14:健やかに
夜に訪れたカフェ・アンダンテは日中とまた違う雰囲気を醸し出していた。
日中は浅瀬のように爽やかで、客を心地よくもてなしてくれたが、今はまるで深海。
人工的なオレンジ色に照らされたガラス細工はどことなく妖しく、テレビなどで見た光る深海魚を思い出させる。
ふうが櫂の正面に腰を下ろすと、由美がコーヒーを淹れると言って、カウンターに入っていった。
「北野さんは、どれがいいですか?」
そう声をかけられ、翔真もカウンターに歩み寄り、手渡されたメニュー表を眺め始めた。
自然な流れで二人きりにされ、ふうはごくりと唾を飲み込んだ。
同じオメガだからといっても、性別は違うし、年齢も離れている。
いきなり、核心的な話題に触れることもできず、懸命に頭を働かせて話題を探した。
「あの、櫂くん」
「はい」
「私はあんまり外に出ないし、普段から一緒に暮らしている翔真以外とはほとんど話さない。だから…えっと」
「人見知りなんですか?」
「あ、ハイ」
くどくどと回り道しながら話していると、いきなり直球ストレートを投げられ、ふうは身を縮ませた。
「櫂くんは人見知りしないの?」
「しないです。サッカーしてるし。でも、これから人嫌いになるかも」
ふっと目線をテーブルに落とした彼に、ふうは目を丸くした。
けれど、すぐに言葉の意味を理解することができた。
「それ、わかるかも。チョーカーつけた途端、周りの反応がガラッと変わるよね」
櫂は視線だけを動かすと、ふうを見つめた。
「…俺、けっこう友だちいるんスよ。ずっとサッカーしてたし、女子からもたまに告られたりして。前から筋トレ頑張ってんのに筋肉つかなくて、なんでかなって思ってたら、オメガだって言われて…みんな、よそよそしくなった」
櫂はテーブルの上で両手を合わせると、強く握りしめた。
眉間にもシワがより、急に降ってきた理不尽な出来事に、怒っているのが伝わってきた。
「気にするなって言ってくる奴が一番気にしてるし、お前は何にも変わってないって言ってくる奴が一番態度変えてくる。イライラする…」
心配、気遣い、同情。
対等だと思ってた人たちが急に距離を置き始めて、戸惑わない人はいない。
ふうは片腕を強く掴んだ。
そうしないと、学生時代の嫌な記憶が蘇ってきて、彼の話を集中して聞けなくなりそうだったから。
「さっき、全然外に出ないって言ってたけど仕事どうしてるんスか?」
「株をしてる」
株なんて、中学生にわかるのだろうか。
そう思いながらも、率直に答えると櫂は目を丸くした。
「え、すご! 早期リタイヤってやつ?」
今度はふうが目を丸くする番だった。
「いや、そんな大それたものじゃない」
実際に、稼いでいる額は新社会人と大して変わらず、貯金もあまりできていない。
しかし、櫂がふうへと抱いた尊敬の念は陰ることはなかった。
「俺、会社員とか嫌なんですよ。つーか、ムリっすよね、オメガで就職とか」
櫂は頬杖をつくと、皮肉めいた笑みを浮かべた。
おそらく、今日までにネットでたくさんの情報を得てきたのだろう。
中でも、ネガティブな内容のものばかり。
「もう、勉強すんのも馬鹿らしいですよね。良い高校とか大学とか、なんも意味ない。俺、顔は褒められるから、顔出ししてゲーム配信とかしようかなぁとか考えてるんですよ。良い案だと思いません?」
ふうは思わず目を細めた。
飄々と振る舞ってはいるが、彼の投げやりな言動から、大きな不安を抱えているのは伝わってきた。
無理やり色々なことを、諦めようとしていることも。
「それで櫂くんが健やかに生きていけるなら、私は良いと思う」
「健やかって…」
「私は…耐えられなかったから。たくさんの人の視線とか偏見に」
「………」
ふうの言葉に、半笑いを浮かべた櫂は、すとんっと感情が抜け落ちたかのように無表情になった。
「由美さんから聞いたかもしれないけど、オメガ専用のマッチングアプリがあるの。私はそれで色んな人たちが、なんとか自立しようと戦ってるのを知った。でも、全員がそうある必要はないと思う」
戦ってる人は仲間を欲しがっている。
人数が多ければ多いほど有利だから。
それでも、人には合う合わないがある。
ふうは、戦う人たちを尊敬しながらも、自分にはできないと静かに線引きをした。
「自分本位に、自分のしたいことをすればいいよ」
現代は選択肢が多いから、そんな生き方もできる。
ふうはそう信じていた。
「自分のしたいことだけって…それで、人と生活していけてんの?」
櫂はまた嘲笑うかのように顔を歪めると、カウンター前にいる翔真に視線を向けた。
翔真はいつの間にかこっちを向いていて、会話を聞いていた。
睨まれたわけではないのに、自分より背の高い大人の男性に見下され、櫂は無意識に肩をすくめた。
「うん。翔真は、そんな私を肯定してくれるから」
団体競技をしている櫂には、すぐに理解できる価値観ではなかった。
ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために。
それがサッカーでは当たり前の考え方で、自分一人が好き勝手したら、勝てる試合も勝てなくなってしまうから。
ふうの生き方は、ずっとサッカーをして和を大切にしている櫂の生き方とは、全く違うものだった。
「私を受け入れてくれる人がいるんだから、櫂くんを受け入れてくれる人はもっとたくさんいると思う」
「…オメガなのに?」
「うん」
櫂は眉間にシワを寄せると、テーブルに寄りかかるように、姿勢を前倒しにした。
そんな彼に少しだけ顔を寄せて、ふうは表情を和らげた。
「あと、私も、気にしちゃダメだよとか、何も変わってないよって、幼なじみに言われた。その子とは、今も友だちなの。だから、櫂くんの周りの人たちも…どう接したらいいのか戸惑っているだけじゃないかな」
ふうがそう語りかけると、二人のもとに靴音が近づいてきた。
アイスコーヒーが入ったグラスを二つ手に持った翔真が、僅かに顔を上げた櫂に笑いかける。
「ふうに同意だな。人との縁が切れる時って案外アッサリしてるもんで、気遣ってくれてんのは関係を続けたいっていう気持ちの現れの可能性が高い」
翔真はソファの奥に座るふうの前にグラスを一つ置くと、隣に座った。
そして、乾いた喉を潤すようにもう一つのグラスを口に運んだ。
中の氷がぶつかり合い、カラン、と音が響いた。
「まだ、若いんだから色々と挑戦してみろよ。で、ダメだったらふうに投資の仕方を教えてもらったらいい。個人的には、ゲーム配信見るの好きだから応援するけど」
思ったよりもずっと人当たりの良い翔真に、櫂はゆっくりと顔を上げていった。
「ふうだって、大学は卒業してるしな」
「えっ」
翔真の言葉に、櫂は瞳がこぼれ落ちそうなほど見開き、絶句した。
そんなに意外なことだろうか。
ふうは、自分がどんなイメージを抱かれているのか、想像するのが少しだけ怖くなった。
「片倉さん、大学を卒業されてるんですね! ということは高校も?」
明るい声で問いかけてきたのは由美だった。
彼女は櫂の前にジンジャーエールを置くと、改めて座り直した。
そんな彼女の前には、層が二つに分かれている様子が美しいアイスカフェラテが置かれている。
「入学する時は、やっぱり事前に申告するんですか?」
やはり、親としては学校などの進路が気になるらしく、由美は前のめりになった。
「はい。アルファがいたら、危険だから必要です。あの…残酷なことを言うようですが、偏差値の高い有名なところには必ずアルファがいます。そして、多くの学校は、オメガより優秀なアルファを取ります」
ピキリ、と由美が固まったのがわかった。
隣の櫂も表情を歪ませる。
「私は、櫂くんがしたいことをすればいいと思ってる。でも、もし…医者や弁護士、スポーツ選手などを目指しているなら…とても厳しい道のりになる」
可能性はゼロではない。
でも、社会は優秀な人を優先する。
ふうはそのことも痛いほど知っていた。




