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心と体


 ひとしきり話をすると、村長は用事があるとのことで出ていった。それに伴い、エルも自宅へと帰る。村長は自分が思っていたよりも、まともに会話をしてくれた。実際に話すまでは、もっと敬遠されるものと想像していたから。そしてもし自分があちらの立場であれば、そうするだろうとも思うから。

 それはただ本当に気を遣ってくれただけなのかもしれない。形だけの村長とはいえ、自分の村に住む人なのだから優しく接してくれたのかも。でも今はそれがありがたかった。少しでも自分の精神に負荷をかけたくないから。

 それに何より、知りたかった情報もいくつか得ることができたのだ。このことが一番の収穫である。

 現在の村のことと、自分が壊れていた十年間のこと。

 そしてあの男のこと。

 村長はこの村で最もあの男と接している人間なのだろう。エルも知らない、他の村人も知らないであろうことを、教えてくれた。

「さて」

 小さく呟く。

 まず一つ、情報を手に入れることは出来た。そして、さて、である。

 これからどうしようか。

 いかに目的を掲げようとも、今の自分にそれが達成できるかと言われれば、まず不可能であろうことは分かっている。だからそのための身体づくりが必須だった。

 過去、自分と弟で行っていた密かな特訓。それをもう一度始めなければならない。この村に武術や剣術を教えてくれるような人はもういないのだ、いなくなってしまった。そうなると独学ということになるけれど、その部分に関してはどうしようもないのだから仕方がない。技に関してはやりながら模索していこう。

 しかしその前に、このみずぼらしい肉体を何とかしないといけないようだった。見るからに細い腕と足、あばらが浮き出るような薄い胸。多分に苛め抜く必要がありそうだ。幸いこの村では力仕事が多い、日常生活を送るだけでもそこそこ鍛えることができるだろう。

 それに加え、自分でも多少なりトレーニングを積んでいく。果たして、この身体が満足のいくものに仕上がるまでどれだけかかるのか、そこからさらに技を磨いてあの男を倒すまでにどれだけ時間を要するか、見当もつかない。

 けれど、生きる目的があるだけで、生きている気がした。

 生きていける、気がした。


 その日からのエルはまさに死にもの狂いだった。やっとのことで繋ぎとめた命を、それこそ放り出すように生きていた。日々の作業だけでは当然足らず、家に帰ってからもトレーニングや素振り(ボロボロになりながら帰った時に拾ったもの)をしていた。

 村人に課せられる仕事も、村長に頼み込んで力仕事を多めにさせてもらった。そのあたりの融通は聞くようだ。

 朝は陽が顔を出すよりも少し早く起き、家の中で木の棒を振る。一つ一つの挙動に気を遣い、無駄のない動きが出来るよう洗練していった。思い出されるのはエムを奪われたときの戦い。いや、あれは戦いと呼ばれるようなものではなかったかもしれないが。あまりに一方的で、戦闘というよりは蹂躙だった。

 喧嘩を売ったのはこちらなのだが。

 今回はあの時の二の舞にならぬよう、準備を怠ってはいけない。次こそ確実に殺されるだろう。

そもそも何故前回は殺されなかったのかすら分からない。

 ぼんやりと特訓後のストレッチを行いながら考えるが、結論は出ないままだ。女子供でも容赦しないのは知っているので、他に何か要因があったのか、それともただの気まぐれか。

 ただ分かっていることは、次に拳を交えるときは、どちらかが死ぬときだということだ。

「もちろん、殺すのは俺だけどな」

 小さく呟く声は果たして、誰に向けたものだったのか。

 そしてその瞳に宿るものが、明確な殺意であることも彼は気づいていない。

 もともとの目標である、魔帝を倒すことは既に意識の外に追いやられ、エムとトートを救い出すことも今や二の次になっているような様子がある。

 まず何よりもあの男を殺すことが優先されているようだ。当然そうしなければこの先はないのだけれども、しかし憎しみや恨みが先だって、自身の心の向かうところが暗闇に包まれていることを、今の彼は理解していなかった。




 シュッシュッと、小気味良い音が一定のリズムで聞こえる、音の出所は若い男が持つ木の枝、木の棒と言った方が正しいか。その男は武骨なそれを小さなナイフで削っていた。自身の足の長さ程あるそれを、丁寧に整えていた。端から端まで、一分の隙も無く綺麗に。

 その木材は普通のものよりも頑丈なのか、小刀で削るとは言っても表面をなぞる程度にしか剥がせていない。この長さのそれを全体まで削るというのは、それなりの時間を要したはずだ。今やもうだいぶ整っているがしかし、これを日課としていたのだろう。彼の手にはいくつもの豆が見て取れた。

 その木剣を抑える腕や、小刀を動かす腕も、かつてとは比べるまでもないほどにたくましくなっている。筋骨隆々とまではいかないにしても、ほどよく引き締まり、無駄のない体つきのようであった。かつての生気を失った顔からは想像もできないほど、その瞳は光を宿していた。しかしそれが負の光の可能性であることも否定できない。

 どんな感情からそれが生まれたのか、そんなことはわかりきっているのだが。

 しかし、この青年。プリクエル・アフターワードは、今や完全に復活を果たしたといっても過言ではないほどに、己の肉体を鍛え上げていた。

 彼が目覚めてから更に三年という時間が過ぎ、年齢は既に二十一となっている。ただ年齢の話をしたところで、自分でも歳なんて数えてはいなかったし、祝う気など毛頭なかった。今では誕生日がいつだったかさえも思い出せないかもしれない。思い出したところで、祝ってくれる人がいないのだからどうしようもないのだが。

「よしっ――と」

 息を吐いて立ち上がる。その手にしかと握られたのは、綺麗に削られた木剣。漆でも塗れば光沢がでそうなものだ。

 それを軽く振る。

 エルのしなやかな腕が動くと、空気を切る音が響いた。それを何度か繰り返し、手に馴染んでいるかを確かめる。そうでなくとも今まで何千何万と振ってきたものなのだ、今更違和感があるはずもなかった。

 彼自身も感じている。そろそろ時期が来たのだと、あの男を殺し、この村から脱す日が間近に迫っているのだと。

 身体を鍛えたとはいっても、それと武術とはまた別物だ。この三年間、独学で木剣を振ってきたが、果たしてそれがあの男に通じるかどうか。しかしこの時まで来てしまえば、もう後に退くことは出来なかった。

「どうせ負けるときは死ぬとき、なら勝つだけだ」

 己を鼓舞するように言葉をだす。

 エルは今までもこうやって、心が折れそうなときは言葉を発することで精神を保ってきた。それはやはりあの窮地から脱した時、九死に一生を得た時の経験からなのだろう。

 言葉こそ生命。

 それを身を持って体験していた。

 この三年間、村人とほとんど話さなかった彼にしてみれば、それはなんとも皮肉なことだけれど。故にあくまでも心を繋ぎとめたのは、『会話』ではなく『言葉』なのだった。

 そんなことは、エル自身が一番分かっているのかもしれないけれど。

 今考えるべきことは、いつ決行するかだ。ハッキリ言って、いつまでも我慢するというのは耐えられそうもない。これまでは力がないのを言い訳に待っていたが、事ここに至ればもう今すぐにでも走っていって、あの男の首に刃を突き立てたかった。

 現在はもう夕方。仕事も終わって家にいるが、今からもう向かうべきか。周りが暗いのはどちらにも不利に働くだろうと考える自分がいる中で、しかし既に人間でなくなった彼にそんな常識が通用するのかと思う自分もいる。

 大人しく昼間仕事を抜け出して行くのか。そうなると自分たちを見張っている魔平兵たちを先に始末してから向かう必要がある。それは面倒だし、複数体を相手にするのはさすがに無理があるような気がする。なにせこちとら初めての実践なのだ。まず一対一で勝てるのか? いや勝つんだ。そんな自問自答を繰り返している時、家の外から騒がしい声が聞こえた。あわただしく、そして悲痛な。


 彼がいかに作戦を練ろうと、それを大人しく待っていてくれるほど世界は優しくない。


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