28:共鳴
飛田の宝石のように輝く瞳に、ふうはごくりと喉を鳴らして、目を逸らした。
「…特別なことなんて何もない」
ベータとオメガ。本来ならば相容れない二人。
だからこそ、ドラマチックな出来事があったのだろうと期待されているのはわかる。
「大学で出会って、私が好きになってたくさん声をかけた。それだけ」
それだけ。それだけのこと。
わかっているのに、心臓がどんどんと高鳴り、顔が熱くなっていくのを感じた。
そのせいか、飛田の興味は薄れていかなかった。
「はづきにとって学校ってどんな所だった?」
「…見世物小屋みたいなところかな」
「うん。私もそうだった」
ふうにとって、学校とは遠くから楽しそうな笑い声が聞こえてくる場所だった。
俯きながら登校し、隠れるように保健室に逃げ込み、廊下に響く生徒たちの声を幾度となく聞いていた。
そんな生活の中で、オメガという珍しい見世物を求めて、ニヤニヤと笑いながら覗き込んでくる人たちがいた。
不快なことを散々言われた気がするけれど、覚えていない。心休まる瞬間もあったかもしれないけれど、好きにはなれない。
だから、大学に通いたいなんて、当時のふうは思ってもいなかった。
「親が勧めてきたんだ。大学だとクラスがなくなって、かなり自由になるから、行ってみないかって。愛梨っていう幼馴染も協力してくれることになって、親孝行のつもりで通うことにした」
大学の印象は、これまで通ってきた高校や中学校とさして変わらなかった。
いや、むしろ、私服になったからか、ルールを守らせようとする厳格な教師がいなくなったからか、突き刺さる視線は露骨なものに変わっていった。
「愛梨と廊下を歩いてたら急に飲み会に誘われたり、食堂でご飯食べてたらいきなり真横に座ってきて連絡先聞いてきたり…今までそうやって距離を詰めてくる人がいなかったから怖かった」
ふうは苦笑いを浮かべて、その当時に中河原に言われた言葉を思い出した。
あそこの飲み会は絶対に参加しちゃいけないとか、人通りの少ない所に行っちゃいけないとか。
それを守っていなかったら、どうなっていたのか。
想像したくもなかった。
「三ヶ月ぐらい身持ちを堅くしてたら、調子乗ってるとか言われるようになって…」
「あー、経験ある。ナンパ断ったら悪口言われるやつだね」
飛田は頬杖をつくと、頭に浮かんだ嫌な記憶を吐き出すかのように息を長く吐いた。
「びっくりしすぎてあんまり覚えていないんだけど、すごく下品なことを大声で言われて、もう大学に来るの辞めようって思った時に…翔真が、猿かよって」
ふうは眉を寄せると、耐えきれないといった様子で唇を震わせた。
「私も、酷いことを言ってきた人も、ポカーンってしちゃって…」
ふうは笑い声を噛み締めながら、続けた。
「翔真は殴られそうになったんだけど、すぐに他の人が警備員さんを呼んでくれて、無傷だった。それで、お礼を言ったら、『別に』って。優しい人なのか、ぶっきらぼうな人なのかわからなかったけど、大学辞めようって思ってたことも忘れて、その日から気づいたら探すようになって…それは恋だよって愛梨に教えてもらった」
その時のことを思い出すと、今もまだ胸が疼く。
「オメガに言い寄られても迷惑かなとも思ったけど、他の人に取られたくないって思ったから、頑張った」
ふうは視線を上げると、過去の自分を労るように息を吐いて脱力した。
出会ってから付き合うまで、だいたい半年かかった。
膨れ上がった感情を吐き出すように伝えて、受け入れてもらったあの瞬間。
生まれてきてよかった、と嘘ではなく本気で思った。
「付き合ってからは、初めて学校というものが楽しいと思えた」
中河原だけでなく、翔真や稲城が一緒にいてくれるようになって、周囲の視線が気にならなくなった。
校内で過ごした時間は良い思い出に塗り替えられて、皆で遊びに行ったり、誰かの家で勉強会をしたりと、普通の大学生のように過ごすことができた。
ふうは今でも、その時のことを宝物のように思っている。
「ふうってかっこいいね」
予想もしていなかった褒め言葉に、ふうは驚いて目を見開いた。
相変わらず頬杖をついた飛田は、柔らかな雰囲気に浸るように締まりのない顔をしていた。
「だって、自分から告白とかしたんでしょ。すごいよ」
「そうなのかな」
「うん。私はできなかった。たくさん救われたし、一緒にいたいと思ったけど、言えなかった」
飛田はゆっくりと瞼を下ろした。
ふうには飛田が何を考えているのかはわからなかったけれど、彼女の脳裏に今誰がいるのかは聞かずとも察することができた。
「烏山先生とは、いつ知り合ったの?」
「中学生の時。オメガだって判明してすぐ。私が通ってた総合病院に勤めてたんだよ」
ふうは、頭の中でひっそりと計算をした。
そして、オシャレでハツラツとしている烏山が想像以上に年上だと知って、驚いてしまった。
「あの時、私…人生に絶望してたんだよね。母もオメガなんだけど、番の父に放置されて、病んじゃって。学校では上手くやってたつもりだったんだけど、裏で悪口言われてるの聞いちゃって。ほら、中高生ってさ、一番容姿を気にする時期だから…今なら僻みだって流せるけど、でも…家にも居場所なかったから、本当に辛かった」
話を聞きながら、ふうはなんとなく櫂のことを思い出した。
元々人見知りだった自分と違い、飛田と櫂はクラスに馴染めていたのに疎外されるようになったのだろう。
どっちのほうが辛いかはわからないけれど、どちらもそれなりに苦しいのはわかった。
「初対面の時に一目惚れしたってすごい勢いで話しかけられて、なんだこの人って思ったよ。変な人だ、関わらない方がいいって」
飛田は更に体勢を崩すと、自身の腕に顔を乗せた。
頬が潰れ、肉に押された片目がひしゃげる。
けれど、その瞳の美しさは陰ることがなかった。
「かなり冷たくあしらい続けたのに、あの人、メンタル強すぎて、私が病院に行くたびに話しかけてくるの。好きな物はなんだとか、今日は何があったかとか。すごくウザかったのに、会えない日はちょっとだけ淋しくなるようになって、それもなんか悔しかった」
ふふ、と飛田の唇から笑い声が漏れた。
少しだけ乾いた呆れたような声色だった。
「今思えば、あっちの方が上手だったなぁ。アルファだし、年上だから、当たり前なんだろうけど」
飛田は静かに瞼を下ろし、悲しそうに笑った。
「出会って一年後の中学三年生だった時の誕生日…祝ってくれたの先生だけだった」
飛田は上半身を起こすと、前のめりになって話し始めた。
「なんで知ってるのって聞いたら、こっそりカルテ見たとか笑いながら言うんだよ。もう、ありえないって! でも、先生に祝ってもらえなかったら、私…きっと…生きてない」
だからこそ、救ってもらったと表現しているのだと、ふうは理解した。
そして、心の底から彼女に烏山がいてくれてよかったと思った。
「親にも愛されてない私を、なんで赤の他人が愛せるんだろうって理解できなかった。だから、散々試すようなことをしたの。困らせたり、怒らせたり。先生は苦笑いを浮かべて言葉に詰まることもあったけど、すぐに何でもなかったかのような顔で会いに来てくれる」
飛田は口元を両手で隠すと、震える声で言った。
「私を ── 運命だって言ってくれる」
運命の番。
ふうはその概念を信じてはいないし、自分にはいないと思って、ここまで生きてきた。
けれど、飛田の話を聞いて、ほんの少しだけ信じそうになった。
そんなふうの変わりかけた思考を止めるかのように、飛田は勢いよくテーブルを叩いた。
「決めた! 私も、ふうみたいにちゃんと好きって伝えるわ!」
飛田はまるで酒に酔ったかのようなテンションだった。
気圧されたふうは、言葉の意味を理解すると同時に表情を和らげた。
「烏山先生、喜ぶと思うよ」
飛田はその言葉に照れくさそうに笑った。




