3.私たちの奥さま
私は侯爵家に新しく雇われたメイドです。
領地でお父さん、お母さんと暮らしていたんですが、弟の学校の費用を稼ぎたくて自分から応募しました。
入ってすぐ仕えることになった女主人は、稀代の悪女だって噂されているんです。すっご~く怖くないですか?
先輩に教えられて、ビクビクぶるぶる震えながらお部屋に行ったあたしは、もっと驚いちゃいました。
だって、窓際で本を読んでいたのは化け物だったんですよ!?
派手じゃないけど、上品なピンクベージュのドレスを着た化け物。
沼か泥から生まれたみたいな、ぬらぬらの髪の毛。まぶたが垂れ下がった目に、大きく裂けた口。
わんわん泣いたあたしに、奥さまは下がるようにって言ったんです。
それで、クビにされるって思ったあたしは、さらに泣きました。
それでも奥さまは辛抱強くて、あたしが落ち着くのを待ってくれたんです。
「驚かせてごめんなさい。あなたをクビにするつもりはないわ」
なんて他の貴族が平民には絶対にしない謝罪をしてくれて、
「チョコレートをあげるから、お部屋で食べてらっしゃい。それで、落ち着いたら紅茶を一杯淹れてきてほしいの。お願いできるかしら?」
頭の中が真っ白になっちゃったあたしに、こうしてほしいって言ってくれたんですよ!
しかも、全然怒らないの。
そのときだけじゃなくて、あたしはドジばっかするのに、奥さまはいつも落ち着いて話すんです。
怒るとか叱るとかじゃなくて、こうしたらいいのよって教えてくれるから、あたしはすっかり奥さまのことが大好きになっちゃいました。
いじわるな妖精に化け物にされちゃった可哀想な奥さま。
旦那さまのキスで元に戻らないかしらって、あたしは寝る前にいっつも願ってたんです。
だけど今日、あたしの願いは叶ったんです!
「彼女はメルシー・クレイヴンファーストとは全くの別人なので、言い間違えることがないように」
「なんですと」
って、いつも冷静な執事長も驚いてました。
でもすぐに白い髭を指でつまんで形を整えながら、奥さまの本名を尋ねています。
「ティルカ・カーチェスターだ」
旦那さまが言った名前は、無知なあたしには分からなかったです。
「その、皆さん……今まで騙していてごめんなさい」
悲しそうにする奥さまに、あたしは謝らないでって叫びそうになった。
奥さまはいつも自分がこんな素晴らしい場所にいるなんてって、侯爵夫人なのに肩身狭そうにしているんです。
きっと、化け物だって言っていじめる人がいるせい。
奥さまが前伯爵夫妻の娘だって打ち明けると、執事長が目をうるうるさせた。
「本当に生まれていらっしゃったのですね」
お生誕おめでとうございますなんて変なことを言う執事長。
あたしだけが馬鹿なのかな? 他の人は皆、ぽかーんとしてた。
え? つまりは、こういうこと?
奥さまは稀代の悪女なんかじゃなくて、正当な伯爵令嬢だった……で、合ってるのかな。
奥さまの専属メイド長のリリアさんにこそこそ耳打ちしたら、うなずいてくれた。
ってことは、本当にそうなんだ!
よかったあ、あの優しい奥さまが悪女だなんてこと、あるわけないもんね。
「許してもらいたいとは言わないわ……」
それより、あたしには身分とか家とか名前よりもずーっと気になることがあるの!
「お、奥様……お綺麗です」
どうしても言いたいことを言ったら、奥さまは「え?」って首を傾げた。
「ほんと。泉の妖精どころか、女神様が嫉妬したって言われても納得しちゃいそう」
先輩たちも頬を赤らめて、キラキラした目を奥さまに向けていた。
あたしは本当にそう、綺麗すぎる! って壊れたおもちゃみたいに首を振る。
「私の顔がですか?」
白い頬に手を当てて首を傾げた奥さまは、旦那さまと見つめ合う。
旦那さまもカッコイイから、目の保養ってのはこういうことを言うんだろうなあ。
「ティルカ、君程の美人は国中捜してもなかなか見つかりづらいぞ」
旦那さま、その通り! こんな美人、舞台女優にもなかなかいません!
「まあ。私、お母様に似ているそうですの」
執事長が何回も頷いている……。あたしは奥さまのお母さんの顔を知らないけど、本当に似てるんだ。
泥か肥を糸として捏ねたようにしか見えなかった髪は、星みたいに淡い光を集めた銀髪。
ゆるくウエーブがかっているのが、奥さまの落ち着いた雰囲気によく似合っています。
切れ長の目がキリッとしてて、見つめられたらドキドキしちゃいそう。
白くてなめらかな頬に青みがかったピンクの唇で、すごく高いお人形みたい。
「あっ、でも目の色は同じですね!」
野盗の首を絞めて意識を落としていた騎士のアイザックさんが、自分の目を指差して笑います。
「その通りだ。よく見ていたなアイザック」
確かに、奥さまの青っぽい紫色の目って珍しい。
光が当たるところにいると、宝石みたいで綺麗なんだよね。
旦那さまがふ、って笑いました。
奥さまにだけする、柔らかい見守るような目でほほえんでいる旦那さまは、とってもカッコイイんです。
「まあ、君の美しさは外見だけではないがな」
奥さまを見つめて、そう言う旦那さま。
あたしは思わず悲鳴を上げちゃって、リリアさんに叩かれちゃいました。
恥ずかしがる奥さまは本当に可愛らしくて、あたしはこれからのお仕事がもーっともっと! 楽しくなりそうだなって思いました!
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第1章はこれで完結です!
次回から第2章が始まり、アリエッサが出てきます




