12:マッチングアプリ
「その新卒、ファッションに全く興味ないんだよね。会社にも毎日スーツ着用」
他の部署ならそれでいいんだけどね。
中河原はそう補足して、頬杖をついた。
「最初は、アルファってだけで興味のない部署に配属されて期待されて大変だなーって色々と面倒をみてたの。だけどさ、その子が作る企画がすっごい面白いわけ!」
握りこぶしを作った右手をテーブルに振り下ろして、中河原は悔しそうに歯を食いしばった。
「今までファッションに興味なかったからこその着眼点って言うのかな。私には思いつかない企画ばっかり!」
テーブルを睨みつけていた中河原は勢いよく顔を上げた。
窓から差し込む日差しに照らされたその瞳に、ふうは見入る。
まるで、太陽を閉じ込めたかのようにギラギラと乱反射していたからだ。
「もちろん、その子も努力してたよ。たくさんデータ集めて、取材して。でも、才能ってものを感じたの。アルファ特有の」
悔しさと憧れを閉じ込めた瞳を細め、中河原は呟いた。
「私は…所詮ベータなんだって思わされた」
カタ、と小さな音を立てて、中河原は背もたれに寄りかかった。
天井には、カフェ内に飾られているガラス細工の光が映っていた。
ユラユラと揺れる水面のような光の美しさに、中河原は脱力した。
「だから、もう無理しない。有給も代休もちゃんと消化して、プライベートも楽しむって決めたの」
そして、瞼を閉じた。
「大好きなこの仕事を長く続けていくためにね」
それは、寂しそうにも、戦い続ける覚悟がこもった力強い音色にも聞こえた。
聞き入っていたふうは、静かに頷きを返した。
「すごく良いと思う」
その言葉に、中河原はゆっくりと瞼を開ける。
「永遠に走り続けられる人はいないから」
天井に向けられていた中河原の視線が、ふうへと戻ってきた。
「ありがと」
白い歯を見せて、柔らかく笑った中河原に、ふうも笑い返す。
そして、心の中でひっそりと思った。
そんな風に打ち込めるものがあることが羨ましい、と。
(…オメガになる前は、私にもやりたいこととか夢とか…あった気がする)
もう、思い出すこともできないけれど。
ふうが視線をテーブルに落とした時、タイミングを見計らったかのように注文したものが運ばれてきた。
アイスコーヒーに、自家製のジンジャーエール。そして、チーズケーキが二つ。
テーブルを彩るそれらに、二人は瞳を輝かせた。
「美味しそうー! ちょっと、SNS用の写真撮らせて!」
「うん」
ふうは慣れた様子でテーブルから手を退かし、邪魔にならないようにとソファの端に移動する。
それに感謝の言葉を告げてから、中河原はテーブルに置いていたスマホを手に取り、差し込む日差しを確認しながら皿の位置を動かしていった。
ああじゃない、こうじゃない、と呟いた後、やっと納得のいく画角にたどり着いた彼女は連写機能を駆使して一気に何十枚と撮影した。
「おー、めっちゃ良い感じに撮れた!」
お眼鏡にかなう一枚があったらしく、中河原は前のめりだった体勢を戻し、ふうに撮れた写真を見せた。
光をうまい具合に活用したそれは、肉眼で見るよりも鮮やかでオシャレだった。
ふうも思わず「おぉー」と感心し、拍手を送った。
「よーし、食べよ!」
「加工とか投稿は良いの?」
「帰りの電車でやる!」
中河原は明るい声で返すと、両手を合わせた。
そして、子供のように「いただきます」と浅く頭を下げてから、ジンジャーエールに手を伸ばした。
つられるようにふうも両手を合わせ、祈るように目を瞑った。
「いただきます」
再び開けた視界に、アイスコーヒーとチーズケーキが映り込む。
なんだか、先程までよりも美味しそうだった。
「んで、翔真くんとは仲良くしてんの?」
フォークをチーズケーキに刺して、中河原は思い出したように尋ねた。
それに、口の中のチーズケーキを細かく噛みながら、ふうは頭の中で回答を作っていった。
「…この前のヒートですごく迷惑かけちゃった」
「え?」
「もしかしたら、引っ越すかも」
「えっ!?」
中河原の声がどんどん大きくなる。
しかし、平日の日中ということもあり、他に客がいないこともあって、店主から咎められることはなかった。
店主はカウンター内で、知らぬ存ぜぬといった様子で備品の確認をしている。
「 ── それは翔真くん、大変だったね」
一通り話を聞いた後、中河原が口にしたのは翔真への労いの言葉だった。
ふうは静かに同意した。
「にしても、近所にアルファがいたのかぁ。それは確かに引っ越しを考えちゃうかも」
「でも、なかなか良い物件が見つからないんだよね。あんまり都心から離れちゃうと翔真の通勤が大変になるし」
「通勤が長いの地獄だからね」
「そうだよね…」
ふうは会社勤務をしたことがないので、通勤ラッシュの大変さを知らない。
それでも満員電車の恐ろしさは、聞いただけでも理解できた。
長時間、ほとんど自分のスペースを確保できないまま我慢しなくてはいけない。
どれだけ神経が擦り切れるか。
できれば、このまま一生体験せずに生涯を終えたいとすら思っている。
「保健の授業でヒートのこと知った時は、三ヶ月に一回なら年に四回しかないから楽勝じゃんって思ってたけど、大人になると三ヶ月とかあっという間だよね」
「わかる。そもそも一年が短い」
「それなぁ」
中河原はまた頬杖をついて、苦笑いを浮かべた。
それに頷きを返し、ふうはアイスコーヒーに手を伸ばした。
既に三分の一が胃の中へと消え、敷き詰められていた氷が陸へと上がっている。
それでも冷たさは保っていて、グラスの表面にはいくつもの水滴が浮かんでいる。
それらがふうの指先を濡らした。
「そういえば、話変わるけどオメガだけでシェアハウスしてたりするんだって」
濡れた指先の腹を合わせていたふうは、中河原の言葉に反応して、視線を上げた。
「オメガだけで?」
「そう。シェアハウスだと安く借りれるし、オメガ同士だとヒートも助け合えるって」
中河原は少しの間スマホをいじると、該当する記事を発見し、ふうに共有した。
ふうは、彼女のスマホ越しにその記事の内容を斜め読みしていった。
「私らが学生の頃って、オメガはアルファのものみたいな風潮あったけど、それが嫌なオメガもたくさんいたんだろうね。どんどん変わってきてるなぁって思った」
記事に掲載されている写真には、モザイクが多用されていて、オメガたちの表情はわからなかった。
それでも、気兼ねなく生活している様子が伝わってきて、それはふうに新しい価値観を与えた。
「これって…どうやって知り合ったのかな」
ふうは、今までの人生で自分以外のオメガと出会ったことがなかった。
テレビや雑誌、ネットの書き込みで見かけることはあれど、オメガの知り合いは同級生にも、近所にもいない。
だから、こうやって集まっている人たちのことが不思議でたまらなかった。
「マッチングアプリだって」
「マッチングアプリ?」
「私も最近まで知らなかったんだけど、二年ぐらい前に開発されたんだって」
中河原は、ふうに向けていたスマホを持ち直すと、文字を打ち込み始める。
長いネイルで器用に操作する彼女の姿を、ふうはじっと観察した。
「オメガの診断書がないと本登録が完了しないオメガだけのマッチングアプリ」
オメガ専用マッチングアプリ。
そんなわかりやすくシンプルな名前をつけられたアプリのアイコンは、Ωの文字で彩られた無骨なものだった。
オシャレさはない。
だからこそ、格式の高さみたいなものを感じた。
「…これって、私にも使えるの?」
「証明書提出して、月額料金払えば使えるよ」
興味を示したふうに中河原は口角を上げる。
「物件探しのコツとか知ってる人もいるかもね」
差し込む日差しが強くなったのか、あるいは世界が広がったのか。
ふうは目に映るものが鮮やかになったのを感じた。
登録は帰ってからするにしても、今のうちにアプリのダウンロードだけでもしてしまおう。
ふうがカバンの奥底に転がっているスマホを掴んだ時、恐る恐る歩み寄ってくる人影があった。
「あ、あの、すいません…」
声をかけてきたのは今まで息を潜めていた店主だった。
話す声が大きすぎたのだろうか。
ふうと中河原が同時にそんなことを考えていると、彼女は言葉を紡いだ。
「そのアプリの名前…私にも教えてくれませんか?」
そう聞かれ、二人は思わず首を傾げた。
店主の首にはチョーカーがなく、どこからどう見てもオメガではなかったからだ。
そんな空気の中、彼女は体全体に力を込めて、辿々しく続けた。
「中学生の息子が…四月の検査でオメガと…診断されたんです」




