人生の岐路
深夜一時過ぎ。
「運転気をつけてな。それじゃあ、みんないい旅を」
家の前で行哉の父に見送られ、行哉の運転で出発した。
高速道路を使い、途中休憩を挟みながら颯太の実家のある広島県を目指した。
広島県が近づいてくると颯太に運転を代わり、空が明るくなった朝六時前に颯太の実家に到着した。
「いらっしゃい。颯太から話を聞いているよ。あとおかえり、颯太」
車を駐車場に止めて降りると、玄関先まで颯太の父が出てきて迎えてくれた。小和と行哉は「お世話になります」と頭を下げた。
颯太が最後に自分の荷物を玄関に運び入れていると、「朝ご飯はどうする?」と颯太の父が尋ねてきた。
「サービスエリアで休憩がてら軽く食べたから、いらないかも。後で二人に確認するよ。それより先に少し海を見に行ってきたいし。ここに来るまでも着いてからも海を気になってるみたいだったから」
海岸沿いの道を車を走らせているとき、小和と行哉の二人は窓から見える景色に目を奪われ、カメラを取り出して写真を撮っていた。
「そうか。もし食べるなら母さんに早めに連絡しなさい」
「うん。ありがとう、父さん」
颯太はお礼を言うと、カメラの機材などが入っているリュックを肩にかけた。
颯太の家は高台の上という立地にあり、家の裏にあるフェンス越しに瀬戸内海が一望できる。駐車場の裏からも同様で、到着して荷物を下ろしてからずっと、行哉と小和は眼下に広がる光景を見つめていた。
「小和さん、行哉。先に海に見に行かない? せっかくだし、もっと近くで見ようよ」
颯太の提案に二人は頷いて見せた。小和と行哉もカメラを荷物の中から取り出し、海へと向かって歩き出した。
「なんかさ初めて来たのに、知ってる景色ばかりでまじで不思議な感じ」
「それ、分かる。颯太くんの写真でなんか見たことあるって景色ばっかりだもんね」
行哉と小和の楽しげな声を、先導するために前を歩きながら颯太は聞いていた。
「こっちにしてみれば、二人が俺の家の近所を歩いてる、ってことが意味不明だよ」
「分かるわ。昨日、駅で写真撮ってる二人を見て同じこと思ったし」
颯太と行哉が同調する横で、小和だけが取り残される。
「機会があれば楠見さんにも同じ思いを味わせたいよな」
「だな。小和さんの地元は岐阜だよね。いつか行きたいよな」
「私の地元はあんまり面白くないよ。珍しいものって言ったら、なんだろ。湧き水がいっぱいあるくらい?」
「めっちゃ面白そうじゃないですか、小和さん」
「颯太は水とか自然とか好きだもんな」
いつもとは違う場所でも、同じように笑い合った。そんな特別な当たり前が心地よかった。
颯太の家からも見えていた須波港に隣接する港湾緑地にやってきた。
海沿いを伸びる遊歩道は、まだ朝早いせいか人影もなく、三人で並んでフェンス越しに海を眺めた。
朝日を受けて柔らかに光り輝く海。遠くの空には、まだ本調子ではない淡い青空に白い雲が様々な形で浮かんでいた。
涼やかな潮風を感じながら、聞こえてくるのは遠くを走る漁船のエンジン音や近くの国道を走る車の音、穏やかな波が岸壁に当たる水音もそこに控えめに混じっていた。
「これが颯太が毎日見てた海なんだな。俺も瀬戸内海の近くに住んでるけど、まるで違って見えるよ」
行哉は潮の香りがする空気を胸いっぱいに吸い込んでいた。
「颯太くんが羨ましいな。海がない県出身の私からしたら、この景色は憧れそのものだよ」
小和は冗談ぽく口にしながらも、その目は眼前に広がる海を見つめて輝いていた。
「俺にとっては見慣れた景色のはずなんだけど、今日はなんだか印象が違って見えるよ」
京都での生活が長くなった颯太には、自身の原点となった地元の景色は懐かしさと当時に、新鮮さを感じさせるほど遠い存在になっていた。
「こんなときにする話じゃないかもしれないけどさ、二人に相談があるんだけどいいかな?」
海を眺めながら小和がそうぽつりと切り出した。
いつになく真面目なトーンに颯太と行哉は目を合わせて頷き合った。
「なんですか? 小和さん」
「少し悩んでることがあってね……二人ならどうするか聞いてみたいんだ」
小和は逡巡しているのか、すぐに続きの言葉が出てこないようだった。
「――もしある選択をしたら、十年後、二十年後の自分はその選択をしたことを後悔するかもしれない。だけど、その選択をしなければ、十年先、二十年先……もしかするとその先もずっと選択をしなかったことを後悔し続けるかもしれない。そんな選択を前にしたら、二人ならどうする?」
小和の声は少しだけ震えていた。そのことでどんな選択を前にしているのかを聞かずとも、人生の岐路に立っているのだということが、颯太と行哉には伝わっていた。
「どっちを選んでも結局後悔するなら、いまの自分の気持ちに従うかな」
颯太は考えるまでもなく即答していた。
颯太にとっては、蒼依との関係に悩んだ時の選択がまさにそれだった。入院して眠り続ける蒼依とどう向き合うか、病室で恋人になると決めたときもそうだった。
どちらも自分の気持ちに従った結果がいまに繋がっていて、どんな未来が待ち受けていてもきっと後悔をすることがないと、颯太は自身の選択に胸を張ることができている。
「中原くんは?」
「俺は――どっちを選んだ方が、未来の自分が納得できるかって考えるかな。結局は颯太と似たような答えになるだろうけどさ」
行哉の答えも聞いて、小和は前を向いた。
常識的な考えや周囲の目というものに蓋をされていた素直な気持ちが浮かび上がってくる。
気付けていなかっただけで小和の中では結論はすでに決まっていて、ただ二人に背中を押してほしかっただけだった。
「ありがとう。なんか吹っ切れた気がする」
小和の心が軽くなり、どこまでも飛んでいけるような気さえしていた。
「私、内定断る」
軽やかに放たれた小和の言葉に、颯太と行哉は面食らってしまった。
小和が内定をもらっていたのは、小和の地元の岐阜県に本社を置く大手物流会社だった。その内定を断るということは安定した未来を捨てると言っているようなものだった。
驚きのあまり何も言葉が出てこない二人の顔を小和は順にみて、眩いばかりの笑みをこぼした。
「それで……内定断ってどうするつもりですか? 楠見さん」
「いまバイトしてる写真館で、そのまま働けないか相談するつもり。社員登用もあるみたいだしね。すぐにはダメだと言われたら、数年はフリーターしてもいいかなって」
「それにしても急っすね。小和さん、バイト始めてまだ二ヶ月くらいですよね?」
「そうだけど、妙に仕事が馴染むんだよね。で、気付いたら、他の仕事をしてる自分の姿が想像できなくなって、大学の図書館のバイトも最近はなんか違うなって思いだしてたのよね。それで四年生だからってのもあるけど、少し前から辞めるための引継ぎしてたところだったしね」
そうさらりと話す小和は、憑き物が落ちたようにすっきりとした表情をしていた。
その晴れ晴れとした顔を見て、颯太も一歩踏み出す勇気をもらえた気がした。
「俺も決めた! いまのバイト先の写真事務所にそのまま就職する」
「颯太までまじか?」
「うん。黙ってたけど、夏休みに入ったあたりかな……そういう話を受けてたんだ。正式な返事はまだ先でいいって言われてたけど、先延ばしにしたって結論は変わらないだろうしな。それだったら早くに道を決めて、そのための勉強とかスキルアップ始めたほうがいいよなって」
怒涛の展開に、行哉だけが取り残されていた。
行哉の中で将来というものは、まだ曖昧だった。就活をしている姿も就職して会社員をしている姿も想像できなかった。
颯太や小和のように、直感的にこれだというものにまだ出会えていなかった。
このままズルズルとバイト先のスタジオで働くか、関わりのある出版社やカメラマンの下でファッション系のカメラマンとしてキャリアを始めるのかなと、なんとなく思っていたくらいだった。
いざとなればある程度の企業に行けると思っているし、最悪恥を忍んで親に頼み込んで仕事を紹介してもらうという手段もあると思っていた。
「二人ともすごいな。俺は先のことはまだ何も考えれてないな」
「行哉はてっきり、今のバイトでやってる系の仕事に進むものだと思ってた」
「私も。あとはメディア系かな。この前中原くんがSNSにあげてた動画バズってたみたいだし」
行哉は夏休みに入ってから、写真の他にも動画撮影にも積極的に取り組み始め、SNSに積極的に投稿していた。
今まで以上に真面目にバイトをこなしながら撮影技術や現場の空気を肌で感じ、様々な写真を撮っていた。
今まで撮ってきたような見た人が一目で引き込まれたり、考えさせるような写真。
モデルの知り合いに協力してもらって撮ったポートレート写真。
タイマーを利用して撮った自分を被写体にした写真。
颯太と撮りに行ったコンポジット合成を利用した写真。
行哉はそのかたわらで動画撮影にも手を出していて、動画撮影用のスマホを買い、それとカメラを使って撮影していた。
そして動画撮影の練習として、行哉は自身の顔の広さを利用し、大学の知人に協力してもらっていた。
最初はダブルダッチサークルの宣伝動画として、練習や演技しているところを撮影した素材を組み合わせて短い動画を製作した。
再生数が伸びたのは、ダンスサークルの女子が二人で踊っているところを撮ったものだった。
また撮影の裏側を写真に撮り、そのなかでいいと思ったものも投稿していた。
「たしかに何かしらの撮影に関われたらとは思ってるけど、まだ全然ピンと来てないんだって。全く関係ない職に就いてることもあるだろうしさ」
颯太と小和は、行哉の取り繕ったような言い訳を聞いて、まるで行哉は自分のことを分かってないと言いたげな表情で同時にひとつ大きく息を吐いた。
「行哉がどんな仕事をするのかは分からないけど、何やっても上手くやってるんだろうなって思うよ」
「私もそう思う。中原くんが本気を出したら、できないことなんてないんだろうなって思わされるし、本気を出さなくてもそれなりにスマートにこなしてるんだろうなって」
「過大評価過ぎない? 二人とも」
「それだけ行哉のことを評価してるってことだよ」
行哉は何も言い返せず、颯太と小和はそんな行哉を見て、からからと笑った。
それから三人はしばらく好きに写真を撮ったり、景色を眺めたりして、颯太の実家へと戻った。




