15:運命の番
櫂は大きくため息をつくと、脱力して背もたれに寄りかかった。
そして、苦虫を噛み潰したような顔で母親である由美に視線を送った。
「だから、言ったろ。母さん」
由美は俯くと、太腿に乗せていた手を握りこぶしに変えた。
漂う重苦しい雰囲気に、ふうと翔真は察した。
目指していた進路が先ほどのどれかに当てはまっていた、ということに。
「…もしかして、スポーツ推薦?」
サッカーをずっとしていたという櫂のプロフィールからそう推測し、翔真は首を傾げる。
由美の様子は変わらなかったけれど、櫂が気まずそうに翔真と目を合わせ、頷いた。
「強豪校から声がかかってたんです。良ければって」
櫂は瞼を半分ほど落とすと、目の前に置かれたジンジャーエールに虚ろな眼差しを向ける。
ネットで調べている時から半ば諦めてはいたが、先ほど完全に希望が潰えてしまったのだろう。
「あんな強豪校、アルファがいるに決まってる。オメガが寮生活なんてムリだし」
櫂はまるでやけ酒をするかのように、ジンジャーエールが入ったグラスを勢いよく仰いだ。
カラン、と響いた氷の音が静寂を強調した。
「…ごめん」
沈黙の中、由美が謝罪の言葉を口にした。
何に対する謝罪なのか、他の三人はすぐに理解することができなかった。
「普通に産んであげられなくて、ごめんね。せめて、ベータだったら…」
櫂の方に顔を向けて、由美は瞳を涙で潤ませる。
歯を食いしばり、耐えてはいるものの、こぼれ落ちるのは時間の問題だった。
櫂は、これでもかというほどに顔を歪ませた。
「母さんのせいじゃ…ないじゃん」
震える声が釈明する。
おそらく、そう言葉にするのが精一杯なのだろう。
そんな彼の心境を、ふうは痛いほど理解できた。
(誰も悪くない)
バース性は両親の遺伝子に関係なく、ランダムで決められてしまう。
瓢箪から駒が出るという予想できないことが、どんな夫婦にも起こりえる状態だった。
ふうの脳裏に、由美と同じように謝罪してきた両親の顔がよぎった。
涙ながらに謝罪してきた両親を前に、ふうはほんの少しだけ思ったことがある。
産まれてこなければよかった、と。
自分がいなければ、誰も悩み苦しむことがなかったのに、と。
(今でも…たまに思うことがある)
目の前の光景に、ネガティブな感情が止めどなく溢れてくる。
それを誤魔化すために、ふうは小さく息を吐いた。
すると、何かを察したのかのように、翔真がテーブルの下で手を握ってくれた。
思わず見上げると、慈愛に満ちた眼差しが優しく見守ってくれている。
その温かさに、ふうは自然と肩の力を抜いた。
(…うん、大丈夫)
自分のことを嫌になる場面はたくさんあるけれど、そんな自分を、受け入れてくれる人がいる。
必要としてくれている人がいる。
ふうは、翔真の心配を和らげるために彼の手を握り返した。
そして、静かに由美に視線を向ける。
「由美さん。オメガの親の会…というものがあるらしいです」
「え…?」
俯いていた由美がようやく顔を上げた。
「私の母親が参加してました。同じ境遇の人と話すと、やっぱり落ち着くらしくて…よく相談したりされたりしてました」
ふうの母親は、今でもその会で出会った人たちと友だちとして関係を続けている。
つい最近も一緒に旅行に行った、と聞いたばかりだった。
由美にはそういう存在が必要な気がして、ふうは参加を促した。
「そんなものがあるんですね…」
「はい。一度、顔を出してみてはどうですか?」
由美は視線をウロウロとさせた後、手の甲で涙を拭った。
そして、ぎこちなくも笑ってみせる。
「そう…してみます。教えてくださって、ありがとうございます」
ふうはただ頷きを返した。
由美が本当に参加するかはわからないし、たとえ参加しなくても、ふうに咎めるつもりはなかった。
助け合える場所がある。
弱音を吐ける場所がある。
それを知っているのと知らないのでは、大きな違いがあると思っているだけだった。
続いて、ふうは櫂へと視線を向ける。
「学生を対象としたオメガの会もあるよ。私は…電車に乗って都内に行くことが嫌で参加できなかったけど、行けそうなら行ってみると良いかもしれない」
交流会というものは、どうしてもアクセスの良い都内が開催地になってしまう。
都内を選ぶ主催側の理由を察することはできても、ふうは自分自身に鞭打つことはできなかった。
なので、実際にどのような雰囲気なのかは、わからなかった。
ふーん、と呟いてから櫂はスマホを取り出した。
そして、教えてもらったばかりの知識を深めるかのように、交流会について調べ始める。
画面を見つめる彼の瞳が瞬いた。
「あ、本当にある。参加費無料だし、オンラインでもやってるみたい」
「え、オンラインでもやってるの?」
櫂の言葉に、思わず身を乗り出したのはふうだった。
「知らなかったんですか?」
「…何年も前の記憶だから」
「ほら、やってますよ」
櫂は、ふうに幻滅することもなく、快くスマホの画面を見せてくれた。
画面には参加者を募る文面が並んでおり、オンライン開催とも記載されている。
とくん、とふうの心がときめいた。
「おー。これなら、ふうも参加できるじゃん」
明るい声で背中を押してくれたのは、他でもない翔真だった。
冷房とアイスコーヒーで、一定の温度を保っていた体が好奇心で熱を帯びる。
参加してみたい、とふうは素直に思った。
「二十代の会もありますよ」
そんなふうに、櫂が笑いかけた。
「本当だ。教えてくれて、ありがとう」
「どーいたしまして」
へにゃり、と笑ったふうから、櫂は気恥ずかしそうに目をそらす。
「ふうさんって、あんまり大人って感じしないスね」
「え、そうかな」
首を傾げるふうの隣で、翔真はなんとなく櫂の心境を理解することができ、笑みを浮かべた。
「部活に、年上ってだけでえばり散らかしてる奴がいるんだろ?」
「そうなんですよ!」
翔真の言葉に、櫂は身を乗り出して同意した。
予想通りの反応に、翔真はケラケラと笑い声を響かせた。
「そんな奴らを大人と定義してたんなら、ふうは大人っぽくないだろうなぁ」
ふうは、長い間、交流範囲や人間関係を狭く維持してきた。
理不尽な陰口を叩かれることはあっても、人と真っ向から喧嘩をしたことはないし、部活や会社に所属したこともないから誰かと順位を争ったこともない。
その境遇が、ふうのまとう穏やかで柔らかい雰囲気を作っていた。
「ふうは、擦れてないから」
だからこそ一緒にいると肩の力が抜けるのだ、と翔真はグラスを手に取った。
「…ノロケ?」
片肘をつき、櫂は不敵な笑みを浮かべた。
ふうはカッと顔を赤くさせて首を横に振って否定するも、翔真は真正面から受け止めて、言い返した。
「どちらかと言うと牽制だな」
恥ずかしげもなく言い切った翔真に、ふうも、櫂も、呆気にとられる。
そんな中、由美だけが、まるでドラマの一場面を見ているかのように瞳を輝かせた。
「お二人はいつからのお付き合いなんですか?」
「大学の同級生です」
「そうなんですか!」
大学。ベータとオメガの恋人。
そのどれもに、由美は心躍った。
オメガということで叶わないこともあるけれど、思っていた以上に自由に生きられると感じられたから。
「お二人はまるで、“運命の番”みたいですね」
由美が放った言葉に、ふうと翔真は息を呑んだ。




