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今日も明日も、クラゲを飼う ※木曜更新  作者: 青ノ さと
九月

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20/30

20:決意

 十六時を少し過ぎた頃。

 集中力の切れた翔真は気晴らしにコーヒーを飲もうと、自席から立ち上がった。

 長時間のパソコン作業で凝り固まった背中や肩の筋肉を緩めながら、フロアの片隅に置かれている自動販売機に向かう。

 そして、自動販売機に設置されているパネルにスマホを掲げて、缶コーヒーを購入した。

 落ちてきたそれを拾いながら、数分前に届いていたメッセージを横目で確認する。


「え…」


 メッセージを送ってきた相手はふうだった。

 

『焼きそばが食べたいです』


 そんな気が抜けるような文面から始まったメッセージは、二行目でガラリと雰囲気を変えた。


『ちょっと真剣な話がしたいです』


 翔真はごくりと喉を鳴らした。

 一瞬の静寂の後、体中から汗が噴き出し、心臓が激しくのたうち回る。

 まるで、遅効性の毒を飲んでしまったかのようだった。


(病院で…なんかあったのか?)


 今日は病院に抑制剤を貰いに行ったはず。

 そこで、何か深刻な話をされたのだろうか。

 それとも ──。


(惹かれるアルファに…出会ったのか?)


 そこまで考えて、激しく頭を振った。

 もしそうならば、あまりにも一行目の文章が適していない。

 なら、わざわざ事前告知するほどの真剣な話とはなんなんだろうか。

 考えれば考えるほど、体内の水分が減っていき、翔真は目眩を感じた。

 そんな自分を落ち着かせるために、買ったばかりの缶コーヒーを思い切り煽った。


「え、大丈夫ですか…?」


 戸惑いがちに声をかけられ、翔真は目線だけを動かした。

 長財布を片手に、怪訝そうな顔で見上げてくるのは飛田だった。


「何かミスでもされたんですか?」

「あ、いや、そういうわけじゃないです」

「本当ですか? 私で良ければ手伝いますので、いつでも言ってくださいね」


 以前助けたことがあるからか、飛田の態度は友好的だった。

 翔真は情けない姿を見せてしまったことを恥ずかしく思いながら、苦笑いと共にお礼の言葉を返した。

 そこで会話が終わると思いきや、飛田は周囲に人の気配がないことを確認し、口元に手を添えた。


「あの、実は私…北野さんとお話できるタイミングをずっと見計らっていたんです」


 静かに目を見開いた翔真に、飛田は小さな声で尋ねた。


「北野さんが一緒に暮らしている彼女さんって…オメガですか?」


 翔真は警戒心から目を細めた。

 そして、飛田の一挙手一投足を見逃さないように努めた。


「なんで、そう思ったんですか?」


 尋ね返された飛田は、気まずそうに視線を泳がせる。


「笹塚さんから、北野さんが三ヶ月に一回ぐらいの頻度で有給を使っていると聞いて、それで…」


 何故、そんな話になったのか。

 疑問は残るものの、翔真は大きく息を吐いて脱力した。


「まぁ、わかる人にはわかりますよね…」

「はい。たぶん、勘付かれてる方は多いです」


 飛田は眉尻を下げると、同情するような眼差しを翔真に向けた。

 翔真はふうのことをわざわざ進んで話さないだけで、完全に隠そうとはしていなかった。

 むしろ、そんなことは無理だと端から諦めてすらいた。

 しかし、会社の人から、こうして面と向かって質問されたのは今回が初めてだ。

 気を遣われているのか、はたまた絡みにくいと思われているのか。

 翔真は複雑な気持ちで、後頭部をかいた。


「年が近くて同性のオメガは貴重だから…友だちになれたらなぁって思いまして…」


 飛田は視線を落とし、頬を赤らめながらそう続けた。

 なんだそんなことか、と翔真は警戒心を取っ払った。


「あー、わかりました。聞いておきます」


 翔真が軽く承諾すると、飛田は嬉しそうに顔を上げた。

 それと同時に、彼女の首に巻かれている無骨なチョーカーが揺れた。

 ふうがあんなに嫌がっているチョーカーを毎日欠かさずつけている彼女に尊敬の念を向けながら、翔真は早急に仕事を片付けるべく自席に戻った。

 正直、彼の頭はふうからのメッセージで一杯いっぱいだった。

 当たり前のように定時退社を決め、最寄りの駅近くにあるスーパーで焼きそばの材料を購入した。

 不安が拭えないまま、自宅のドアを開けると、軽い足取りでふうが出迎えてくれた。


「おかえりなさい」


 いつもと変わらない柔らかな笑顔を見た途端、膨れ上がった不安が萎んでいき、翔真は力なく笑い返した。


「ただいま」

「…疲れてる?」

「ふうが変なメッセージ送るからだろうが!」


 きょとんと首を傾げたふうに、翔真は思わず大きな声を上げてしまった。


「もしかして、別れ話かと思った?」

「自覚あったのかよ!」

「ちょっとだけ」


 ふうは申し訳なくなり、翔真が持っていた買い物袋を奪うように預かった。

 そして、代わりにリビングに運んでいく。


「焼きそばの材料だ」

「ちゃんと買ってきたから食おう」

「うん」


 翔真は立ち止まって中身を確認するふうの頭をポンっと優しく撫でると、慣れた手つきでうなじに触れた。

 傷一つない滑らかな感触は、ふうがまだ誰のものでもない証拠。

 翔真はそれを愛おしく感じた。


「んで、ちょっと真剣な話ってなに?」


 買ってきた野菜や肉が傷まないように、冷蔵庫に避難させながら、翔真は尋ねた。

 ふうはカバンから被験者募集について書かれた紙を取り出すと、彼の背中に向かって差し出した。


「新しい抑制剤の被験者になろうと思ってる」


 新しい抑制剤。被験者。

 拾い上げた単語を頭の中で反芻してから、翔真は振り返った。

 そして、ふうが差し出している紙を手に取ると、理解を深めるために文字を追いかけた。


「…結婚を望まないオメガや、私のようにベータのパートナーを見つけたオメガに向けて開発されているらしい。今のものよりも効果が強いから、翔真に迷惑をかけることも減ると思う」


 無言の時間に耐えられず、真剣に情報を読み込む翔真に向かって、ふうは口頭でも説明した。

 翔真は目を細め、口元を手で覆い隠した。


「…これって副作用あるよな?」

「うん。ある」


 紙にも、はっきりとそう書かれていた。


「検査してからじゃないと被験者になれるかどうかはわからないから、生死に関わるものではない…と思う」

「………」


 翔真ならそこに引っかかるだろう、とふうはあらかじめ予想していた。

 そして、案の定、翔真はそこに難色を示した。


「急に体調崩したらどうすんの?」

「由美さんが協力してくれるって」

「由美さんが?」

「櫂くんの未来にも関わるからって」

「………」


 翔真は自身の後頭部に手を回すと、複雑な思いを隠すことなく表情に出した。

 なんとか拒絶できる点を探している。

 ふうにはそう見えた。


「病院の場所は?」

「都内。電車で一時間ぐらい」

「通えんの?」

「…頑張る」

「頑張る、ねぇ」

「平日のラッシュを避ければ空いてるでしょ?」

「まぁ、座れるぐらいには」


 お互い短い言葉で、攻防を重ねていく。

 いまだに着地点は見えていなかった。

 

「これに、危険を承知の上でふうが参加する理由ってあんの?」 

「ある」


 ふうは後ろで手を組むと、胸を張って、背筋を伸ばした。

 そして、翔真の瞳を真っ直ぐに見上げた。


「私がほしいから」


 その力強さに圧されて、翔真は目を見開いた。

 彼女の意思を覆すことは、もうできないかもしれない。

 そう諦めながらも、更に尋ねた。


「それはなんで?」


 翔真は、すぐに回答が返ってくると思っていた。

 けれど、ふうは気恥ずかしそうに目を逸らした後、唇を噛み締めた。

 生まれた不自然な沈黙に翔真が首を傾げた時、ふうはようやく口を開いた。


「 ── 翔真と結婚したいから」


 ひらり、と翔真の手から紙が落ちていった。


「翔真。この新薬が完成して、私が今よりももっと普通に生きられたら…」


 潤んだ瞳が見上げてくる。


「私と結婚して?」

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