~老練と新星~ 2
明らかに異常な量の花粉が舞い、波の様に地を這っていく。咄嗟に口を腕で覆い吸わないようにしたが根の攻撃を避ける度に、地面が揺れて根が飛び出す度に、その振動で目線の高さ程まで花粉は舞い上がる。動かなければ躱せないが、動けば呼吸したくなる。どちらを優先するかの妥協点を迷っていると、こんな状況ではあるが先輩が声を上げた。
「まずい…… この花粉を早く止めないと、とてつもなくまずい!!」
「先輩、呼吸は最小限に……」
「あれを見るんだ! それどころじゃない!!」
先輩が指差した先は、私達の背後。私達を通り越した花粉が魔族と防衛に付いている騎士達まで浸透している。だがその光景に目を見開いた。花粉に呑み込まれた魔族はその場でのたうち回り、泡を吹いて倒れていく。そして倒れているのは魔族だけではない。最前線で盾を構えていた騎士も次々と同じ様に、胸を掻き毟り苦悶の末に倒れている。生き残った騎士達が急いで城壁の中へ避難し出入り口を封鎖した様だが、恐ろしいのはこの花粉が一切止まらずに零れ続けていることだ。
「一刻も早く止めるよ! ボクが兵装で根を全て止める。クリスちゃんは可能な限り力を溜めて撃って!!」
「了解です!!」
いくつもの根が飛び出す中心で先輩が足を止める。そして兵装を構え、同時に詠唱を行う。その魔術は私の知らないものだった。
「遅延発動、術式・リザレクション。そして千光鞭ッ!!!」
見たところ魔術らしきものは何も起きなかった。だがそんなことを気にしている場合ではない。先輩が無数の鞭で根を絡めとり封じているこの隙を活かさなければ。動きを止め、手を前にかざし、今できる最高の火力であの木を吹き飛ばす。全ての神経をそれに集中していた。だがそれにしても、あんな露骨な攻撃に気付けないなんて。
「……クリスちゃん、後は頼んだよ」
「先輩? 何をっ」
背中から強く押された。それは先輩の小柄な体からは意外な力だった。衝撃に驚いて前のめりに数歩進み振り返る。そこには穏やかに微笑む先輩がいて、次の瞬間に腹を根の杭に貫かれた。
「ああ、なんと聡明で献身的な。戦況を判断し自らに出来ることの限界を知り、僅かでも勝つ可能性が高い選択をし、そして己を犠牲にすることに躊躇いがない」
自分の後方へ先輩が貫かれたまま杭に運ばれていく。その勢いは地面に突き刺さることでようやく止まり、根が引いた後には動かない先輩が残された。嘲笑う声で私はやっと気づく、一撃の火力を考えれば私の魔砲が最も威力がある。しかしそれを放つには私は足を止めなければならない。だから最高の一撃を敵に与えるには私が魔砲を放つ時間を稼ぐ必要がある。しかし、まさか、こんな。
「しかし、託した相手がこの程度では。覚悟も勝利の意味も分からず只呆けるだけの間抜けでは」
上手く頭が回らない。やるべきことはあの女を討つために最大の力を放つこと。でも視線の先に倒れたまま動かない先輩の方へ足が動く。考える暇もなく走り出し、倒れたままの先輩の傍へ膝をついた。そんな、あの先輩が、私なんかよりも冷静で頭が回る先輩が、勝つためとはいえ私を庇って死ぬなんて。そして俯く暇もなく再び根の杭が私を襲い始める。
「先輩、貴女はそこまで……」
「失礼します」
「おや珍しいお客さんだ。訓練で怪我でもしたかい?」
医務室に入った私をニーナ先輩は人懐っこい笑顔で迎えた。だが私はそんな笑顔とは対照的な気分だった。
「いえ、言いにくいことではあるのですが、先輩にお話しがありまして」
「ふむ、どういった案件かな?」
非常に胃が痛い。もうこのことを話の内容にして治療を受けたいところだが、私はその先を想像して鬱々としながら本題を切り出した。
「失礼なことは承知の上なのですが、その、先輩に対してあまり良くない意見が上がっていまして」
「どんな?」
「……医療部隊の隊長であるにも関わらず患者や死者への感情が薄いと、まるで道具を組み上げているみたいだ。なんて声もありまして」
「成程、それで君に白羽の矢が立った訳だ。君も災難だねえ」
その通りだ。隊長に就任したものの、私は歳若く経験も未熟。どんな組織でも上への不満というものは存在し、同じ隊長であっても私になら大丈夫だとそれを零す者は多い。そしてそれは積み重なり、こうして一言言って欲しいという事態になってしまったのだ。本当は自分からこういった問題に首を突っ込む様なことはしたくないのだが、現場で板挟みになるというのはとても息苦しいもので。
「それでどうして欲しいのかな? 深い愛情でも持って治療に当たれってかい?」
「有り体に言ってしまえばそういったことではないかと。愛情はともかく、死者に対する哀悼の念は表してもいいのではないでしょうか」
「成程ねー。でもそれはボクの考え方にとってはナンセンスなんだよね」
椅子の背もたれに体を預け、大きく仰け反りながら先輩は続けた。
「これはボク自身の考えであって他の人に強制する気は全く無いんだけどさ、だからと言って自分を変える気もさらさら無いことを始めに言っておくね。命というものは基本的に平等だとボクは思うよ。誰にとっても大切で、誰でも死ぬのは怖いものさ。でもね? 少なくとも騎士と一般の人間においては覚悟の差があると思うんだ」
「覚悟の差?」
「そう。優しいことに陛下は騎士を徴兵制にはしていない。思惑はなんであれ、今騎士として仕事をしている人は全員自分でこの道を選んだということだ。そして騎士とは望んで誰もがなれるものではない。だから残っている人達はそれなりの気概と努力の上でここにいるとボクは思っている」
「それはまあ、確かにそうですが」
「騎士とは誰かを、国を護る存在だ。そしてそう生きると決めたならば、自分の命を最優先にはできない。勝利の意味を考えなければならない。死者が出ることはとても残念なことだ。でもその死は覚悟の上で通過した過程でなければいけないのさ。その過程である死と向き合って、遺された者はその死を踏み台にして成し遂げなければならないことがある筈だ」
「では死者を悼んでいる暇は無いと?」
「この際言っておこう。無いね。どれだけ涙を流しても、どれだけ叫びを上げても、死んだ人間は生き返らない。ならばその死がもたらした意味を理解すべきだ。誰かを守って死んだならその勇気を。成す術もなく死んだならその脅威を。死には必ず意味がある」
「……何故先輩が医療部隊の隊長なのか理解できません」
「理解できないかい? ボクの様に冷血な人間だからだよ。情に溢れ慈しみを絶やさない人間には、そもそも戦いなんて向いてない。それが命の終わりを見続ける医療部隊なら尚更だ」
反論できなかった。なんともひどい考え方だと思いながらもそれは鍛え上げられた鋼の様に強固な考え方で、私は憤りと納得の間で揺らいでいた。だが一つだけ聞きたいことがある。それは他人に対してこれほどの冷徹さを隠しもしない先輩の、自分の命の重さだ。ひょっとしたら我が身可愛さが行き過ぎてこんな考えになったのではないか、そんな私の下衆な勘繰りはあっさりと一蹴される。
「先輩は、自分の命が大切なだけではないのですか?」
「ある程度まではね。自分にできることがある内は生きていなければならない。でももし自分に何もできることが無くなって、勝利の為に犠牲が必要なら、ボクは死ぬのに躊躇いはないよ。そこがボクの最期の場所だった、それだけさ」
「口だけならなんとでも……」
「言っただろう? 勝利の意味を考えなくちゃならないんだ。ただ生きるか、何かの為に死ぬか。そういうことさ」
その顔はまるで子供に教えているかの様に真摯で、普段の誰にでも笑顔を振りまく先輩の印象とは少々違って見えた。自分はなんと浅慮なのか。周囲の声に嫌々連れて来られたと言っておきながら、その声を鵜呑みにして表面しか見ていなかった。幼い見た目で私とは別の方向で軽視されがちな先輩ではあるが、その考えや覚悟は私の比ではない。そんな先輩にとっての、勝利の意味とはなんなのだろうか。
「先輩は、何の為に戦っているのですか?」
「ボクはね、なんだかんだこの世界と人間が好きなのさ。それだけだよ」
あっけらかんと言って笑顔を見せた先輩を目の前にして、私はこの時敵わないと思った。ミラさんの為に今後をどうするか一杯一杯だった私に比べて、見据えているスケールが違い過ぎる。
恥ずかしくて口には出せないが、恐らくこの頃から私は先輩を尊敬していたのだろう。単純な戦力とは違う人間としての大きさ。そんなものを思い知らされた。




