~神と人と魔族と~ 3
どれだけ飛んでも霧の終わりが見えない。さっきまでは他の面子の返事があったというのにそれも聞こえなくなった。数歩先も見えない闇を飛び続けるのは少々怖い。不意打ちも考えて歩きにしておくが、一体なにがどうなっている。
「500メートルじゃねえのかよ…… 抜けられねえじゃねえか」
視界はほぼ塞がっているので耳に神経を集中して歩を進めると、前方にぼんやりと影が見えた。背格好は小柄、ニーナと同じくらいだろうか。だがこの場にニーナはいない。一体誰だ? 一応剣を構えゆっくりと進む。
「誰だ!? 返事をしろ!」
「竜一、助けて…… 痛いよ…… 苦しいよ……」
「なん、だよこれ。なんで、お前が。綾がいるんだ」
あの日の姿のまま、変わらない声で彼女はいた。俺の目の前で死んだ、あの日の綾が。
「いや、違う。あり得ねえ。今の俺を、お前が知ってる訳がない。高校生のままのお前が、大人になって、こんな鎧を着けてる俺を、俺だと分かる筈が無い!!」
「分かるよ。だって、ずっとあの人の中に居たから…… あの人が知っていることは私にも分かるよ……」
「そんな、訳が……」
何故だ。何で今になって綾が現れた? そもそも魂を魔力に分解できる奴が、あんなに前に殺した魂を大事に残しておく理由が分からない。そうだ、これはカロンの罠だ。まやかしだ、偽物だ。その筈なのに、手が震えて止まらない。どう動くか考えるべきなのに頭が回らない。
「今はあの人が弱ってる、もう少しで力を奪えそうなの。でも戦っていたら気を張って付け入る隙がない。だからここではあの人を見逃して。そうすれば、私は生き返れるの」
「生き返る!? んな事できる訳ねえだろ! 俺だってこっちに来てやっと魔力の扱いが出来る様になったんだ。それに今見逃したら何をするか分からねえ」
「出来るわ。だって、他でもない竜一がそこにいるじゃない。私だってこの世界のことはずっと見てきた。私が分かれたらあの人も魔力を分割されて更に弱くなる。だから今しかないの」
綾が、生き返る。そこまで聞いてやっと分かった。ずっと考えていた戦いの終わり、その先になにがあるのか。何も生まない復讐の終わり、辿り着く場所。
「そうか、ここで見逃せば、お前が生き返るのか……」
男は剣を握り直す。震える心を戒める様に、揺らぐ決意を貫く為に。
「俺はさ、お前が殺されてさ。悲しくて、頭に来て、何よりお前がいない日常が辛かった。だから犯人を追い続けたんだ。奴を追ってる間は、お前との繋がりがある気がして」
崩れる寸前だった足に力を込める。ほんの数歩、だが果てしない距離を歩む様に、ゆっくりと重い足を進める。
「でも追い続けて、死んで。それでも追い続けて、挙句の果てに体まで無くなってよ。意地で作り上げた紛い物で戦って。そしてお前が現れて生き返るって聞いてさ、分かったことがある」
男は少女の目の前に立つ。少女はじっと男を見詰める。腰まである黒髪は揺れず、幼さの残る顔は男の顔を向いて決して逸れない。その視線から眼を逸らさず、男は告げた。
「死んだ奴はよ、生き返っちゃいけないんだ。残された奴は好きなだけ泣いて歯を食いしばって、縛られるにしろ忘れるにしろ、そこから立ち上がるんだ。大事な奴が死んで辛くない奴なんていない。でもよ、そこで死んだ奴が生き返ったら、誰も先に進めねえんだ」
「……自分は生き返っておいて、そんなことを言うの? 私はこのまま消えればいいって言うの?」
「恨みたけりゃ恨め、呪いたけりゃ呪え。今更気付いて何になるって思うだろうが、俺は今戦えて、この世界を潰そうとしてる奴を頼りになる仲間と追いつめてる。どいつもこいつも何かを抱えてて、それでも必死に生きてる奴らなんだ。俺の復讐の行き着く先が、世界を救うなんてことになれば、こんなに嬉しいことはねえ。だからよお、お前の恨みは俺が背負う。俺は、今生きている奴の為にカロンを殺す!!」
男は剣を上段から振るう。歯を食いしばり、泣きそうな目を見開いて少女を斬り裂いた。斬られた少女は霧散し、その場には何も残らない。剣を下ろし、男は叫びを噛み殺した。だがその決意は、闇を晴らし道を拓く。
「姉さん、私は、奴を見逃せません」
「どうしてなの? 確かに素直には頷けないかもしれないけど、あいつを弱らせて私も生き返るのよ?」
「だからです。姉さん。人は、必ず死にます。いや人だけじゃない、命がある者は必ず死ぬ。そして死ぬ者は託し、遺された者は意志を継いで更に未来に繋ぐ。姉さんだって、そう思っていたからカロンの情報を遺したんじゃないですか?」
姉と呼ばれた女は口を閉ざす。しかしそれに構わずもう一人の女は語る。盾の柄を握りしめ、地に突き刺す。二度と道を見失わぬ様に、二度と志を曲げぬ様に。
「頼りないかもしれない、私達に預けぬ方がマシだと思うかもしれない。それでも、私達が継いでいかなければならないんです。それが折り重なって歴史になるんです。死が訪れずに何も変わらないなんて、命が生まれる意味が無いのです!!」
咆哮にも似た叫びを受けて姉と呼ばれた女は掻き消える。無音の闇にも、女は視線を落とさず前を見続ける。その真っ直ぐな目は、闇から真実を掬い上げる。
男は軽薄に笑みを浮かべる。しかし女は、光が消えぬ両の目で男を睨みつけ、不敵に笑う。
「疲れた? 笑わせるじゃない。そんな段階はとっくに過ぎてんのよ。今の世界を取り巻くこの戦いを呼び寄せたのは間違いなく私。そしてその責任から逃げるなんて話にならないわ」
女の両手に再び雷が集まりだす。その輝きは先程よりも強く、闇の昏さがあっても尚二人を照らす。
「どっちにしろ私が死ぬから救いがある方を、なんて言い方をしたかったようだけどね。あんたをブチのめしてこのふざけた戦いを止める。そして人と魔族の復興を進めるのよ。死神を倒して人と魔族が共存、最高のハッピーエンドが残ってるわ」
女は雷を放つ。瞬く閃光は男の姿を捉え、男は闇に溶ける様に消えた。眩い稲光は依然女の周りで走り続ける。女が背負う光は、闇に覆われた悪意を照らし出す。
それぞれの覚悟が誘惑する悪意を振り払い、貫く心を胸に抱く。その輝きは取り込もうとしていた闇を晴らし、神と人と魔族は再び戦いの幕を上げる。辺りを覆っていた闇が全て消えた時、空には太陽が昇り始めていた。




