17:もたらしたもの
体が熱い。
ヒートが訪れるであろう予兆を感じながら、ふうはリビングのソファに寝転がっていた。
近くには翔真もおり、小さめの音量でテレビが流れている。
休日の昼間に流れる情報バラエティー番組では、近日公開されるとある映画について語られていた。
ふうは目を細めながら、ぼんやりとその情報を拾っていった。
暗色に満ちたポスターに、硬い表情をした俳優陣。
それだけで、堅く重い内容だということが伝わってくる。
おそらく、見終わった後にずしっと体が重くなるような、大切な何かに気づかせてくれるような、ついつい思案してしまうような、そんな内容なんだろう。
(日本の映画ってそういうの多いよなぁ…)
毎週金曜日に翔真と一緒に放送される映画を見る習慣があるふうは持論を展開する。
もちろん、全部が全部、そうであると言いたいわけではない。
邦楽でも明るい作品はあるし、コメディーに全力で向き合っている作品もある。
部活に励む学生の物語なんかは、悔しさをバネに飛躍するような場面が必ずあり、勇気をもらえる。
それなのに、強く印象に残っているのは、底なし沼のような作品ばかりだった。
『 ── それにしても、昔は同性婚が禁止されていたなんて信じられませんよね』
微睡んだ時に聞こえてきたコメンテーターの言葉に、ふうは勢いよく目を開けた。
そして、自分の聞き間違いだったかどうかを確認するために、テレビを凝視した。
しかし、話題はすでに他に移ってしまっていた。
「…ねぇ、翔真。昔って同性婚が禁止されていたの?」
抱いた疑問を解消できず、ふうは思わず翔真に尋ねた。
マグカップを片手にコーヒーを飲んでいた翔真は振り返り、首を傾げた。
「歴史の授業で習ったろ」
「覚えてない…」
中学も、高校も、ふうはちゃんと通っていた。
しかし、皆と同じように教室で授業を受けた回数は少なく、保健室登校という状態だった。
それでも、自力で勉強し、両親に手伝ってもらい、大学に受かるほどの学力を得ることはできた。
しかし、それは受験時に必要な科目に限られていた。
翔真は何かを察したかのように、それ以上追求することなく、ふうと向き合った。
「日本で同性婚が許可されたのは、バース性が認知されてからだ」
バース性という概念は、ふうが生まれる前からあるものだ。
しかし、遥か遠い過去かと言われれば、そうではなく、昔話として語るには新しすぎた。
「番になったアルファとオメガが同性である割合が低くないことから、許可されるようになったんだ」
ふうは理解しながらも、上手く飲み込めずに瞬きを繰り返した。
「じゃあ、それまで…同性と付き合ってた人たちはどうしてたの?」
「結婚しないまま暮らし続けたか、許可されてた海外に移住したか、かな。日本はけっこう排他的だったから、昔は恋愛は男女でするものだっていう固定概念が強かったらしい」
翔真は振り返り、先ほどの暗色に満ちたポスターに視線を向けた。
「あの映画は、そんな時代に同性と付き合ってた人たちがどういう視線に晒されて生きてきたか…を描いてるんだってさ」
ふうもつられるように、改めてテレビに視線を注いだ。
「酷い場合だと、同性を好きになるのは病気だとか言われてたらしい」
「えぇ…」
信じられない、とふうは眉を寄せた。
「人を好きになるのに男も女も関係ないのに」
「本当にな」
唇を尖らせるふうを宥めるように、翔真は彼女の頭に手を伸ばし、撫でた。
それが心地よくて、ふうは僅かに持ち上げていた頭を再びクッションに沈めた。
「もしかして、バース性って社会を大きく変えたのかな」
ポツリと呟いたふうに、翔真は穏やかに口角を上げた。
「盛大に変わったな。男が妊娠できるようになったし、女性の社会進出も後押しした。新しい差別を生んだ面もあるけど、人生の選択肢を増やした…とも考えられる」
翔真の手が往復するたび、ふうはゆっくりと瞼を落としていった。
テレビからはいまだに映画についての情報が流れてくるが、翔真の声に耳を傾けるので精一杯だった。
しばらくして、ふうから寝息が聞こえてくるようになると、翔真は静かにテレビを消した。
そして、起こさないように注意しながら、ふうの額に手を当てて、体温を測った。
(明日か、明後日ぐらいかな)
今日はまだ土曜日のため、ヒートが来るなら明日の日曜日であってほしい。
翔真はそう願いながら、ゆっくりと折り曲げていた膝を伸ばすと、リビングダイニングに置いてある棚の引き出しを開けた。
中には抑制剤と書かれた薬袋があり、取り出し口を広げると、PTPシートの銀色が光を反射させた。
その眩しさに目を細めながら、残っている薬の数を確認していく。
(そろそろ、新しくもらわないと)
今回分はあるけれど、次にヒートが来たときには足りない恐れがある。
翔真は引き出しを閉めると、ローテーブルに放置していたスマホを手に取った。
そして、カレンダーアプリを開き、渋い顔をした。
(…休めそうにねぇなぁ)
近々、ヒートが来て有給を使ってしまうから、なおのこと難しかった。
翔真は後頭部に手を当て、苛立ちを解消するように、僅かに爪を立てた。
抑制剤は、大きな病院でしかもらえない。
この辺りでは、バスで四十分ほど揺られた先にあるアクセスの悪い辺鄙な場所にある総合病院しかない。
駅前のクリニックでも処方してくれればいいのに、と翔真とふうはいつも不満に思っている。
しかし、オメガの数が少ないことと、ヒートと向き合うのは番ができるまでの短い期間だけだという認識が根付いているせいで、なかなか対応してくれる場所が増えないのが現状だった。
(一人で行かせたくねぇな)
翔真は、ひっそりと唇を噛み締めた。
その辺鄙な場所にある総合病院には、今までに何度も二人で足を運んでいる。
特別親切というわけではないけれど、ズカズカと踏み込んでくることもなく、雑な対応をされたこともないので、悪い印象はなかった。
けれど、病院という場所には多くのアルファが勤務している。
それが問題だった。
(ふうのことを信用してないわけじゃないけど…)
ふうは、交流関係が狭いかわりに、自分に寄り添ってくれる人を大切にする。
だからこそ、幼なじみの中河原とも、大学で知り合った笹塚とも、初めての恋人である翔真とも、長く付き合っている。
簡単に裏切ったりしないことは、翔真が一番よくわかっている。
しかし、どの面から見てもアルファが優れていて、魅力的であり、理性では振り切れない存在であるという事実が心に巣を作っていた。
(あー、もう)
翔真がアルファに対して劣等感を抱くようになったのは、ふうと付き合い始めてからだった。
彼にとってアルファとは雲の上の存在で、身近にはいなかった。
今だって身近にはいないけれど、ふうを通して、まじまじとその存在を感じるようになった。
そして、いつしか、アルファにふうを取られてしまうのではないか、という畏怖を抱くようになってしまった。
遣る瀬ない気持ちを抱えたまま、翔真はソファに寄りかかるようにして腰を下ろすと、現実逃避を始める。
アルファになる薬。アルファになる手術。
既にサジェストに記録されているキーワードから、自分がアルファになる方法を探していく。
とある研究者の論文から、怪しげな掲示板まで網羅し、めぼしい情報がないと知ると天井を見上げて項垂れた。
(…ずっと、こんな風に不安なのかな)
五年、十年と、この気持ちと付き合わなくてはいけないのだろうか。
天井から降り注ぐ人工的な光は、翔真の眼球をチクチクと刺し続けた。




