それぞれの帰り道
「それじゃあ、そろそろ今日はお開きにしようか。颯太くんと中原くんは明日も忙しいでしょ?」
小和の明るくはきはきとした声が、のんびりとした空気に包まれている颯太の部屋に響いた。
ご飯を食べ終わり、お酒を飲みながら颯太の写真を中心に見ていたところだった。
「そうっすね。今なら北大路駅に行く最終バスに間に合うかも」
行哉が同意しながら帰り支度をはじめながら、颯太に目配せをした。
「小和さん、ちょっといい?」
颯太はクローゼットの扉の陰に置いていた細長いギフトバッグを取りだした。
「これ、行哉と俺から。というか、ほぼ行哉だけど」
「ありがとう。って、ちょっと重いね。中身はなに?」
「けっこういい梅酒。俺と颯太でお金出しあって買ったんです。今回の写真展に協力してくれたお礼ってことで」
帰り支度を終えた行哉が、颯太の隣から小和に笑みを向けながら説明した。
小和にお礼の梅酒を渡すために、颯太の部屋に来る理由を行哉と颯太で作って誘導していた。仮に今日渡せなくとも、すぐ別の機会を作れるという関係性の保証があってのことだった。
「そんなお礼とかよかったのに」
「いらないって言うなら、俺と颯太で飲むんで返してください」
「そう言われたら絶対に返さない。大事に飲ませてもらうわ」
小和はギフトバッグを胸元で大事そうに抱えながら、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「じゃあ、颯太。楠見さんは俺が送っていくから」
「送らなくていいよ。家近いし、ひとりで帰れるから」
「西賀茂車庫のバス停に行くついでっすから」
そう言い合いながら、玄関に向かいそれぞれ靴を履いた。
「颯太くん、今日はありがとね。蒼依、またね」
「うん。小和ちゃん、またね」
小和と蒼依は別れを惜しむように手を軽く合わせていた。
「じゃあ、颯太。また明日」
「おう。気をつけてな」
「綾崎さんもまた」
「うん。中原くん、今日は色々とありがとね」
行哉は軽く手を挙げて応え、玄関の鍵を開けて、小和と二人連れ立って出ていった。
「蒼依はどうする?」
「私もそろそろ帰ろうかな。あんまり遅くなり過ぎるとお母さんに心配かけちゃうし」
「そっか。じゃあ、送っていくよ」
「ありがと、颯太」
そうして蒼依も帰り支度を整え、颯太と一緒に同じ部屋の扉を手を繋いで出た。
*
小和と行哉は、賀茂川沿いの道をゆっくりと歩いていた。
賀茂川の水音と夏の始まりを感じさせる虫の鳴く声、遠くからノイズのようにバイクのうるさいエンジン音が混じる夜道。
「中原くん、あらためて梅酒ありがとね」
「いえいえ。本当は楠見さんのアドバイスのおかげでいい写真が撮れたことに対する個人的なお礼だったんです。だけど、颯太も一緒にお礼するって言いだして、お金を出し合って買ったんです。おかげでワンランク上の梅酒になったんで、お礼を言うなら颯太に言ってやってください」
小和は二人の気持ちが嬉しくて、くすりと笑みがこぼれた。
「そういえば、楠見さん。バイトどうっすか? 慣れました?」
「うん、けっこう慣れた。写真を撮らせてもらえるわけじゃないけど、大の大人が赤ちゃんや子どもの笑顔の写真を撮るためだけに、撮る側が変顔したり笑顔を向けたり、おもちゃで気を引いたり、声とかで楽し気な雰囲気作ったり、あの手この手を使って本気になってるのが面白いんだよ。そうやって撮った笑顔の写真を見て喜んでくれる家族の表情を見るのも嬉しいし」
「小和さんは何をしてるの?」
「受付とか雑用とか、撮影のアシとか。笑わせる方もやってるよ。私が笑顔で話しかけると笑顔になってくれる子が多っくてさ、かなり役に立ってるって褒められてるよ」
「すっごい楽しそうですね。楠見さんが働いてるとこ、けっこうガチで見学してみたいかも」
「絶対に来るな」
小和が変わらない声のトーンで本気の拒否をし、二人して夜の道を歩きながら声を出して笑った。
「それで中原くんの方は最近どう?」
行哉は「雑な聞き方っすね」と小さく笑いつつも、
「ほどほどにやってますよ。バイト先では面倒だったり煩わしいこともけっこうあるけど、そこでしか知り合えない人もいっぱいいるから、プラスマイナスで言えばプラスだし、写真に関して言えば、去年くらいからずっと颯太のやる気に刺激されてるし、小和さんが一段深く写真に関わりだして、俺も新しいこと始めようかなとか、考えてますよ」
「そっか。何かやりたいこととかあるの?」
「とりあえず色々と自分に何ができるか試してみたいんですよね。動画とかにも手を出してみたいし、颯太みたいに投稿用のアカウント新しく作ってみるのもありかなとか」
「いいと思うよ。私たちの中では一番クリエイター気質だし、無責任かもだけど、中原くんなら何でもうまくやれそう、って気がするんだよね」
行哉は小和の言葉に背中を押された気分で、「ありがとうございます」と平静を装いながら口にしながら、今すぐ何かしたいという胸の高鳴りが抑えきれなくなっていた。
そうやって話しながら歩いていると、あっという間に西賀茂車庫に辿り着いた。
「北大路駅に向かうバス、もうないっすね」
時間と時刻表を確認しながら行哉が言うと、小和が心配そうに「どうするの?」と尋ねてきた。
「まあ、よくあることですし、歩くかタクシーか、颯太の部屋に泊まらせてもらうかしますよ」
「なんかちょっとでも心配して、損した」
「なんかすいませんね。楠見さん、まだ時間ありますか?」
「大丈夫だけど、なに? あっ、ウチには入れさせないからね」
小和の言い草に、行哉は思わず笑った。
「そこのコンビニで飲み物奢るんで、一服するのに付き合ってくれません?」
「まあ、それくらいなら」
そう言ってすぐ近くのコンビニで、行哉はミネラルウォーターを二本買って、小和に一本渡した。
コンビニの外の喫煙所に並んで立って、行哉は煙草を取り出して火をつけた。
「それで何か話したいことでもあるの?」
小和は買ったばかりの水に口をつけながら、怪訝そうな目を行哉に向ける。
「楠見さんは大丈夫かなって、心配してるんですけど」
「何が?」
「颯太と綾崎さん、どちらとも仲良くしてるじゃないですか。辛くないですか?」
「ああ……そういうこと。なんか不思議だけど、辛くはないよ。だって、颯太くんも蒼依も二人とも好きだし、蒼依の事情を知っていると二人には幸せになってほしいって思うじゃん」
小和は強がっている様子は一切なくて、その表情は頭上に広がる月夜のように晴れやかでどこか明るさすらあった。
「中原くんもそう思うでしょ?」
「そうっすね。二人には後悔がないように過ごしてほしいと思ってます」
「だよね。てかさ、そう言う中原くんはどうなの? 彼女さんともう一年くらい? 長いよね」
小和は興味深そうに行哉の顔を覗き込んだ。
行哉は少し嫌そうな表情を浮かべた。それは普段詮索されやすいがゆえに、踏み込まれないための癖になっていたものだった。
なのですぐに表情を緩め、小和の顔を見つめ返した。
きっと半年くらい前の行哉なら、そのまま踏み込ませないようにしつつ適当に誤魔化していた。
颯太と小和は、行哉が居酒屋で知り合ったモデルをしている藤田亜矢とずっと付き合い続けていると勘違いしているが、去年の年末あたりまではセフレ以上彼女未満という関係だった。
すぐにでも関係を終わらせてもよかったが、亜矢が恋人ということにしておけば女性関係の面倒事を避けられるというメリットがあり、亜矢の求めるままの関係であり続けていた。
「まあ、俺の中では最長ですね。亜矢さんのことは人として尊敬してますから」
小和は想像以上に真っ直ぐな言葉と大人びて見える行哉に少し驚いていた。
今まで行哉は、颯太や小和の前でもなかなか本心を見せようとせず、周囲に合わせた都合のいい顔しか見せてこなかった。
初めて中原行哉という人間と正面から向き合っている気がした。
「どんなところを尊敬してるか、聞いてもいい?」
「別にいいっすよ。でも、こういうガチっぽいのはな」
「たまにはいいじゃん」
小和の言葉に行哉は「そうっすね。じゃあ、ここだけの話にしてくださいよ」と前置きして亜矢の話を始めた。
亜矢はモデルとしての意識が高く、体型維持や体調管理、肌のケアにはかなり気を遣っていた。
肌荒れを気にしながら煙草を吸ったり、食事に無頓着なモデルを見ていたので、そういう亜矢のプロ意識に行哉は素直に感心していた。
だから亜矢は、デートに行っても食事にこだわるし、時間によっては一切食べないということも珍しくなかった。仕事の前日はバイトは絶対に入れず、行哉と会うことも避けることもあった。
行哉にしてみれば、今まで自分に近づいてきた女性は、自分に合わせたり都合がいいように振る舞ったりする人が多く、芯が強く徹底している亜矢の姿は新鮮だった。
また行哉が颯太の影響を受け、写真に今までよりも力を入れ出してしょっちゅう写真を撮りに行ったり、亜矢よりも颯太や小和との時間を優先させて、会う時間が減っても文句のひとつも言わず、行哉のやりたいことを応援してくれていた。
それは自身が仕事や自身のケアで行哉を優先させないことがあるから、お互い様だと割り切っていたからだった。
そういう大人の対応をされることやお互いを尊重し合える関係が、行哉にはとても居心地がよかった。
「素敵な人だね。それにそこまでしてるからあんなに綺麗な人だったんだ」
話を聞き終えて小和は、すっかり亜矢のことに好感を抱いていた。それは亜矢に、どこか颯太に似た雰囲気を感じ取っていたからかもしれない。
「そうだね。亜矢さんもモデルの仕事好きみたいだし、長く続けられるといいなと思ってる」
「そっか。なんか今日は中原くんの貴重な話聞けたな」
「楠見さんに聞かれたから、話したんですからね。他の人には言わないでくださいよ」
「私が言いふらすような人に見える?」
小和は不服とばかりに睨むような視線を向けた。行哉は柔らかな表情でその視線を受け止めながら、煙草の火を消し、灰皿の中に捨てた。
「思ってませんよ。楠見さんは、俺が信用している数少ないひとりですから。じゃあ、そろそろ帰るとしましょうか」
「うん。それで中原くんは結局どうするの?」
「気分がいいので少し歩いて、どこかでタクシー拾って帰りますよ」
行哉が伸びをしながら答えた。
「じゃあ、気を付けて帰ってくださいね、楠見さん」
「中原くんも。じゃあ、おやすみ」
そうして二人は別々の方向へと歩き出した。
静かな月夜に進むべき路は違っていても、その足取りはとても軽かった。




