第6話「どうして」
「あぁっ…!…くぅ…」
結子さんの苦しむ声が聞こえる。
「いっ………あ…」
絶対に見てはならない。
見たくない。絶対に。
知り合った人が目の前で殺されるなんて、見たくない。
なのにどうして。
人間の好奇心というものを本気で恨んだ。
顔を上げて、目を開けて。
「……………」
ニンゲンイソギンチャクから数えきれないほどの腕が伸びて、結子さんを捕食していた。
指が腕を、腹を、足を掴み、手のひらの口がそのまま体を噛みちぎる。
服ごと食われ、血を噴き出しながら筋肉が露出する。そこにまた別の腕が迫ると同じ場所を貪り食う。
地面に血が広がり"食べこぼし"が散らかっていく。
頭が真っ白になって、寒気がした。
…目が熱くなって涙が出た。
どうして僕を突き放したのか分かった気がした。
彼女は自分が敗北すると予想していたのだ。
僕が一緒に戦った場合でも勝利には届かないと判断し、巻き込まないために…。
立ったまま食い尽くされていく。
ついに結子さんの顔にまで腕が迫ると、と、と、と、
「ごめんなさい…」
足下、服の裾、細心の注意。
黙って、息を止めて、静かに。
1歩、2歩、下がって。
「ウ"マ"ァ"ーーーーーーーイ"!!」
ニンゲンイソギンチャクが叫んだ。
決着。勝利宣言だ。
大声の音に便乗して走った。
夢中で、走った。
何度も振り返って、
謝って、
どこまでも逃げるつもりで、
怖くて、
涙が止まらなくて、
だんだん視界が揺らいできて、
振り返って、
「うぅっ、結子さんっ!結子さん!」
もし、腕が僕を目指して伸びてきたら。
「嫌だぁっ…!!」
心拍音が強くなる。
体から心臓がこぼれ落ちてしまいそう。
今すぐ、今すぐ家に帰りたい。
安全な場所で出来るだけ小さくなって、何者にも見つからずに震えていたい。
ひたすら走って、すぐ近くで起きている最悪の事態を何も知らない人々の間を抜けていく。
すれ違いざまに肩や腕にぶつかるが謝る暇もない。
時には突き飛ばすことになっても走り続けた。
何すんだ、痛いじゃない、何なのあの人、どんなことを言われても心は傷まない。
「ひっ…はっ…はぁっ…」
足が痛いだとか、呼吸が乱れて苦しいとか、どうでもいい。
「っ、」
さっと通り過ぎた交番の近くには周辺の地図が書かれた掲示板があった。
そうだ、地図だ。
しかし立ち止まって現在地や目的地を探す時間はない。
走りながらポケットに手を入れスマホを取り出した。
待ち受け画面を開くとすぐに充電が20%を下回ったという通知が飛び込んでくる。
画面の右上に目をやれば残りの充電は…
「8%…!?」
急いで地図アプリを開く。
GPSをオンにしろと言われ設定画面に
「あんた!危ない!信号赤だよ!」
後ろから肩を掴まれた。
振り向けば知らないおばさんがひたすら危ないと連呼して僕を引っ張る。
「歩きスマホなんてするから!轢かれてたらどうするのよ!」
…GPSを起動し地図に戻る。
充電は残り7%。
「聞いてる!?おばさんが助けなかったら」
現在地を示し、地図にピンが刺さる。
色河町2丁目。駅はそこまで遠くないようだ。
「これだから若い子は…!」
残り充電が5%になり、強制的に省電力モードに切り替わった通知が出て、地図アプリが強制終了した。
画面の明るさも限界まで暗くなりいよいよ使い物にならなくなった。
スマホから目を離し、横でぶつぶつ言っているおばさんに声をかけた。
「ごめんなさい。助けてくれてありがとうございました」
「なによ人の話聞かないくせに突然」
「…とにかく急いでるんです。あの…駅ってどっちの方向に行けばいいですか?」
「駅?それならこっちの信号じゃなくてそっちにまっすぐだけど」
「ありがとうございます!」
「あ…あら、なによ…お礼は言えるの…」
………………………………next…→……
スマホを握りしめながら移動を続ける。
店が並ぶ通りに出て、交差点の先へ進むと町の雰囲気で駅が近づいてると察した。
「もう少し…」
学生の集団とすれ違う。
いよいよ駅だ。
駅前にありがちな少し気取ったカフェやドラッグストア。
そしてタクシー乗り場にバス乗り場。
ようやく…
ブロロロロ……
そこに、バイクが1台。
「え…?」
停車し、ヘルメットを脱ぐと…【ニンゲンイソギンチャク】の男だった。
その場から動かずキョロキョロと…誰かを探して…まさか。
僕はあの時しっかり隠れて様子を見ていた。
逃げる時だって気づかれなかったはずだし、個人を特定するような手がかりを残してもいない。
電車に乗ってさえしまえば…と少し気が緩んだところにすぐ危機が訪れた。
「いらっしゃいませー」
「ホットココアを。あの奥の席いいですか?」
咄嗟にカフェに入店。
店の奥には仕切りがあり、そこに喫煙席があった。
外からは見えない。こちらからも見えない。
席について壁に背中を預けると、ゾクリと嫌な感覚がして再び呼吸が乱れてくる。
もし、もしもだ。
あの男がこの店に入ってきたら。
もういなくなった頃だろうと外に出てもまだいたら。
駅に向かう途中で睨まれたら。
あぁ、だめだ。
悪い方へ転んだ場合…それを今のうちに対策しておきたいのに。
「ホットココアです」
店員が運んできたココアには触れず、ついでに置かれた水を飲んだ。
「………」
何を決心したのか、スマホを操作する。
充電はもうすぐなくなる。
でも、今はこの機械に頼るしかない。
この機械に頼って、さらには彼女に頼るしかない。
スマホを耳に近づける。
呼び出し音が聞こえる…
プルル…「…真?」
電話をかけてすぐに出てくれた。
「…凪咲さん…助けて…」
「どうしたの?今どこ?」
「今は」
声を聞いて、泣きそうになった。
今いる場所を伝える声は震えていた。
どうしてこうなった。
僕は凪咲さんを助けたくてここまで来たのに。
結子さんにも会えて、チャンスももらったのに。
結局また凪咲さんに頼っている。
何かあればすぐに彼女の名を思い浮かべて。
本当に辛いのは彼女だって僕は分かっているのに。
「わかった。そこから動かないで。もしな」
彼女の声が聞こえなくなった。
何事かとスマホを見れば、充電切れを示すマークが数秒だけ表示され、消灯。
「…………」
テーブルにスマホを置いて、そのままココアの注がれたマグカップに触れた。
外で冷えた手には熱すぎて少し痛いくらい…だが、その温もりがありがたい。
彼女が来るまで…来るまでの我慢だ。
「凪咲さん…」
………………………………next…→……
「あ…」
ココアと店内の暖房で体が暖まっていつの間にか眠っていたらしい。
トイレに行こうと席を立つ…ついでに店内を見渡すが特に問題はない。
1時間…いや、時間は見てないがもしかしたら数分しか寝ていないのかもしれない。
席に戻る前に軽食を追加注文しようとトイレ内に貼られていた新メニューを見て思った。
「とろけるチーズのホットサン…ド……」
楽しみにトイレを出た時だった。
店内のど真ん中。
周りの客や店員の目を気にせず、こちらをただ見つめている。
あの男が。
右手人差し指を口の端に引っかけて不敵な笑みを浮かべていた。
………………………to be continued…→…




