旅の終わり
空が白みだした朝の四時。
颯太たちは、車に荷物を積み込んでいた。
「じゃあ、年末年始にたぶんまた帰ってくるよ」
「わかった。颯太、もっと連絡しなさい。母さん、心配してるんだからな」
「気をつけるよ」
颯太と颯太の父が運転席に窓越しに短く言葉を交わした。そこに行哉が車のトランクを閉める音が響いた。
「それでは、お世話になりました」
「短い時間でしたけど楽しかったです」
小和と行哉が、玄関先まで見送りに出てきていた颯太の母に声を掛けた。
「こちらこそ。小和さんも行哉君も近くに来る機会があれば、またいつでも来てね」
颯太の母は優しい笑みを浮かべ、車に乗り込む二人を横目に運転席近くまで歩き寄った。
「颯くん、今度は彼女も連れて帰って来てね」
「えっと……タイミングが合えばね」
叶うことのないだろう約束を口にして、颯太はひそかに心を痛めていた。
それでも蒼依に自身の育った場所を見て欲しいと思っていた。だから、今回の帰省を兼ねた旅行で、颯太はたくさんの写真を撮っていた。
蒼依にとっては自分が眠っている間に行った旅行の写真は、もしかすると見るのもしんどいものかもしれない。それでも旅行に行ったことを隠すよりは、颯太が経験したものや見たものをそのまま蒼依にありのまま伝えたいと考えていた。
そして、颯太の両親に見送られながら、車はゆっくりと走り出した。
帰り道を走る車の中は、静かだった。
助手席に座る小和は、運転をする颯太の話し相手になっていた。ただその声は少し抑えめで、車から感じる程よい振動や旅の疲れも相まって、しばらくすると小和はうつらうつらと程よい眠気に誘われていた。
行哉は後半の運転に備えて、そういう全てを子守唄代わりに後部座席で寝息を立てていた。
旅の終わりが近づくことを感じさせる雰囲気のなかで颯太だけが気を張って、コンビニで買ったエナジードリンクやミントタブレットで眠気を飛ばしながら安全運転で車を走らせた。
陽が高くなってきたころに運転を行哉に交代し、昼前に行哉の実家近くまで帰ってきた。
「中原くん、ご両親は今日は家にいらっしゃるの?」
「いると思うよ。それでうちの親に何かあるの?」
「車を貸してくれたお礼をしようって颯太くんと話してて、買ってあるんだ。それでお土産を渡したいなって」
「そんな気を遣わなくてもよかったのに。でも、たぶん喜ぶと思うよ」
そう言って小さく笑みを溢した行哉の運転で、交通量の多い神戸市内を車は走った。
数時間前までいた長閑な田舎町にいたからこそ、都会の喧騒がいつもより騒がしく、忙しなく感じられた。
行哉の実家に着くと、颯太と小和は玄関先で迎えて食えた行哉の両親にお土産を渡しながらお礼を伝えた。行哉の両親はお礼のお礼として、少し早い昼ご飯をご馳走してくれることになった。
注文した料理が届くまでの間やご飯を食べている間も、旅行の思い出を写真を交えながら話していた。
和やかで賑やかな食事を終えると、ひと息つく間もなく、
「じゃあ、二人を駅まで送ってくるから。車、もう少し借りるな」
行哉は早々に話を切り上げた。行哉の両親はもう少しゆっくりしてもいいじゃないと、引き止めようとするが、行哉は小和がこのあと帰省する予定になってるという事実をもって封じ込めた。
行哉の両親に見送られて、行哉の運転で車が動き出した。
颯太と小和は摂津本山駅に向かうものだと思っていたが、全く違う方向に車は走っていく。
「なあ行哉、どこに向かってんの?」
「京都駅。疲れてるなか、荷物持って電車乗るの大変だろうし」
「それはありがたいけど、どういう風の吹き回し?」
「俺だけ早々に解散ってのも面白くないだけだよ」
窓枠に肘をついて頬杖をしながら行哉が口にすると、颯太と小和は同時に噴き出した。
「行哉って、そんなキャラだっけ?」
「うん。中原くんらしくはないけど、気持ちは分かるよ」
そう口々にからかうようなことを言いながらも、もう少しだけこの旅行が続けばいいのにという思いは三人とも同じで。
行哉は不機嫌そうに眉間にしわを寄せ、手元のボタンを操作して、車の窓を全開にした。
吹き込んできた強い風に驚く声が上がるが、すぐに車内には楽しげな笑い声が響いていた。
京都駅に着くと、八条口の乗降場で颯太と小和は車を降り、荷物を下ろした。
「行哉、ありがとな。まじで助かった」
「中原くん、ありがと。帰りの運転、気をつけてね」
窓越しに行哉は軽く手を挙げて応えた。
「姉さんへのお土産は、二人からって俺が渡しとく」
「頼むな。じゃあ、また盆終わりに集まって、写真の確認とかしよう」
「だね。京都に戻ってきたら、また連絡する」
「俺も連絡する。てか、颯太は合同写真展の準備も忘れるなよ」
「それはいま言わなくていいだろ? それにそっちの準備はバッチリだっての」
軽く笑い合いながら別れを惜しみつつも、どうせすぐまた会えると、「じゃあ、また」と別れの言葉を口にした。
行哉の車が遠ざかっていくのを見届け、駅に入ってすぐ新幹線乗り場へと向かう小和と別れた。
颯太はひとり地下鉄に乗りながら、寂しさを荷物と一緒に抱えていた。
北大路駅からバスに乗り換えて、上賀茂神社へ。
京都で暮らし始めて長くなったからか、バスから見える賀茂川沿いの景色に“帰ってきた”という感覚が湧き上がってくる。
上賀茂神社でバスを降り、一人暮らしをしているアパートのある方とは別の方向に歩き出した。
しばらく歩くと、見慣れた家の屋根が見えてきた。剪定して花のない紫陽花を横目に、玄関の前に立った。
インターホンを鳴らすと、穏やかな笑みで蒼依の母の景子が扉を開けて、迎え入れてくれた。
「いらっしゃい、颯太くん。久しぶりの帰省はどうだった?」
「帰省というよりは楽しい旅行って感じでした。それでお土産を渡しに来たんですが」
「ありがとう。よかったら、少し上がっていく? お父さんもちょうど帰ってきてるのよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ」
リビングへと通されると、ソファーには蒼依の父の直樹が座っていて、部屋に入ってきた颯太を見て「いらっしゃい」と優しい笑みを向けてくれた。
景子と直樹に見守られながら颯太は、スーツケースとリュックのそれぞれからお土産を取り出し、ご当地スイーツやジャムをテーブルに並べた。
「こんなにもらっていいの?」
「はい。いつもお世話になったますから。あっ、あとお酒もあるので、届いたら持ってきますね」
まだ学生の颯太から、たくさんのお土産を貰うということに、景子は気が引けていた。
それは直樹も同じだったが、颯太の厚意を受け取らないということもできなかった。
「ありがとう、颯太くん。こんなにたくさん貰っても、本当にいいのかな?」
「はい、もちろんです。正直言うと、少し買い過ぎたなって自分でも思ってたんです。地元の名産とかあまり詳しくはなかったんですけど、こういうのがあるんだってのを蒼依に知ってほしくて、つい――なので、蒼依の代わりによかったら受け取ってもらえたらなと思うと、ありがたいです」
颯太の中心にはいつも蒼依がいて、旅行の間も何度も蒼依がいたらと景色にその姿を重ねようとしていた。
「ありがとう、颯太くん。そうね、ジャムとか日持ちがするものはアオが目が覚めるまで保存しておきましょうか」
「それがいいかもね。お酒は私と一緒に飲もうか。もちろん私がいない間はお母さんと一緒に飲んだらいい」
景子と直樹が颯太に向ける視線や言葉には、まるで実の子供に向けるような包み込むような優しさが感じられた。
受け入れられているということが空気感が、颯太には喜ばしいことだった。
「ジャムも遠慮なく食べてください。蒼依が目覚めるころに通販で取り寄せたり、親にお願いして送ってもらうので」
「颯太くんがそう言うなら、その言葉に甘えさせてもらおうか、お母さん」
「そうね。なにかジャムにあうお菓子か何かを作ってみんなで食べましょうか」
「いいんじゃないか。ただ蒼依が知らないところで、こうやって颯太くんと楽しくしてると目が覚めた後で何か言われそうだな」
「そうね……ずるいって、アオに羨ましがられるかもしれないわね」
話を聞きながら颯太は拗ねた蒼依を想像して、それでもそのあとに笑顔になるだろうなと思うと笑みが自然とこぼれた。
それは景子と直樹も同じだったようで、似たような表情で笑っていた。
それからあらためて、颯太が旅行の間に撮った写真を見ながら、土産話に花を咲かせた。
昼下がりに訪ねたはずが時間を忘れて話し込んでしまい、気付けば窓の外は夕焼けに染まっていた。
颯太の旅の終わりは、鮮やかな夕焼けに彩られて幕を閉じた――。




