13:同じ生き物
突然の申し出なのに、ありがとうございます。
そんな言葉で締めくくられたメッセージを、ふうは読み返していた。
先月、中河原と共に来店したカフェ・アンダンテ。そこの店主をしている柴崎由美は、オメガの先輩として息子と会ってほしい、とふうにお願いした。
何かを頼まれたりすることが滅多にないふうは戸惑いを隠しきれなかったし、行動範囲が極端に狭い自分の身の上話が誰かの役に立つ気もしなかった。
それでも、承諾し、会いに行く準備をしている。
オメガが社会的に孤立しやすいことは嫌というほど理解しているから。
「ふう、もう出よう。バスって時間通りに来なかったりするし」
玄関へと続くドアに手をかけ、翔真が声をかけてきた。
それに顔を上げ、ふうは握っていたスマホをカバンの中に放り投げた。
歩み寄ってきたふうに、翔真は首を傾げながら最終確認する。
「本当に俺が同席していいのか?」
「うん。由美さんが、翔真の話を聞きたいって」
「まぁ、同じ境遇…といえなくはないか」
翔真は納得すると、ドアを開けた。
そして、我先にと玄関へと向かった。
その背中を追いかけて、ふうも外に出た。
途端、むわっとした空気が体を撫で、その不快さに目を細める。
猛暑日が続く八月は、コンクリートが日中に溜め込んだ熱を排出するため、夜になっても気温が下がりにくい。
冷房の効いた部屋の中で蝉の鳴き声を聞き続けていたふうは、改めて夏が来ていることを実感した。
「暑い…」
体を動かすたびに汗が吹き出て、服が張り付く。
その服をパタパタと揺らしながら、ふうは眉間のシワを深めていった。
「バスの中は涼しいはずだから、もうちょっとの辛抱だ」
そんなふうの様子に、翔真は苦笑いを浮かべた。
それに弱々しい声で応え、ふうは足を動かし続ける。
「そういえば、マッチングアプリはどうなったんだ?」
バス停に向かう道中、翔真は思い出したように尋ねた。
「私に、スマホを操作する習慣がなさすぎて…」
「あー、ああいうのってマメさが必要らしいからな」
「うん。でも、オメガということに悩んでいる人がたくさんいることはわかった」
マッチングアプリ内には様々なサービスがあった。
メッセージをやり取りできるサービスや、コミュニティという趣味を通して知り合えるサービス。掲示板というものも存在し、オフ会の参加者を募っていたりもする。
その中で、ふうがよく利用しているのが登録者の日々の呟き機能だった。
今日何をしたかとか、何を感じ、何を思ったのか。
そういった何気ない報告を、思い出した時に眺めていた。
「柴崎さんの息子も、やってるんだっけ?」
「十八歳以下は使用できない規定だった」
「あー、まぁ、そうか」
翔真は苦々しく感じながらも、仕方がないことだと納得した。
おそらく、中学生は自分と他人を最も比較してしまう年齢だ。
そして、まだまだ視野が狭いからこそ、普通のラインから外れた子は排除されてしまうことがある。
だからこそ、学校以外に視野を広げることは大きなメリットになるのだが、ネットで知り合った大人に子供が変なことをされたというニュースも定期的に流れてくる。
オメガたちがひっそりと集まる秘密の園。
運営側がそれを守るために参加条件を厳しくして、徹底的にトラブルを避けている姿勢は評価できた。
「ねぇ、翔真」
不意に声をかけられ、翔真はふうに顔を向けた。
眉間にシワを寄せ、彼女は真っ直ぐに翔真を見つめている。
その瞳が、街灯に照らされ、眩しい。
「オメガになった男の人は、子供を産めるようになるでしょ。私は元々女だからそこを揶揄されることはなかったんだけど…その、同性から見て男のオメガってどう感じる?」
投げかけられた問いに、翔真は口元を手で覆い隠しながら、懸命に言葉を選んだ。
「…正直に言うと、中学生の頃に男のオメガに出会ったら…気色悪いって敬遠したと思う。オメガじゃなくても、女っぽい男って煙たがられがちだし。なんだろうなぁ…。本能的に、自分とは違う生き物…って感じるのかも」
「違う生き物…」
話を聞いていたふうは、自然と『みにくいアヒルの子』を思い出していた。
姿が違うからと仲間外れにされたひな鳥が実は美しい白鳥だったというその物語は、悪意などではなく、生き物の本能を描いているように感じた。
自分とは明らかに異なる未知なる存在。
己の命を守るために、そういう存在を排除しようとするのは、むしろ健全な行為にも思えた。
虐めなどの犯罪行為は看過できないし、中学生の少年に理解できる境地とも言えないが。
「男のオメガの方が、ずっと生きにくいかもしれないね」
ふうは思わず肩をすくめた。
そんな彼女の髪を揺らすかのように、待っていたバスが路肩に止まった。
日曜日の二十時ということもあってか、車内は薄暗く、空いていた。
カードをかざしてから二人用の席に腰を下ろし、翔真は中断していた会話を再開させた。
「俺さ、女のアルファに会ったことないけど、やっぱり色々と言われんのかな」
その言葉に、ふうは「確かに」と頷いた。
女性アルファは、男性オメガや女性ベータを妊娠させる機能を持っている。
男性オメガと真逆に位置しながらも、彼女たちもまたみにくいアヒルの子であることに変わりはなかった。
「まぁ、勝手なイメージだけど、アルファだったらビシッと正論で言い負かせてそう」
「わかる」
それもまた偏見であることを、二人は理解していた。
バスに揺られること三十分。
二人はカフェ・アンダンテにたどり着いた。
営業時間はとっくに過ぎているが、店内の明かりはついていて、人の気配がある。
閉店したカフェを訪ねるなんて体験をこれまでしたことがなかったふうは緊張しながらも、ゆっくりと扉を開けていった。
すると、以前来店した時と同じように充満していたコーヒーの香りが、夜風と共に外に逃げ出した。
それに強張っていた体から、力が抜けていくのを感じた。
「あ、片倉さん。来てくださって、ありがとうございます」
ドアが開いた音に真っ先に気がつき、由美が歩み寄ってきた。
カウンターに立っている時よりも雰囲気が柔らかく、表情豊かに見えるのは、今がプライベートな時間だからなのかもしれない。
そんな発見に僅かな優越感を覚えながら、ふうは大したことではないと首を横に振った。
そして、後ろにいる翔真のことを紹介した。
「由美さん、翔真です」
紹介された翔真は、ふうに続いて店内に足を踏み入れると、愛想よく笑みを浮かべた。
「はじめまして。北野翔真です。今日はよろしくお願いします」
そんな翔真につられ、由美も笑みを返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします。このカフェの店主をしている柴崎由美です。それと ──」
由美はお団子からこぼれ落ちた後れ毛を靡かせて振り返った。
店内に設置されているソファの端。そこに、一人の少年が居心地悪そうに座っている。
「息子の、櫂です」
黒よりも少しだけ明るい髪に、白い肌。天井からぶら下がるペンダントライトに照らされた瞳は澄み切っていて、まるで水面を切り取ったかのようだった。
綺麗な子だ、とふうは無意識に思った。
そしてそれが、あらゆる人類がオメガに感じる普遍的な感情なんだということも。
(やっぱり…オメガってそういう風に作られてるんだな)
なんだか、鏡越しに自分自身を見つめているようで、ふうは切なくなった。
けれど、その感情を押し殺して、彼を安心させるために不慣れながらも笑いかける。
「はじめまして、櫂くん。片倉ふうです。呼びやすいように呼んで」
そう自己紹介をした後、ふうはアピールするように、自身の首についているチョーカーを掴んで揺らした。
彼女の行動に、櫂は目を丸くした。
本来ならばチョーカーは、オメガにとって隠したいもので、忌々しいものだからだ。
しかし、戸惑いながらも、同じようにつけているチョーカーを揺らす。
この場では、その行為こそが、二人が同じ生き物であることの証明だった。




