突発的戦闘
声の主は村に住む女性だった。見た目はだいぶ歳をとっているように見えるが、それが実年齢からくるものなのか、精神的疲労からくるものなのかは判断がつかない。
騒ぎの中心はその女性が住んでいるであろう家の真ん前、膝をついて肩を震わせている。そして彼女の前には二人の男が立っていた。
一人は村長。女性を守るように立ち、額に汗をにじませながらも、その目は強い意志を持っていた。
そしてもう一人は当然、あの男だ。腰の剣に手を掛けて、いつでも抜けるような姿勢でいる。
エルがその場に着いたときには、既に何人かの村人が、彼らを取り囲むというにはあまりにも遠い位置から眺めていた。眺める者たちの思いは誰もかれもが一致していて、そして唯一つだった。
巻き込まれたくないから、早く終わらせてほしい、という。
女性や村長に対し、気遣うような視線を投げかける者など皆無。ましてや村長みたいに立ちふさがるなどもってのほかだと言わんばかりだ。その状況に、エルは足が止まる。
心を取り戻してからの約三年間。この村でまた生活をしてきたが、やはり村人は淡白なものだった。子供の頃はエムやトート、それに母がいたおかげでそこまで感じることがなかったのかもしれないが、今はよくわかる。
無関心というよりも、無関係でいたがる。
もし友達でも作ろうものなら、その人があの男に失礼を働いたとき、同じように消されることを懸念しているのかもしれない。そしてそれは正しいのだろう。この世界においては。
ただただ生きていたいというのであれば、そうすればいいのかもしれない。思考するのをやめ、反抗するのをやめ、言われるがまま、なすがままに生きる。
しかしエルはそう生きることができない。
そして今になってみれば、そんなもの生きているとは言えない、なんてことを言い切ることもできない。
彼らだって必死なんだ。自分の命を守るために。
だからこそ俺がやる。みんなが自分を守るなら、その心が折れてしまう前に、俺が世界を守る。
俺は人類最護なのだから。
男が鞘に左手を添え、右手で柄を握った時、エルの足はもう一度動き出す。
まるであの時動かなかった足を、取り戻すかのように。
「やめろ、ラオブ‼」
仇敵の名を叫ぶ。
まるであの時殺せなかった恨みを、晴らすかのように。
抜き放たれたラオブの剣は、目の前の村長ではなく、横から割り込もうとするエルを正確に狙っていた。それをこちらの木剣で受け止めることはしない。
できない。
たとえ一撃を防げたとしても、二撃三撃とまともに受けてしまえば、それで木製の剣は使い物にならなくなってしまうだろう。早々に己の唯一の武器を失ってしまえば、勝機はなくなる。
首を切り落とそうとする鋭い刃を、上体を逸らすようにして避ける、前髪をかすめるぐらいの距離でそれは通過した。そして体を起こすと同時に振り向き、右手の木剣で逆に相手の首を狙う。
風を切る音が耳に届き、そしてラオブは距離をとる。
「外したか」
お互いに。
この勝負、ラオブは一太刀入れられればそれでいいが、エルは一度当てただけでは決定打にならない。それはよくわかっている。しかし相手の肉体が今どうなっているかが明確には分かっていなかった。
奴霊召喚された者の身体能力は、人間だった頃のものよりも上昇する。それは知識として知っていた。しかし、肉体の構造がどうなるのかは分からない。
文字通り鋼の肉体を体現するのか。皮膚の硬さは、柔軟さは、関節は、骨は。
そのどれもが変化するのか、それとも純粋に力や速さが上がるのか。力が上がっているのだから筋肉の質や量が変わっていると考えるのが妥当のはず。しかし。しかし。
先ほど家にいた時は、今すぐにでも首を掻っ切ってやりたいと考えてはいたものの、しかしそれは無策で行くのとは違う。多少なりとも戦略や戦い方を考えてから挑むものと思っていた。いきなりこんな場面に遭遇するとは。
だが、もう後戻りはできない。
今エルは明確な敵意を出してしまった。今更こちらがそれを抑えたとて、向こうは容赦なく斬りかかってくるだろう。
もちろん、抑えられたらの話でもあるが。
身体を激しく打ち付けるこの鼓動の速さは、果たしてどこからきているのか。恐怖か、畏怖か、それとも歓喜か。
ようやくこの男を殺すことのできる、歓喜。
そのことにエルの身体は打ち震えているのか。
視界の端で、村長が女性を連れて下がっていくのが見える。それを確認しながらも、意識は目の前の男から決して逸らさない。
逸らせないと言った方が正しいだろうか。奴霊召喚された者、魔霊の証である虹色に煌めく瞳が、こちらを見据えて離さない。集中しなければあっという間にあの剣が自分の肉を切り裂くだろう。そんな忌々しい想像を追い払い、木剣を構え直す。
受けることは出来ない。
攻撃は全て避ける。
集中、集中。
――――――――。
ザッと、土を蹴る音だけが聞こえた。
ラオブは剣を腰に構えたまま直線的に走ってくる、十メートルほどの距離が瞬間的に潰された。低い姿勢から放たれた斬り上げを引いてかわし、すかさず反撃に出ようとしたところで、頭上からの振り下ろしが迫るのを感じた。ラオブの持つ両刃剣が眼前の空気を裂く。
たったこれだけの攻防。相手の二振りを避けただけで、エルの額には汗が滲んでいた。反対にラオブの顔は未だ無表情のままだ。
突然の戦闘。初めての実践。間近に迫る死。容赦のない攻撃。
この場の全てがエルの精神を圧迫する。
既に周りの村人は家の中に入ってしまっていた。エルに助けられた女性でさえも。唯一の残っていたのは、村長だけ。
ただそれも、エルにしてみれば余計な気を回さなくて済む、としか思っていなかった。今はただ奴をどうやって殺すか、それだけの為に頭を回す。
互いに数秒睨み合い、そしてまた距離を詰める。次も先に動いたのはラオブだ。
エルはそれをただひたすらに避ける。
まずは相手の動きに慣れること、無理に反撃をしようとして返り討ちに合うならば、いっそ避けに徹する。初っ端は戸惑いこそしたものの、よく見て動けば躱せないほどではない、はず。
瞬間、頬をかすった剣先が耳に風切り音を響かせる。
それだけで心臓が跳ね上がるけれど、足を止めるわけにはいかない。
チャンスを、待つ。
太陽はとっくに沈んでいた。
今この場にいる者たちを照らすのは、空に浮かぶ白い月だけ。
あれから戦いは膠着状態に陥った。
膠着と呼ぶにはあまりに目まぐるしい動きだが、しかしお互いにダメージを負わすほどの一撃を入れることができていない。はなから攻撃する気の無いエルはまだしも、ラオブもまたエルに対して攻撃をあてることは出来ていなかった。
恐るべき戦闘のセンスと言うべきか。
避けることに徹したエルを、ラオブは捉えることができない。
しかしそれはエルのとっても良い状況とは言えなかった。避けられているのは、徹しているからであって、それこそこちらから攻撃しようとすればその隙にやられるだろう。それくらいギリギリだった。
そして何よりもう体力がもたない。先ほどから、掠ることが増えている気がする。これでは直撃を喰らうのも時間の問題だ。
ラオブの振り下ろしを、距離をとるつもりで後ろに引きながら避ける。その時。
地面が割れた。
振り下ろした剣がそのまま地面を抉ったのだ。
「なぁっ!」
驚愕に目が見開かれる。慌てて数歩下がり余波を回避するも、驚きは隠せない。いくら何でも地面を抉るほどの力はない、と思っていた。というよりも今までの戦闘でそこまでの力はないと把握していたのに。
何故。
土埃が舞う地面から顔を上げて、ラオブを見る。
そして再び声を上げた。
ラオブが剣を持っている右手。それが一回りも二回りも太くなっていたのだ。アンバランスにもほどがある。右手以外の身体は元の人間なのに、その手は、まるで、
「魔物……」
村を見張っている魔平兵の中に似たような腕を持つやつがいたはずだ。それがラオブにも……。
そして更に顔を上げると、普段の無表情からは考えられないような形相をした男がそこにいた。
歯をむき出しにして、口元からは涎が垂れている。そんな姿。
これはどうしようもなく奴霊召喚の影響だろう。でもなんで今になって。どうして。
再三の驚きで、思考がぐるぐると回る。でもそんなことを待ってくれている相手ではない。それこそ獣の様な唸り声をあげて向かってくるラオブ。それに気づき、余計な考えを捨て去った。今までならばほんの少しの躊躇いや停止が命取りになったが、しかし今回は違った。
今のラオブは、あまりにも遅い。
太すぎる右手は、明らかに移動を阻害していた。まともに走ることも出来ていない。ようやくエルの目の前に来るも、薙ぎ払われる右手はもはや地面を削るように引きずっていた。
こうなれば、避けるのも容易い。
自身の攻撃が当たっていないことを理解すると、ラオブは更に雄叫びを上げる。それに呼応するかのように右手がまた太くなった。
そこでエルはこの状況を理解した。
彼は少なからず焦っていたのだ。掠らせることしかできないさっきまでの攻防に。そんな状況でもっと力を欲した、その結果がこれなのだ。奴霊召喚についての詳しい情報は持っていない。だから何をもってして、彼の身体をああ変化させたのかはわからないけれど、きっとそうなのだろう。
これはチャンスと捉えていいのか、それともリスクが上がったのか。勿論避けることは簡単になった、しかしその分当たったらお終いだろう。肉が切れるとか骨が断たれるとかでは済まされない。肉塊にされてしまう。
さらに言えば、もう足ががくがくになっていた。
早々に決着を付けないと、と思ったその時。
エルは転んでしまった。
ラオブが抉った地面に足をとられて。
注意力が散漫になっていたせいなのか、それとも彼に注意を向け過ぎたのか、しかし結果として地面に手を突くことになる。
そして一度転んでしまうと、抑え込んでいた疲労が一気に押し寄せてきた。立とう立とうと思いはするが、それに身体がついてこない。
獣の唸り声を上げて、ラオブが目の前に立つ。
その右手が振り下ろされたとき、鮮血が飛び散った。




