閉場後に貸し切りで写真展を
六月下旬の金曜日。
大学内のギャラリーで開かれる写真部の写真展が、初日を迎えた。
例年は開場してしばらくはほとんど人が来ることがないのだが、今年は違っていた。
開場前から、何人かがすでに待っていた。
初日の開場直後は、一時間目の講義を入れていない行哉と颯太が中心に時間を潰すくらいの気軽さで受付をする予定だった。
ただ来場者が多くなることは予想はしていた。それは早くとも昼以降になると、行哉は予想していた。というのも、事前のSNSでの告知に対するインプレッションの数が、今までの比ではなかったからだ。
それは去年のように行哉が、個人のSNSで宣伝をしたからではなかった。
颯太の『君は梅雨に咲く』という題名のつけられた、蒼依と紫陽花の写真を覚えていてくれる人が多かったのだ。
去年の写真部の写真展からはじまり、夏にあった他大学との合同写真展、そして秋の文化祭。
一年を通して颯太の写真は、多くの人の目に触れ、記憶に残っていた。
そうして颯太のことを知っていた人や颯太の写真の魅力を知る人、今回の颯太の展示する写真を事前に見て、たくさんの人に見てもらいたいと思った部員が率先して宣伝、拡散していった。
その拡散には、行哉が作った告知ポスターも一役買っていた。
学内の掲示板や会場に掲示されるメインの告知ポスターには、颯太が撮影していた写真のうち『to blue』に載せる予定のない写真から選んだものが使われていた。
賀茂川沿いに咲いていた桜の花をアップで撮った『春』の写真。
大学内で撮った新緑の間に青空が見える『初夏』の写真。
見切れてぼやけていても何の花かシルエットと色で分かる雨に濡れた紫陽花の葉を撮った『梅雨』の写真。
それらを横長にトリミングしたものを縦に並べ、どんな写真が展示されているのかを表現し、日時や場所などが記載されている明るく爽やかな雰囲気のあるポスター。
そして、それとは別にもう一枚。
“Last year”という文字と共に『君は梅雨に花が咲く』をトリミングした画像と、その隣には“And this year……”という言葉とともに黒塗りの画像を並べ、日時や場所などが書かれているだけの写真部のSNSでメインのポスターと共に公開された告知画像。
それは去年話題になった写真を撮った部員が今年も写真を展示しています、というアピールをするためだけのものだった。
開場前から並んでいたのは、混みあう前に地の利を使おうと考えた同じ大学に通う学生だった。
その後も二時間目から講義が入ってる学生が少し早めにきて見に来たり、去年の夏に知り合った京都市内の別の大学に通う写真部の人たちが部員を連れて見に来たりしてくれた。
ギャラリーから来場者がいなくなる時間はほぼないまま、昼前辺りから一気に訪れる人が増えた。
午後になると、外部の人や午前に来た人の口コミで来る人などが重なり、行哉の予想通り最初のピークがやってきた。
午後二時くらいに一度落ち着いたものの、三時前後からまた来場者が増え始めた。
閉場時間近くまで来場者がいて、去年よりも盛況のまま初日の展示を終えた。
「みんな、初日から大変だったけど、お疲れさま」
閉場後のギャラリーで、写真部の部員たちに行哉が声を掛けた。
今日最後の当番のシフトだった部員たちで簡単な片付けや清掃を終え、ようやくひと息つけたところだった。
行哉の言葉に反応して、「お疲れさまです」という声が返ってくるがその声には張りがなく、表情は一様に疲労感に満ちていた。
そんな部員たちに、行哉は労いの言葉をかけ、
「あとは俺と宮岡の二人で、残った片付けとか退室前の確認とかするから、みんな先に帰ってもらっていいよ」
そう話を締めくくり、「明日もよろしく。今日はお疲れさま」と帰っていく部員を見送った。
自分たち以外誰もいなくなったことを確認して、颯太と行哉は頷き合った。
「行哉、お疲れ」
「颯太もな。こんなに疲れるとは正直思ってなかったわ」
「だろうな。去年はそういう対応を小和さんや先輩が基本してくれてたし、俺らは隔離されてたじゃん」
行哉は「そうだったな」と笑みをこぼしながら頷いていた。
「小和さんたちへの連絡は行哉にお願いするわ。俺は見回って確認とかしてくるよ」
「そこは逆じゃね? 颯太が連絡して、俺が見回りだろ?」
「行哉は今日一番大変だったんだから、少し休んどけって」
行哉は休憩以外では、ずっとギャラリーに詰めて来客者への対応をしていた。そのせいで行哉目当ての人も来たが、その対処も本人がしていた。
颯太は途中で講義に出席するために離れている時間もあり、行哉に比べればまだ余裕があった。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
行哉はスマホを取りだし、電話を掛け始めた。それを横目に、颯太は入り口以外の戸締りの確認と落とし物や忘れ物がないか見て回った。
颯太がひと回りして戻ってくると、
「楠見さんたち、たぶんもうすぐ到着するよ」
「まじで? 早くね?」
「図書館で時間潰してたんだってさ」
行哉のその言葉通り十分もしないうちに、小和と蒼依がギャラリーにやってきた。
「お疲れー、二人とも」
疲れた表情をしている颯太と行哉に向け、軽い口調でニコニコとしながら小和が声を掛け、その隣で蒼依が颯太に向けてひらひらと小さく手を振っていた。
今日の蒼依は、黒のロングスカートに白の薄手のパーカー、キャスケット帽を浅めに被り、長い黒髪をゆるくまとめていた。肩からトートバッグを提げていて、どこから見ても大学生にしか見えなかった。
そんな蒼依の姿を前にして颯太は、蒼依も一緒に大学生活を送る現在があったのかもしれないと、そんなもしもをつい考えてしまった。
並んで同じ講義を受けたり、キャンパス内で隣を歩く姿、ベンチで小和と仲良く話している姿や行哉といるところに割って入ってくる姿が容易に想像できてしまい、それが存外しっくりときた。
「それにしても、本当によかったの? 閉場後に私と蒼依を入れて」
小和が少し落ち着かない様子で行哉に尋ねた。
蒼依と小和がいまここにいるのは、颯太と行哉の計らいで閉場後に貸し切り状態で写真展を観覧するためだった。
「そこは、ほら――“部長権限”というやつですよ」
行哉が口元に笑みを浮かべながらそう答えると、小和は思わず笑い始めた。
二人を招き入れていることは他の部員には秘密でやっていることだが、仮に見つかっても前部長の小和を言い訳に切り抜けれる自信が行哉にはあり、そうなったら小和が話の流れに同調してくれるという確信もあった。そもそも今の行哉に、写真部内で真っ直ぐに文句や正論を言えるのは、共犯者の颯太くらいしかいなかった。
「悪い部長になったね」
「尊敬する前部長の背中を見てきましたから」
小和はいっそう楽しそうな笑い声をあげていた。
「建物が施錠されるまでに二人がゆっくり見て回るくらいの時間はあると思うので、のんびり楽しんでください」
「ありがとう、中原くん。颯太くんもね」
小和が笑みを浮かべたままお礼を言うと、蒼依も慌てて「二人ともありがとう」と感謝の言葉を口にした。
「ねえ、蒼依。一緒に見て回る? それとも自分のペースで回る?」
「小和ちゃんと一緒がいいな」
そうして二人は写真を見て回り始めた。
『春』と『初夏』のエリアは比較的あっさりと、一年生のフリーテーマの合同パネルの前では少し足を止めてじっくり見ていた。
そして、『梅雨』のエリアを見始めて、颯太と行哉、小和の写真が並ぶ場所で足を止めた。
「写真のことには詳しくないけど、こうして見るとすごい雰囲気あるよね」
「颯太くんの写真のこと?」
蒼依は写真から目を離すことなく小さく頷いた。
それを横目で見た小和は写真に視線を戻した。
「たぶんだけど照明の影響もあると思う」
ギャラリーの照明は閉場後のため半分以上が消されていて薄暗いが、写真を照らすライトのおかげで観覧するには不便がなかった。
そして颯太の写真を照らすライトは、明るさが意図的に抑えられていて、黄色がかった色味の光はどこか外灯の明かりをイメージさせるものだった。それが颯太の写真にマッチしていて、ホタルの光がよりリアルに、幻想的に浮かびあがって感じられるようだった。
さらに現実の外は、ちょうどホタルが飛び始めるくらいの時間と暗さで。
「去年も思ったけど、写真に写る私が自分じゃないみたい。颯太の目には、私はこんな風に見えてるのかな?」
「そうかもね」
小和は相槌を打つしかできなかった。
小和には写真に写る蒼依は、美しさと儚さをまとって見えた。
そして蒼依の事情を知っていれば、長くは続かない命の煌めきをホタルと重ね、否応なく胸が締め付けられる。
それなのに撮られている蒼依が、悲壮感を全く感じさせず、顔がはっきりと見えなくとも嬉しそうで幸せそうで、写真を撮る人に向ける信頼と好意まで写り込んでいるようだった。
見る人によっては、何重にも感じ方や見え方が変わり、感情を揺さぶられる写真だった。
「本当に颯太くんはすごいな。どこまで遠くに行っちゃうんだろう――」
誰にも聞こえない声で呟いた小和の頬を、涙がすっと流れた。
去年までは颯太の一番近い場所にいる異性は自分のはずだった。
蒼依と出会って以降、颯太の写真は変わり、凄みを増していった。そして颯太と蒼依が近づくほどに、相対的に小和とは距離が生まれ、これからは離れていくばかりの未来が待っている。
ホタルの光のように、淡くも輝かしい思い出として颯太のことを思い出すような日がいつか訪れるのかもしれない。
写真を見ていると、行き場を失った想いと、何もできなかった自分に対する後悔が引きずり出され、涙になって溢れだしていた。
「小和ちゃん?」
心配そうな蒼依の声がすぐ隣から聞こえてくるが、小和は蒼依の顔を見ることができなかった。
「大丈夫?」
「うん。蒼依が……颯太くんの撮る写真が綺麗すぎて、なんか泣けてきただけだから」
そんな嘘じゃない言い訳を口にすると、ふいに手に冷やりとしたものが触れた。
隣に立つ蒼依が小和の手を握ってきていた。
驚いて蒼依に目を向けると、蒼依は小和に微笑んで視線を再度写真へと向けた。
まるで小和に自分がここにいるということを伝えているかのようで、自分がまだここにいるということを確かめているかのようで。
いつ消えてしまうか分からない蒼依の手を、小和は握り返し、颯太の写真に目を向ける。
繋いだ蒼依の手が温かくなっていき、それは小和の手と同じ温度へとなっていく。熱を共有するように、いまだけは感情も共有していた。
颯太と、颯太の写真に、いまはただ心を奪われていた――。




