~正気と狂気~ 2
「到着か、ここもボロボロだな」
「見た目はこんな有様だが、そこを見ろ。そこからが結界になっている」
辿り着いたのはほとんど崩れたアトリエ。付近には砦らしき址があり、併設されていたのだろうかと想像できるが、原型は残っていない。その周囲を囲む様に薄い光の線が浮き上がっていた。
「これが結界って奴か。お前は進めないんだっけ?」
「腹立たしいがそうだ。近づけば光の壁が見えるだろうが、貴様ならそのまますり抜けることができる筈だ」
言われた通り、光の境目に近づくと半透明の壁が現れる。なんか寒天みたいだなーと暢気な思考で手を伸ばすと、正にそんな手応えで手を押し返される。
「おい、なんか手応えがあるんだがこれはこのまま押していいのか?」
「なに? そんな筈は…… 貴様まさか人間ではないのか?」
「んなことあるかよ。うーん、なんとかならんかな……」
状況も分からずに手を押し続けると、甲高い音と共に光の欠片が弾け飛ぶ。輝いていた線は消え失せ、先程までの手応えも何もかも吹き飛んだ。
「あ、あれ? こういうことか?」
「結界が破れた? 私と陛下でも破壊できなかった代物を…… 貴様本当は魔族ではないのか?」
「そんなことあるかよ。まぁ進めるなら進もうぜ」
一抹の疑問を抱きつつも廃墟の中に入る。朽ちた家具、積もった埃、それだけで誰も出入りしていないことが分かるが、何故こんな場所に人間だけが入れる結界が貼られていたのか。それはアトリエの地下、何かの儀式が行われたであろう魔法陣が描かれた部屋で分かった。
「目ぼしい物は無さそうだな……」
「あれだけの結界が張られていたのだ。そんな筈はない」
「そう言われても…… お?」
部屋の隅に転がっていたのは八面体の青い結晶。埃と瓦礫だらけの空間で、それは異質な程に輝いていた。手を伸ばすと輝きは増し、暗い部屋を照らす。
「なんじゃこれ」
「ふむ、魔力の残滓が一番濃いのはこれだな。一体何か仕込んであるのか」
手に取り眺めて見ると一瞬強く輝き、その場に不思議な声が響いた。その声は苦しんでいる様だが、同時に強い信念を感じる女性の声だった。
『これを聞いている人間に頼みたいことがあるの。この記録が残っている時に、ミラ・ベオウルフを名乗る奴。もしくは同じ外見の奴がいれば、そいつを殺して。ラウル皇帝に伝えて確実に殺して。ぐっ…… 殺さないとそいつは世界まで滅ぼしかねない…… だから……』
最後は掠れる様な声で必死に絞り出している。やがて声は聞こえなくなり、結晶も輝きを無くしてしまった。俺達は唐突に告げられた内容に沈黙する。これが事実なら、モルガンとアーロンが話していたミラ・ベオウルフは、本人であり別人だったのだ。変装なのか憑りついているのかは分からないが、シリウスが探している姉はもういない。それどころかその存在を利用されている。この事実はモルガンだけではなくシリウスにも伝えなければ。
「……おい、これは大当たりじゃねえのか」
「うむ、これで確信を得た。あの魔女は既に異なる存在になっている。しかも本人の意志に反してな。まさか文字通り人が変わっているとは」
他に目を引く物は無い、知った以上出来る限り急ぎたい。俺達は足早に建物から抜け出し、まずはモルガンの元へ向かおうとした。だが廃墟の外に出た瞬間、異様な寒気を感じる。自分の分からない場所から覗かれ、心臓を鷲掴みにされている様な恐ろしさ。さっさと逃げ出してしまいたいがそれは叶わない。眼前にあの女が、ローブを纏った銀髪の魔女、淀んだ目で眺めながらへらへらと笑う仇が現れたからだ。
「あぁ、流石に遅かったですね。先を越されたのが貴方達というのは意外でしたけど」
「お、お前……」
「貴様が人ではない怪物である証拠でも消しに来たか?」
アーロンが事実を知り挑発するのも耳に入らない。目の前にはあの女が軽薄に笑みを浮かべながら喋り続けている。今すぐにでも剣を抜いて斬り掛かりたい。だが今は駄目だ。少なくともシリウスに伝えてやらないと、あいつは俺と同じ想いをすることになる。目の前の人物がミラでないなら尚更だ。自分の感情を置いてけぼりにされて大切な人が勝手に殺されるなんてことは、絶対にあってはならない。だが、だが。
「いやぁ、それでも人間と組んでるなんてのは予想外でしたけどね。よく話を聞いてくれましたね?」
「貴様を種族を超えた害悪だと感じる者はいるのだ。今の内に首を差し出すがいい」
「首ねぇ…… そこのところ、貴方はどうです? 私の首、興味があるんじゃないですか?」
駄目だ、駄目だ駄目だ。殺すのはまだ、でないとシリウスが。
「それとも、その剣を心臓に突き立てたいですか? あの娘みたいに」
ニヤァと三日月になる口を見て何かが切れる音がした。そこからは、何も覚えていない
「てめええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
「ぬおっ、小僧!?」
小僧の体から黒い炎が噴き上げる。それは刺々しい赤黒の鎧になり、それでも尚周りを灼き続ける。次の瞬間、弾丸の様に飛び出した小僧は炎を纏った剣を振り抜いた。だがその剣は空を斬り、魔女はローブを翻して笑いながら空間を飛ぶ。まともに飛ぶならまだしもワープするあの女を捉えるのは不可能だ。小僧は愚直に追い続ける。あくまで愚直、だがその速度はワープの移動先に一瞬で飛び込み、近距離でなら大きな差異は無い様に見える。しかし、一体どうしたというのだ。ここまで行動を共にして感じた小僧の印象は、無礼でも分別があり、こんな狂戦士の様では決してない。
「おお、これはなかなか。しかし、それでも、憤怒に呑まれているようではまだまだですねぇ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」
魔女は何もない空間から大鎌を取り出し、炎の軌跡を描く小僧の剣を捌く。凄まじい速度で火花を散らす攻防は、人間の目ではおおよそ捉えることなど出来ないだろう。だが、それにしても、
「一体どうしたというのだ…… 『あの娘』とは、まさか」
「そういうことじゃないかしら。あいつを恨んでる奴なんて星の数程いるでしょ」
向かずとも分かる。陛下がここまで足を運ばれたのだ。小僧が投げ捨てた結晶を拾い上げ、陛下に向き直る。
「まさか直接出向かれるとは」
「こんな禍々しい魔力、あの廃墟まで届いてたわよ。あんた達がなんかやらかしたんじゃないかって見に来たの」
「申し訳ありません。しかし、その、『口調』はよろしいので?」
「あの感じじゃどうせまともな意識は無いでしょ。それにあの口調で喋るの疲れるの」
空中ではあの小僧が狂った剣を振り続けている。懸命に魔女を襲うその剣は、それでも切り裂けずにいる。それどころか魔女は大鎌の一薙ぎで小僧を吹き飛ばし、地面にクレーターを作る勢いで叩き付けた。
「ああ、ようやく見つけましたよ“クイーン”。ここで揃ったのは好都合、ちょっと失礼しますよ」
そう言いながら魔女は光球を作り出し、一瞬だけ辺りを輝きで照らした。何が起きたのか理解できなかったが、魔女はその結果に満足げな様子だ。その表情に寒気がする程の嫌な予感がする。
「いやぁ、これでようやく起爆剤ができました。魔族の頂点に輝いていた女王が、人間を頼りにこんな場所まで姿を現した。しかも御付き従者まで揃って。もはや女王は裏切ったも同然、我々は自らの意志と力で、人間を滅ぼさなければ!! って感じでしょうかね」
「貴様、まさかそのために……!!」
「本当は出歩くなんて趣味じゃないんですが、そこは必要な仕事ってことで。私、仕事で手は抜かないんで」
「このまま帰すと思ってるの?」
「帰りますとも。その為に彼を煽ったんですから」
その言葉の直後、小僧が埋もれていたクレーターが爆発した。否、爆発したのではない、覆っていた瓦礫を吹き飛ばして小僧が立ち上がったのだ。その目は爛々と赤く光り、全身からは瘴気にも似た炎を噴き上げながら、魔女を見据えている。
「死ねえええええええええええええええええええええええええ!!!!」
「うわっ、ちょっと!!」
「ええい、見境なしか!」
「ははは、バーサーカーの相手は疲れますよ? なんて言っても自分の事は考えてないですからね。さっきも十か所は骨を折ったのにこの元気ですから」
振るわれる剣は衰えぬ炎を撒き散らす。魔女は匠に俺と陛下を間に挟み、小僧の攻撃に巻き込み始める。喰らう訳にはいかぬと避け続けるが、やがてしつこく標的に前に存在している我々を、小僧は攻撃対象にしてしまった様だ。
「そこを、どけええええええええええええええええええええ!!!!!」
「さて整った様ですし私は帰りますね。ではお二人とも、お元気で」
「ああもう、放っておくわけにもいかないし、助けるわよ」
「……仕方ない、殺さぬ程度にしておいてやる。感謝に咽び泣け!!」
我が力は暴風。猛る風を操り、自身も風となりて敵を切り裂く。手足を裂いて行動を止める。それくらいで頭も冷えよう。
「ガアッ!? ……グウゥゥゥゥゥゥ」
「なっ、再生した!?」
「ただの人間じゃなかったみたいね。私も加勢するからさっさと済ませるわよ」
切り裂かれ千切れた左腕が宙を舞った。だが斬られた断面から炎が伸び、腕を繋いで元に戻す。唸りながら拳を握り感触を確かめると、小僧は再びその目をこちらに向けた。しかし小僧の行動を阻止する為、陛下は雷を落とす。魔族の中にあって珍しい、神の光と呼ばれる稲妻。その輝きは敵対者を焼き殺し、仕える者に畏敬の念を抱かせる。全身を黒焦げにする程の雷撃を浴びせるが、寸でのところで躱され軽傷に留まってしまう。その傷は瞬く間に再生し、小僧の足を止めるには至らない。
「鬱陶しいわねぇ、この際一帯に雷落としてやろうかしら」
「そこまでには及びません。私にお任せを」
襲い掛かる剣を避け、一気に飛び上がり距離を離す。人間ごときに使う技ではないが、この小僧はもはや人間ではない。一分の油断も出来んのだ。
「猛り狂う嵐を此処に! “我らは嵐の如く(ストームルーラー)”!!」
魔力の分身体を作り上げる。何十と作り上げるので数は数えんが、自分も含めた全てが暴風を纏い嵐と成る。人間だけでなく、並みの魔族でも動くことは叶わぬ。もし動けばすぐさま細切れの完成だ。案の上暴風に叩き付けられている小僧を見据え、陛下はその雷を振るう。
「生きていれば、話をしましょう」
天から落とされた雷槍は地面に縫い付けられていた小僧を貫き、その衝撃と光で沈黙をもたらした。あれでは黒焦げの死体があるだろうと想像した私の予想は裏切られることになる。目を閉じ動かないがその体は我々の知るあの小僧であり、赤黒の鎧は消え失せ、あの凶行が幻であったかの様に眠っていた。
「……ほんとに生きてるとはね。信じられないわ」
「ええ、ですがこの小僧は帝国との交渉に不可欠です。ここは一旦、アミナまで引きましょう」
陛下が光で空間を移動するのを見送り、私は未だ眠りこける小僧を肩に担ぎ、激しい攻撃で崩れ去った廃墟を後にする。炎と雷に焼かれた焦土は、未だ燻るであろう小僧の憤怒を現している様だった。斜に構え、お人よしで、欲が無い様に見えるこの小僧にも、決して譲れぬ想いがあるのだ。肩に掛かる重さが、実際よりも重く感じる。あの血涙を伴った咆哮を聞けば、誰しもそう思うだろう。そんな感傷を抱きながら、私は急ぎアミナへ向かった。




