まるで家族の一員のように
蒼依が眠りについて、一週間が経った。
梅雨の余韻というものは一切なく、暑すぎる夏がすでに始まっていた。
そんななか颯太は、土曜日の夜に蒼依の家を訪ねていた。
薄暗い中でも、庭に咲いていた紫陽花の花がなくなっているのが分かった。つい先日、蒼依の母の景子が剪定したからだった。
紫陽花の花がないだけで颯太は、喪失感や寂しさを感じてしまっていた。
そして、久しぶりに緊張しながらインターホンを押した。
「いらっしゃい、颯太くん」
いつものように景子が玄関扉を開けて迎え入れてくれた。
「はい。予定より少し遅くなってしまってすいません」
「バイトだったのは聞いてたし、大丈夫よ」
景子に促されるままリビングへと通されると、ソファーに座っていた眼鏡をかけた壮年の男性が立ち上がって、颯太の方へと近づいてきた。
「お父さん、この子がアオの恋人の宮岡颯太くんよ」
「蒼依の父の直樹です。蒼依が大変お世話になっているようで。“颯太くん”と私も呼んでいいかな?」
直樹は颯太の手を両手で包むように握った。颯太は突然のことで驚きながら、握手を返した。
「はい、好きに呼んでください。こちらこそ、いつもお世話になりっぱなしで、ご飯もよくご馳走になっていますし」
「蒼依と妻がいいと言ってるなら、それくらいは気にしなくていいし、遠慮はいらないよ。颯太くんのおかげで蒼依も妻も明るくなったのは確かだからね」
直樹は穏やかな表情を浮かべていて、颯太は少し気恥ずかしくなっていた。
「颯太くん、ご飯はまだよね? 今日はお父さんもいるからお寿司をデリバリーしたの」
「飲める子だって聞いたから、ビールも買ってあるよ」
景子に背中を押され、直樹に温かく迎え入れられ、ダイニングテーブルの椅子へと案内された。
「そういえば、自分もお酒持ってきたんです。手ぶらだと悪いと思って」
「そんなこと気にしなくてよかったのに」
颯太は椅子に座る前に鞄の中からアップルワインを取りだした。颯太がそれを選んだ理由に景子はすぐに気付いた。
「ありがとう、颯太くん。お父さん、颯太くんがアオが初めて飲んだお酒と同じものを持ってきてくれたわよ」
「ああ、蒼依が言っていたのはこれか。わざわざありがとう。じゃあ、最初にそれを開けようか」
颯太は、蒼依の両親と食卓を囲み、まるで家族の一員のように扱われた。
これが蒼依がいつも見ていた景色で、直樹が単身赴任になってからは少し特別になったものだと思うと、胸がいっぱいになった。
もしここに蒼依がいたらと、颯太は考えていた。
きっと颯太のことを嬉しそうに直樹に話して、景子が蒼依をからかうような言葉を言って蒼依が焦り、その様子を見てみんなで笑うのだろう。
しかし現実は、蒼依はここにはいない。
ただここにいる三人は同じ苦しみと辛さを抱えていて、それを共有することは蒼依が望んでいないことを知っているので少し無理をして明るく接している。
そういうことまでお互いに分かっていた。
そして、蒼依がいないこの場では、話題の中心になるのは必然的に颯太だった。
「お母さんに教えてもらったんだけど、本当に颯太くんがあの『to blue』って、アカウントの写真を全部撮っているの? あれ見るのが日課になってしまってね――」
「颯太くんが撮ったアオの写真、本当にすごいのよ。展示でみると迫力もすごくてね――」
「ポストカードでは見せてもらったけど、やっぱり一度は蒼依やお母さんみたいに生で見て見たいな――」
直樹にしてみれば、颯太が蒼依のために何をしてきたかを景子から聞いており、蒼依だけでなく景子も颯太のことを好意的に話していたことから、最初から颯太を受け入れる心づもりだった。
実際に颯太に会って話してみると、蒼依が選んだことも、妻の景子が気に入ったことも分かった気がした。
真面目な雰囲気の通りの純朴な写真好きの青年で、それなのに不思議と引きつける何かがあるのは撮っている写真からも分かっていたことだった。
「あっ、そうでした。写真を渡そうと思って持ってきたの忘れてました」
颯太は鞄を引き寄せて、USBメモリを取りだした。それを直樹に手渡した。
「そのなかには、自分が撮った蒼依の写る写真を、ほぼ全部いれてあります。去年と今年、写真展で展示した蒼依の写真や、『to blue』に載せた蒼依の顔を意図的に写さないようにしている写真、それ以外にも、そういうところには出さない普段の蒼依の写真もあります」
「ありがとう、颯太くん。これは貰ってもいいものなのかな?」
「はい、いいですよ。そのために持ってきたので。よろしければ、今から見てみますか? タブレットの中に同じファイルがあるので」
「お父さん、せっかくだから見せてもらいましょうよ。私も気になるし」
景子が表情を明るくして直樹の肩を隣から叩いた。
「この前見せたのも合わせると、ほとんど全部見たことあると思いますよ?」
「それでも何度でも見たいもの」
「それじゃあ、よかったらあとでUSBに入ってるファイルをコピーしてください」
「ありがとね、颯太くん」
直樹が「よかったら見せてもらえるかな?」と言うと、颯太は頷いて準備を始めた。
こうなることも考えて、颯太は行哉から接続ケーブルを借りていた。それを使い、自身のタブレットとリビングにあるテレビを繋いだ。
景子と直樹は、お酒とグラスをテレビの前のテーブルへと移動させ、そのままソファーに腰かけた。
そして、二人のためだけの鑑賞会が始まった。
最初の一枚は、去年の写真展で展示した蒼依と紫陽花の写真。
写真が過去から現在に近づいてくるほどに、蒼依の表情や雰囲気は変わっていった。
最初のころは明るく見えても、どこか遠慮した雰囲気や距離感が感じられた。
それが今年に入ってからは、ありのまま蒼依が写っていた。
笑っている表情はとても楽しそうで、颯太に微笑む表情はとても幸せそうで、景子と一緒に写っているとまだ子供っぽさが透けて見えた。
家の中で、縁側で、庭で、近くの公園で、賀茂川の遊歩道で、上賀茂神社で、京都府立植物園で――色んなところで撮った多くの蒼依の写真。
颯太は写真を見ながら、蒼依との思い出に浸っていた。写真を見れば颯太には、撮ったときのことを鮮明に思い出すことができて、すぐ隣に蒼依を感じていた。
景子は涙ぐみ、ときおりティッシュで目元を押さえながら、画面に写る蒼依の姿を愛おしそうに見つめていた。
直樹は自分が知らない蒼依の姿に最初こそ驚きながら、こういう表情を向けられる相手に出会えた娘の幸福を少し複雑な気持ちを抱えながら見つめた。
写真に写る蒼依を見る気持ちは三者三様で、それでも蒼依を想う気持ちは根底では一致していた。
*
「今日はありがとうございました。それとお寿司の残りも」
玄関で颯太は、景子と直樹にあらためてお礼を言った。
「いいのよ。またいつでも来てね」
景子はいつものように優しい表情で見送ってくれた。
直樹は一歩踏み出して颯太の肩に自身の手を置いた。
「颯太くん、本当にありがとう。今日は会えてよかった」
「はい。自分も蒼依のお父さんに会えてよかったです」
「今度帰ってきたときも、よかったらご飯を一緒にどうかな?」
「お邪魔にならないのであれば、喜んで」
「邪魔なんて思わないよ。お母さんも言っていたけど、いつでもウチに来てくれていいからね。そのほうが私も安心できるし、お母さんも寂しくないだろうから」
直樹はにこやかな表情で颯太にそう言った。それを聞いていた景子も後ろで同じような表情で頷いていた。
「はい。また来させてもらいます」
颯太は、蒼依の両親に見送られながら外に出た。
月明かりに照らされた帰り道を、少しの寂しさを感じながら家路についた――。




