんだ。
PM.4時
学校が終わった躍兎くんと会う。
僕は彼に軽く「二時間後に帰ってくるね! ないとは思うけど、帰ってこなかったら、大人に言ってね」と伝えた。
躍兎くんは「おう!」と言いながら、サッカーボールをいじる。
そんな彼を見ながら、僕は洞窟に入ったんだ。
基礎鍵の感覚強化を挿して、持って来た懐中電灯を付ける。
岩肌は乾燥しており、ザラザラしている。かと思えば、どこから滴っているのか頭に水が当たり、冷たさを感じる。
空気も入って来ているのか、怖いくらい涼しかった。
というか、寒いくらいだ。
苔も生えている、水も漏れている、そんな不気味な洞窟の中で、懐中電灯と強化された感覚を頼りに先に進む。
だが、暗闇のなか、懐中電灯がチカチカと点滅し始めた。故障かと思い、一度消してもう一度付けた。
ぽちゃんと水滴が落ちる音がする。——そこで僕は見たんだ。
暗闇に隠され、光に照らされて姿を現した怨念を。
それは、壁に描かれた、無惨な人の似顔絵。絵の具を使っている、明らかな人工物。
人の目は潰されていて、まるで叫んでいるかのように口は大きい。そんな絵は、壁に大きく描かれていて、オレの背丈を超えるほどだった。
「……っ!」
自分の表情が恐怖で歪んだのがはっきりとわかる。喉の奥で声が止まる感覚。
グロテスクというか、悍ましい。
錯乱状態で描いたかのような、謎の男の顔。
それはまるで恨みを込めるかのように、傷つけられていた。
怖くなり、オレは後退りする。瞬間、足音を聞いたような気がして、後方を振り返る。
通って来た暗闇の道を懐中電灯で照らすが、誰もいない。
なのに、誰かがいるようで、足がすくむ。
「……」
人工的な絵の具。悍ましい絵。明らかに、知的生命体がいる。
息が荒れる、心臓の音が跳ね上がる。
いつの間にか、この暗闇も耐えられない恐怖を与えてくる。
オレは一体どこに入ったのだろう。
いるのは、鬼なんだよな。
鬼の洞窟なんだよな。
いち早く帰りたくて、身体能力強化の鍵をポーチから取り出そうとした。でも、手が震えて上手くポーチを開けられない。
ああ、そうか、オレは……怖がっているんだ。
ゆっくりと鍵を取り出して、体に挿した。
大丈夫だ、大丈夫。
なんとかな……。
「……ぁ」
オレは見た。
地面に落ちた、白骨化した腕を。
「……っ!」
■□■□■
この島には……鬼がいる。
バササッと鳥が山を飛び出したのを見た陽向灯里は、不思議そうに宮島霊奈にこう聞いた。
「なんか不安ですね。そういえば鬼について知っていますか?」
そんな質問に、宮島霊奈は訝しむ。まるで、触れてはならないものに、触れてしまったかのように。
「……なぜ、そんなことを気にする?」
「いえ、鍵斗くんが調べてて」
「……そうか、ならやめとけ」
「……なんで?」
宮島霊奈は、タバコの火をつけてこう言う。
彼女がふと見上げた空は、どこか曇りで、不穏な影を残していた。
「なんでもかんでもねえ、鬼はこの島に存在する。問題は……一匹じゃねえってことだ」
「……一匹じゃない?」
陽向灯里の脳裏に、今朝の会話がよぎる。
心配になった彼女は、ふと胸の前に手を持って行った。そして、こう呟く。
「鍵斗くん……」
空は依然として曇り。
みんなと繋がる共通の空。
でも、空錠鍵斗がそれを見ることは叶わない。
洞窟の奥。さらに奥。
微かに光が入り込み、青く照らすこの場で、命からがら逃げ延びた空錠鍵斗は、壁に背を預けて上を見た。
赤い液体が垂れる。
刃が折れたキーハートを握る彼の力も弱り、荒い息だけがこの場に響く。
そう、彼は……
満身創痍でそこにいた。
もう、帰れない距離。
PM.6時
空錠鍵斗は……意識を失う。
桃木島の木は不気味に揺れ、波音は規則的に叫んでいた。




