27:逃れられない性
ふうは一度瞼を下ろし、持ち上げた。
視線の先、見慣れたリビングには見慣れない人物が緊張した面持ちで座っている。
サラリとした肌に、程よい血色感をプラスしたチーク。アイシャドウもアイラインも綺麗に引かれていて、毛先は軽く巻かれている。
中河原と同じ人種だ、とふうは思った。
オシャレが好きで、何が自分に合うのかを研究してきた人。
ふうが飛田に抱いた印象はそれだった。
「はじめまして、飛田はづきです!」
飛田は意を決したようにふうと目を合わせると、そう名乗った。
つられて、体を強張らせたふうも、慌てて口を開いた。
「片倉ふうです」
「ふうさん」
「あ、さん付けはしなくていいです。あの、クマのキャラみたいになっちゃうので」
「わかりました!」
時々、飛田の音量調整が上手くいかず、声が壁や天井に反射した。
そのたびに、ふうは飛田と烏山の姿を重ねた。
最初こそ、緊張していた飛田だったが、時間が経過するたびに、ふうの人となりを理解して、徐々に態度を軟化させていった。
「ふうは、北野さんに似てるね」
「え、初めて言われた」
「似てるよ。落ち着いていて、冷静で、長く一緒にいると似てくるものなのかな」
「そういえば、はづきと烏山先生も似てるね」
「それ、北野さんにも言われたー!」
敬語が取れ、下の名前で呼び合い始めると、まるで昔からの知り合いかのように、お互いがお互いの存在にしっくりとくるようになった。
姿勢を崩し、飛田が手土産として買ってきたロールケーキを口に運びながら、ふうはずっと聞こうと思っていたことを尋ねた。
「はづきは、フルタイム勤務してるんだよね?」
「うん、そうだよ」
「…ヒートの時ってどうしてるの?」
質問内容を聞き、「やっぱり気になるよね」と飛田は大きく頷いた。
「初日と二日目は有給を使って休んでる。三日目以降は、烏山先生に許可書を書いてもらって、仕事復帰してる」
「え、二日休むだけで大丈夫なの?」
飛田は不敵な笑みを浮かべた。
「建前上、休んではいるけど、私にはもうヒートは来ないの」
ヒートが来ない。
その言葉に、ふうは目を丸くした。
「来ないって、完全に?」
「そう、完全に。あ、でも、抑制剤を飲むのをやめたら、また来ると思う」
ふうは、今飲んでいる抑制剤に希望を見出したからこそ、治験に参加している。
それでも、完全に来なくなるという実体験からくる感想に驚かずにはいられなかった。
「…はづきは、元々症状が軽い方だった?」
「あー、そうだね。軽い方だと思う。自我がなくなる人もいるって聞くけど、そこまでじゃなかった。ふうは重い方なの?」
「うん、記憶が飛んだりする…」
「それはしんどかったね」
飛田は悲しそうに目を細めた。
ふうは、今まで何度も同情されてきた。両親からも、中河原からも、翔真からも。
それを嫌だとは思わなかったし、寄り添ってくれるのは嬉しかった。
それでも、初めてちゃんとヒートの辛さを共感してもらったような気がして、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「新しい抑制剤を飲み始めて、いつから来なくなったの?」
ふうの質問に、飛田は数年前の記憶を掘り起こしていった。
「徐々に症状が軽くなっていって、半年後には来なくなったはず」
「半年後…」
ふうはまだ飲み始めて一ヶ月しか経過していない。
そして、来月、またヒートが来る時期になる。
本当に抑制剤が効いているのなら、症状が軽くなるのかもしれない。
僅かな希望に、ふうは瞳を輝かせた。
「私、来月にヒートが来る予定なんだ。抑制剤を飲み始めてから初めての」
「あ、そうなんだ」
飛田は笑みを浮かべた後、また記憶を掘り起こすように眉間にシワを寄せた。
「最初のヒート時は、確か…体調崩したはず」
「え、本当?」
「うん。ホルモンバランスの乱れって言われたかな。ふうも、覚悟はしておくといいかもしれない」
「わかった」
先人の言葉を、ふうは素直に受け入れた。
それから、チラリと飛田の顔色を窺った。
「…あの、働いていて…何か言われたりする?」
思ってもいなかったことを聞かれ、飛田は目を見開いた。
けれど、すぐに取り繕うように口角を上げた。
「ぶっちゃけ、言われる。この前も、北野さんとランチ行っただけでチラチラ見られたもん」
「やっぱりそうなんだ…。私も、通院で電車乗ってるんだけど視線痛い」
「このチョーカーが目立ちすぎるんだよね」
飛田は大きなため息をつきながら、自身の首についているチョーカーを揺らした。
その光景に、ふうは目を細める。
「チョーカー、つけるの嫌い」
「わかる! 暑いし、苦しいし、ジロジロと見られるもんね」
「はづきは、もうつけなくてもいいんじゃないの?」
「そういうわけにもいかないんだよね」
オメガがつけるチョーカーは、急に外出先でヒートになった時に、自分自身を守り、アルファの名誉を守るためにある。
ヒートが来なくなったのなら不要なのではないか、とふうは首を傾げた。
しかし、飛田は苦笑いを浮かべるだけだった。
「番を作って、役所に申請すれば、チョーカーは免除されるけど、私はまだ番がいない。認定されてない薬で止めてるだけにすぎないから、ヒートがなくなったわけでもなければ、アルファを絶対に誘惑しなくなったわけでもないから。それに…」
不意に、飛田は遠くを見つめた。
「ちょっと前に、チョーカーつけずに外出したオメガがアルファに無理やり番にされた事件ってあったのわかる?」
「あぁ、あったね」
「あれを見たら、怖くて。私は外出する機会が多いし、例えヒート中じゃなくてもアルファに噛まれたら番になるって考えたら…リスク大きすぎてできない」
ヒート中じゃなくても噛まれる可能性がある。
その言葉に、ふうは動揺してしまった。
ふうの中で、アルファというのは飛び抜けて優秀な人たちのことだった。
理性さえ保てたら、愚かなことはしないし、法を犯すことなんて絶対にない。
そう思っていたからこそ、意図的に法を犯して、欲しいオメガを手に入れようとするアルファがいるなんて想像すらつかなかった。
(…私、世間知らずだ)
まともに外出しなくなって三年、定期的にニュース情報は得ているし、翔真を通して社会を知っているつもりだった。
けれど、いかに自分がぬくぬくと温かい所で守られて生きてきたのかを知った。
「それに、薬が認定されて、飲んでる人はチョーカーをつけなくてもいいよってなっても、私たちはこの顔でオメガだってすぐにバレちゃうよ」
飛田はサラリと自身の頬に指を滑らせた。
人工的に作られた人形のような端正な顔は、彼女の感情を表現するために繊細に動き続ける。
「よく、『オメガって、絶対に可愛くなれて羨ましい』って言われるんだけど、じゃあ変わってよって思う」
飛田の同意を求めるような眼差しに、ふうは力強く頷いた。
「うん、私…はやく老けたい」
「…夢壊すようなこと言って悪いけど、老いても綺麗なままだよ」
「え?」
「私の母もオメガなんだけど、五十代なのにすごく綺麗。病んでるし、ケアもしてないのに容姿だけは絶対に衰えないんだよね」
「そうなんだ…」
改めて、バース性というものが、体に根強く定着しているのだとふうは理解した。
飛田は大きく息を吐くと、後ろに手をつき、寄りかかった。
「バース性からは一生逃げられないんだよ」
その声色には諦めが滲み出ていた。
しばらく沈黙が流れると、飛田が勢いよく顔を上げた。
「なんか、暗くなっちゃったね。話題変えてもいい?」
ふうが頷くと、彼女は大きな瞳を輝かせて、前のめりになった。
「どういう経緯で、北野さんと付き合い始めたの?」
不意を突かれ、ふうは思わず目を見開いた。




