03:揺蕩うように
翔真が会社へと向かった後、ふうはしばらく玄関に立ち尽くしていた。
そして、微かに聞こえてきた彼がエレベーターに乗る音を確認してから、やっとリビングダイニングに戻った。
さっきまで二人で過ごしていたせいか、どうしようもなく広く感じる。
それに寂しくなったふうはふらふらとした足取りで寝室に戻ると、ベッドに飛び込んだ。
そして、窓から差し込む朝日に包まれたまま再び眠りについた。
起きたのは二時間後の九時半だった。
(カフェインを取って寝た後って、なんでスッキリ起きれるんだろう)
ふうはベッドの上で大きく背伸びをすると、本格的に一日を始めた。
まずは、本日二杯目となるコーヒーを淹れる。
じっくりと時間をかけて飲むため、翔真と一緒に飲んだ一杯目よりも多く作った。
マグカップいっぱいに注いだそれを零さないように、全神経を集中させる。
そして、無事に一滴も零すことなくローテーブルに運び終えると、大きく息を吐いて、水色の布地が貼られた二人掛けのソファに寄りかかった。
「集中するのって疲れる…!」
無意識に呼吸を止めていたため、なんだか頭がクラクラする。
それが解消してから、ふうはコーヒーを飲み始めた。
零さないようにマグカップを置いたまま、ローテーブルに顔を埋めるようにして。
三分の一が胃袋に消えた頃、ふうは退屈になり、テレビをつけた。
すると朝のニュース番組がやっており、アルファにうなじを噛まれて、無理やり番にされたと主張するオメガの裁判について取り上げていた。
ニュースキャスターは淡々と裁判の内容を述べているだけだったが、出演していたコメンテーターたちは色々な意見を主張し始めた。
『そもそも誘惑したのはオメガであり、アルファも望んだ関係ではなかったのではないかと思います』
『オメガが自己管理を怠り、義務になっているチョーカーをつけずに外出し、ヒートを起こしたために起きたこと。つまり、ただの責任転嫁ですよ』
自信満々に主張し続ける彼らの声に、ふうは気分が悪くなっていくのを感じた。
彼らの意見も一理ある。そういう面も否定できない。
そう理解しながらも、ふうはテレビを消した。
「…世界がうるさい」
世界は何かとオメガを非難する。
それはもう変えられない仕方がないこと。
そんな世の中でも、テレビを消すという自由を持っている自分を、知りたい情報を取捨選択できる自由を持っている自分を、ふうは誇りに思った。
「そうだ、洗濯!」
翔真に宣言したことを思い出し、ふうは足早に洗濯機がある脱衣場に向かった。
洗濯機を起動させた後、言われた通りにアラームをかけようと、スマホを探す旅に出る。
(今日はまだ一度も触ってないはず)
起床時間に鳴るアラームは翔真のスマホから鳴っているし、SNSは好きじゃない。
一緒に暮らしている翔真とは滅多に連絡し合わないし、離れて暮らしている両親や幼馴染みともそこまで密なやり取りはしない。
そのため、ふうがスマホに触る時間はとても短く、回数も少なかった。
寝室のサイドテーブルの上で、充電器が挿さったまま放置されていたスマホを、物珍しげに見つめてから持ち上げる。
(触るの五日ぶり…?)
アラームを設定した後、ふうは最後にスマホに触れたのがいつだったのかが気になり、色々と操作してみた。
どうやら五日ぶりという感覚は正解だったらしく、翔真に送ったメッセージが最後の履歴だった。
内容は「散歩がしたい」という簡潔な文章を彼に送信し、「わかった。夜に一緒に行こう」という返事が返ってきているというもの。
そのやり取りを眺め、ふうはどうしようもなく散歩に行きたくなった。
それは三日ほど全く外に出ていないことも、後押ししていた。
(今すぐ行ってもいい)
不用意な外出はするなと言われているけれど、監禁されているわけでも、脅されているわけでもない。
ちょっとの散歩じゃ、翔真は怒らない。
それでも、心配はするだろう。
何より、ちょっとの散歩だとしても、あのチョーカーをつけて歩けば、周囲は何かと視線を向けてくる。
ふうはそれが嫌だった。
(チョーカーがもうちょっと目立たないデザインだったらなぁ)
そう願うも、オシャレなチョーカーでは本来の役割を担えないことも理解していた。
オメガがつけるチョーカーは、窮屈なほど分厚くて、首を覆い隠すほどに大きい。
しかも、黒色か赤色しかなく、遠目からでも目立つデザインをしているため、多くのオメガがつけるのを嫌がる。
けれどそのデザインは、たとえ噛まれてもアルファの歯がうなじに届かないようにするためなのと、アルファに警告を出すためでもある。
ここにオメガがいますよ、と。むやみに近づかないで、と、知らせるために。
(…アルファだって相手を選びたいよね)
理性を失った状態で永遠のパートナーである番を選びたくはないはず。
アルファを求める本能に抗い、ベータである翔真を選び続けているふうは、そう考えていた。
結局、ふうは翔真にメッセージを送った。
今日の夜に散歩しよう、と。
数分後に彼から返ってきた文章は「おぅ。今夜は満月らしいぞ」と相変わらず短かった。
設定したアラームのおかげで無事に洗濯物を干し終えたふうは、今度は取り込むのを忘れないためのアラームを設定した。
そして、まだ少しだけ中身が入っているマグカップを片手に寝室の片隅に置いてあるパソコンのスイッチを押した。
ゲーミングチェアに胡座をかきながら、マウスを動かしていくと、画面にグラフが映し出された。
「うーん…」
首を傾げて、小さな声で唸った。
ふうは株をやっている。
そのため、新しく株を買うか、すでに持っている株を売るか、はたまた何もしないで現状維持を選ぶか、頭の中で吟味していた。
株という稼ぎ方は、オメガとして生まれたふうを心配した両親が教えたものだった。
オメガはなかなか正社員になれない。
その理由は、三ヶ月に一度くるヒートが原因だった。
ヒートが来たオメガは一週間ほど外出を禁止される。それは秩序を守るために必要なことである。
しかし、どんな職場も定期的に長期休暇を取ることが確定している人材を積極的に雇用しようとはしなかった。
そのため、オメガの平均収入はとても低いのだが、その事実はあまり大きな問題として取り扱われることはない。
何故なら、多くのオメガが高収入なアルファと番になり、生活できてしまうから。
勉強を頑張らなくても、資格を取得しようとしなくても、どうせ優秀なエリートを捕まえて玉の輿になれる。
ふうも、心ない周囲の人たちに何度も言われてきた。
そんなふうを不憫に思い、自分で自分の人生を選べるようにと、両親は様々な手段を模索した。
株はそのうちの一つだった。
(今日は何もしなくていいかなぁ)
ふうは大金を稼ぐことを目標としていない。
生きていくために必要な最低限の金額さえあればいいと考えているため、大きなリスクは取らず、派手な売り買いもしない。
そのため、ふうが稼ぐ金額は翔真の収入とあまり変わらない上に大きく下振れることもある。
それでも、オメガが稼ぐ平均収入よりは上回っていた。
「今日の仕事終わりー!」
グラフが表示されていたブラウザを閉じると、ふうは鼻歌を歌いながらパソコン上でとあるゲームを起動した。
それは壮大でリアルな街作りのシミュレーションとして有名で、昨日から彼女が熱中しているものだった。
(今日はどうやって街を発展させようかな。学校を建てようかなぁ。タワマンを建てるのもいいなぁ。あ、でも、駐車場を増やして路駐を減らしたいかも)
ふうは大好きなシミュレーションゲームをしながら、翔真が帰ってくるのを待ち続けた。




