写真を通して見ているもの
「大久野島行ってみたかったな」
忠海駅から忠海港へと移動して、遠ざかる客船を見ながら小和はポツリとこぼした。
電車のアナウンスで“うさぎで有名な島”と聞き、動画などで見ていつかは行ってみたいと思っていた場所が目と鼻の先にあるのに行けないもどかしさを噛みしめていた。
「また次があれば、今度は大久野島にも行きましょ、小和さん」
颯太は石造りの常夜燈を撮影していた手を止めて、なだめるように口にした。
小和は渋々と言った様子で頷き、近くの売店そばのマンホールの蓋にうさぎが描かれていることに気付いて、写真に撮っていた。
「なあ、颯太。ここから竹原って、近いの?」
颯太の隣で同じように常夜燈の写真を撮っていた行哉は、カメラを海の方へと向けながら尋ねてきた。
「近いけど、なんで?」
「電車の中で路線図見て、見覚えある地名見つけてさ。たしか、酒で有名だったよな?」
「せっかくだから、買いに行きたいってこと?」
「よく分かってんじゃん」
「これからそっちの方に行くつもりだったし、ついでに買いに行こうよ」
「ありがとな、颯太」
カメラから顔を上げて、真夏の太陽の光に目を細めながら行哉は笑みを浮かべた。
「中原くんのお願いは聞くのに、私はダメなんだ」
いつの間にかすぐ近くに寄ってきていた小和に颯太は驚き、
「さすがに大久野島に行って見て回るには、今からだと時間が足らないですから。今回はまじですいませんって。代わりと言ってはなんですが、近くに有名なジャムを作ってるところがあるので、そこ寄って行きません?」
慌てた様子で代替案を話す姿がおかしくて、小和はくすりと笑った。
そうして自然と予定が埋まっていった。
忠海港周辺で撮影し、大久野島に行けなかったけれどせめてもと小和は売店でうさぎモチーフの小物を買っていた。
港から歩いても五分とかからない場所にある全国的に有名なジャムメーカーの本社工場に立ち寄り、そこで市販ではなかなか見かけない種類のジャムや派生商品を見て、気になったものをいくつか買った。またすぐ食べるようにSNSでも話題になった冷凍フルーツを買って、一時の涼を楽しんだ。
それから海にほど近い場所にある床浦神社に立ち寄り、海に向かって立つ石造りの大鳥居や神社の立つ場所から日本でも有数の高さを誇る空に伸びる送電鉄塔を見上げ、写真にも収めた。
海沿いを走る国道の景観を楽しみながら竹原市街に向かい、道の駅で車をとめて、安芸の小京都と呼ばれる古い街並みを残す場所を歩いた。その名の通り、京都にもありそうな石畳の道や古民家が立ち並ぶ場所は、既視感に溢れていた。
軽く散策をした後に、ここに来たもう一つの理由の酒を買いに行った。
スマホで周囲を検索したらいくつか酒造があり、そこを回って小和と行哉は試飲をしたりしながら、気に入ったり気になる酒を買っていた。車の運転をしなければならない颯太は飲むことができなかったが、試飲した二人の意見を参考にしながら買った。
買ったお土産の大半を行哉以外は、宅急便で京都の一人暮らしをしている部屋や小和は実家にも送り、身軽になった状態で颯太の家へと戻りながら、景色のいい場所や気になった場所で車をとめて写真を撮った。
颯太の家に帰ってきたころには陽は傾きだしていて、颯太の家の庭から地平線がグラデーション状に淡く染まる夕焼けと海を見ながら、何度も写真のシャッターを切っていた。
陽が沈み、ゆっくりと空が夜へ変わっていく様を眺めながら、夜ご飯には少し早いけれどバーベキューを始めた。
颯太の親が庭で海鮮や肉、野菜を焼き始め、小和も手伝おうとしたがお客さんだからと颯太の母にたしなめられ、手伝う代わりに颯太の母の話し相手になっていた。行哉も颯太の父と酒を片手に話していて、それぞれが今日まわったところの話や京都での颯太の暮らしぶり、京都に行くまでの颯太の話で盛り上がっていた。
颯太の実家のはずなのに、どこかアウェーな空気感にいたたまれなくなるも、逃げることもできないので拷問のような時間を過ごすしかなかった。
それでも自分の親と気の置けない友達が笑顔で話しているという不思議な時間も悪くないと、トイレに行く振りをして、こっそりとその光景を家の中から写真に撮った。
バーベキューに用意したものをあらかた食べ終わり、落ち着いた空気が漂いだしたころ、颯太は自身の部屋に戻って、DVDの収納ケースを手に戻ってきた。
颯太の父からノートパソコンを借りて、DVDに保存していた昔の写真を表示させた。
「うわっ……」
今見るとあまりにも拙い写真に、颯太は思わず声が漏れた。
画面に表示されているのは、小学生のころに親のデジカメを借りて撮影した海や空の写真。
デジカメの機能に任せて、ただいいなと思った景色を撮った写真は、構図へのこだわりもない自己満足の塊だが、とても自由な写真だった。
「颯太もこんな写真を撮ってた時期があったんだな」
画面を覗き込みながら行哉が小さく笑っていた。
「でもさ、今の颯太くんらしさの片鱗はあるよね」
小和も口元にたっぷりと笑みを蓄えながら、画面に映る写真を見ていた。
颯太の両親もその写真を見て、懐かしみながら笑顔になっていた。
「母さんと父さんには、別で見せたい写真があったんだった」
そう言って颯太は自分のタブレットを操作して、あらかじめまとめていたファイルを開いた。
「大学に入ってから撮った写真なんだけど、よかったら見てよ」
「本当に見てもいいの? 颯くん、しばらく写真見せてくれなかったじゃない」
颯太の母が少し驚きながら、差し出されたタブレットを受け取った。
「別に隠すようなことでも、恥ずかしがるようなことでもないしさ。それに部の写真展とかで展示したやつもあるんだ。そもそもさ、見せてほしいって言われなかったし」
「そうだっけ? じゃあ、見せてもらうね」
颯太の両親は、タブレットで一緒に颯太の撮った写真を見始めた。
小和と行哉は、ノートパソコンで颯太の昔撮った写真を見て楽しんでいた。
写真を通して、颯太が写真に残したいと思ったものや写真を撮っている颯太を見ているようだった。
颯太の現在を知る小和と行哉は、過去の颯太の写真を見て、現在とは違う洗練される前の初期衝動にまみれた根源に触れていた。
反対に颯太の現在を知らない颯太の両親は、颯太の写真に成長し大人びた姿とその中にある変わらないものを見ていた。
昨日、行哉の家族に写真を見せたときとは違い、自分を知る人にその人が知らないであろう自分を見せているようで少し恥ずかしくなった。
写真の向こう側にいる自分が、みんなの相手をしてくれている隙を見て、颯太は家を抜け出した。
思いのほか緊張していたようで、外の空気を吸うと肩に入っていた力が抜けていくようで、気付かないうちに火照って熱を持っていた頬を生ぬるい夜風が冷やしてくれた。
月の出ていない暗い夜の中で、今日のことをひとり思い返していた。
かつては、ひとりで写真を撮っていた場所で小和と行哉と写真を撮った。同じ趣味を持つ友達がいなかったので地元で写真を撮るときはいつも一人だった颯太にとって、同じ景色を同じ視点で違う見方をする友人と来れたことが嬉しくて仕方がなかった。
竹原方面に足を伸ばして写真を撮ることはあまりなかったので、小和と行哉と同じ新鮮な目線で同じものを見て、写真を撮れた気がした。それが楽しくて、頬が筋肉痛になるくらいにずっと笑っていた。
現在の颯太は、写真を媒介にして知り合った多くの人と関わりながら写真を撮っていて、それを写真展であったり、『be blue』というアカウントを通して多くの人の目に触れるところまでやってきた。
それはここにいたころの一人で写真を撮っていた颯太には想像もできない世界で。
まだ見ぬ未来でも、颯太は写真から離れることができずにいることだろうことは確信を持てた。
ほどよくクールダウンできた颯太が家の中へと戻ると、何やら楽し気な話し声が聞こえてきた。
何事かと顔を出してみると、全員の視線が颯太に集まった。
「颯くん、彼女ができたのなら教えてくれてもいいじゃない」
「えっ?」
「成人してるとはいえまだ学生なんだから、ちゃんと考えて付き合いなさい」
「――はい」
両親から投げつけられる言葉に颯太は生返事しかできなかった。
状況が分からず、小和と行哉の二人を順に見た。小和は顔の前で手を合わせ、ごめんねとアピールしているが、そうしている表情からは申し訳なさも謝罪する気も一片も感じられなかった。行哉に関しては、声を押し殺して笑っていた。
「それにしても、顔ははっきり分からなくても綺麗な子なのは分かるわ。正面から撮った写真はないの?」
颯太の母はにんまりと嬉しそうな笑みを浮かべながら、視線をタブレットに戻した。
そこでようやく颯太は、自分がいない間に何があったか理解した。
「颯太くんが見せないなら、私が代わりに見せようか?」
蒼依の事情を知る二人が、こうやって明るく振る舞ってくれるのは颯太にとって――きっと蒼依にとっても、ありがたいことで。
それでも今は、余計なことを話した二人に抗議の目を向けた。
「自分で撮った写真見せるんで、大丈夫です」
颯太は両親が見ていたタブレットを、一度回収した。
やはりというべきか、画面には蒼依と紫陽花の写真が表示されていた。一度そのウィンドウを最小化し、少し前に蒼依の父の直樹に渡すために蒼依の写る写真をまとめたファイルを開いた。
そこに写る写真の中でしか、今の颯太は蒼依の顔を見ることができないので、颯太もよく見返している写真が並んでいる。
そのなかから、笑っている蒼依の写真を表示させた。
親に恋人を紹介するというのは、気恥ずかしさもあったけれど、蒼依の抱えている秘密や置かれている状況以外は隠すことはなかった。
少しの後ろめたさとほの暗さが混じりながらも、それでも穏やかで笑みのたえない夜はゆっくりと更けていった。




