変わったもの、変わらないもの
六月も半ばを過ぎ、颯太と行哉は大学内のギャラリーで開かれる写真部の写真展の準備に追われていた。
写真展のテーマは、例年通り『春』『初夏』『梅雨』。
颯太と行哉は今年も『梅雨』のテーマで参加することになっており、部を引退した小和も有志で写真を展示することになっている。
「こうしてみると、やっぱり去年の颯太の写真に影響されてるよな」
行哉は少し苦々しい表情を浮かべ、煙草の煙を吐きながら呟いた。
颯太と行哉は写真展での配置位置を決める話し合いをすることになっているミーティングの前に、キャンパス内の喫煙所で話していた。
ベンチに座っている行哉は、膝の上に置いた自身のタブレットで『梅雨』をテーマに撮られた他の部員の写真に目を落としていた。
颯太は隣に座り、雨の気配がまるでない空を見上げて、眩しさに目を細めていた。
ここ数日は梅雨だということを忘れるほどに天気がよく、何もしなくても汗がにじむほどに暑い日が続いていた。
「颯太はどう思う?」
行哉は隣でぼんやりしていた颯太にタブレットを渡した。颯太はそれを受け取り、写真を見ていく。
特徴的な鮮やかな赤い大きな花びらの紫陽花を、アップで綺麗に撮った写真。
緑の中で色とりどりの紫陽花が咲き乱れている写真。
「なあ、行哉。これなんか見覚えがあるんだけど」
「そりゃあ、そうだろ。少し前に、綾崎さんと見に行ってきたばかりだろ?」
「ああ、植物園のあじさい園か」
既視感の謎が解けたところで、続きを見ていく。
紫陽花を背景に立つ傘を差した女性の写真。その女性は撮影した部員の高校生の妹だそうで。
水たまりに写る紫陽花の写真。その構図は颯太の好みだったが、撮影したときのカメラの設定や編集がよくないのか、紫陽花の色や輪郭がぼやけ過ぎていてもったいなさを感じた。
それ以外にも、紫陽花をモチーフに撮られた写真が並んでいた。
颯太の目から見ても、去年の颯太の写真からインスパイアを受けているだろうなということが見て取れた。
「こっちの写真は、行哉リスペクトじゃね?」
「ああ、それな。去年の俺にも言えることだけど、梅雨らしさが分かりづらいんだよな」
それはどこかの交差点の横断歩道を高いところから撮ったもので、様々な色や柄の傘を差した人たちが道路を渡っている写真だった。雨のある風景をそのまま切り取ったといえば聞こえはいいが、あまり編集をしていないせいで画面が暗く、去年の行哉のように遊び心やセンスがあるわけでもなかった。
他にも、雨合羽を着て散歩している犬の写真や、差している傘を高く持ち上げるようにポーズをとっている女性の写真などもあり、それらは誰かの影響を強く受けているわけでもなさそうで颯太は素直に楽しむことができた。
「こうしてみると、今年は紫陽花にしなくて本当によかった」
「それは俺への当てつけか?」
「いやいや、行哉のは紫陽花がメインじゃないでしょ」
そう言いながら颯太は行哉の写真を探して、画面に表示させる。
雨が降るなか、公園にある東屋の屋根の下で、誰かの置いた傘の陰で佇む猫の姿を撮った写真。その傘は、ひと目で子供のものと分かる透明窓付きの花柄が散りばめられたピンク色の小柄な傘で、その傘の持ち主であろうベンチに座っている子供の足元だけが見切れていた。さらに、手前に見える水たまりには雨の波紋が、奥に見える民家には青い紫陽花が咲いているのもはっきりと写っていた。
それは近景から遠景までピントが合ったパンフォーカスというテクニックを使って撮られた写真で。
「なんかさ、今回の行哉の写真、行哉らしいんだけど、いつもとちょっと雰囲気違うんだよな。なんか小和さん味があるというか」
「今回は最低限の編集だけにして、構図だとか撮る方にこだわったからなあ。そういうところは颯太を参考にして、何を撮るかは楠見さんに寄ったって感じかな」
「俺要素なくね? 構図や見せ方はたしかに俺好みだけど。でも、小和さんっぽさの正体は、その説明で分かったわ。写真全体から優しさや子供のかわいさみたいなものが伝わるからだろうな。そこにオシャレさと言うか、洗練されたセンスみたいなのがミックスされてるから、行哉らしさが出てるんだろうな」
颯太は思ったことを口にしながら、ひとりで納得していた。
行哉にしてみれば、その評価を颯太自身の口から聞けただけで十分満足していた。なぜならそれこそが写真に込めた狙いであり、颯太と小和の二人と過ごした時間があったからこそのひとつの集大成といえる写真だったからだ。
「こうして自分らしさみたいな話してるとさ、楠見さんはすごいって、つくづく思うよな。あの人、まじで軸がブレなさすぎる」
「それ、めっちゃ分かる。小和さんの撮る写真、基本は出会ったころから変わってないもんな。それなのに、マンネリ感ないし、写真自体もよくなってるのがすごいわ」
「颯太は綾崎さんに会ってから、だいぶ変わったもんな。昔の颯太なら、コンポジット合成なんて絶対にやろうなんて思わなかっただろ?」
「まあな。風景にしろ、なんにしろ、そのとき目の前にある綺麗な景色だったり、撮りたいって思った衝動をそのまま写真として切り取るものだ、って感覚だったからなあ」
「景色と空しか撮らなかった颯太が、今ではすすんで人を撮ってるんだもんな」
「本当にね。蒼依に出会う前の自分に、今の俺が撮った写真を見せても信じてもらえないだろうな」
颯太は肩を揺らして笑いながら、小和の写真を表示させた。
母親と手を繋いだ合羽姿の幼い子供が、水たまりを飛び越えるために母親に引き上げられながら跳び上がっているところを撮った写真。
優しさと微笑ましさに包まれた小和らしい一枚だった。
「こういうシーンにめぐり合わせる運を持ってるのも、小和さんなんだよな」
「そればっかりは本当に羨ましすぎる。俺のさっきの写真も楠見さんに聞いて、このルート歩いてみるといいかもっていうアドバイス通りに歩いてるときに、通りがかった西賀茂にある公園でたまたま撮ったやつだからな」
「まじで? そんな裏話あったの?」
「まあな。だから写真展終わったら、お礼にいい梅酒でもあげるつもり」
「そもそも写真出してくれることのお礼もしないとな」
「じゃあ、またどこか楠見さんが気に入りそうな店探すか」
そう言って顔見合わせて笑った。
笑いの波が収まると、行哉は持っていた煙草の火を消し、灰皿に捨てた。
「それで話戻るけど、写真どう思った?」
真面目なトーンで行哉が尋ねてくるので、颯太もちゃんと思案を巡らせる。
「たしかに偏りはあるけど、写真自体はちゃんとテーマに沿ってるからいいと思う」
「まあな。だから、俺も写真に問題ないことを確認したうえで受け取ったわけだし」
「さすが、そういうところは抜かりないのな」
「当たり前だろ。去年、誰かがそのことでぐずぐず悩んでるの見てたし」
行哉はあからさまににやけていて、それを見て颯太は渋い顔をするしかできなかった。
「去年のことは置いといて……この紫陽花の写真のどれかを出したのが俺だったり、似たような写真をもし出して来たとしたら、どうなってた?」
「ボツだろうな」
「そうなるよな。実際に去年、小和さんに凝ってる適当な写真を見せたら、即ボツにされたしな」
「そんなこともあったな。てかさ、逆に聞くけど、交差点を行き交う人を撮った写真あっただろ? あれを俺が写真展に出そうと思うって見せたら、颯太はどんな反応するよ?」
「やめとけ、って止めるだろうな。去年の写真を見てなくても、行哉らしさを感じないから別のにした方がいいって言っただろうな」
「だよな。それは俺らがお互いにどんな写真を撮ってるか、どんな写真を撮れるかをよく知ってるうえで、もっといいのがあるだろって言える仲だからなんだよな」
そんな友人に出会えた幸運に、颯太も行哉も心の中で感謝した。
そもそも写真という接点がなければ、交わることも関わることもなく、一言も言葉を交わさないまま大学生活を終えていただろうことも想像できてしまうのだ。
だからこそ、今こうして当たり前に話して笑っている時間も、特別な一瞬なのかもしれない。
「まあ、今回は特に俺につられて『梅雨』テーマにチャレンジした後輩が多かったからなあ。俺が写真撮りに行くのに付いてきたり、有志で一緒に撮りに行ったりだとか、俺の写真をよく見たがったりとか、影響受けやすい場所にいた人たちだから仕方のないことかもだけど、もっと自分らしさを出してほしかったよな。だからか、犬の写真と傘を持ってポーズとってる写真は、そういう意味では本当にいいと思った」
「俺も同感。今は颯太みたいな写真を撮りたいって気持ちが強すぎるんだろうな。だったら、俺らが引退したら、いい感じになるかもな」
「そうなることを期待して、来年は客として写真展のぞきに行こうぜ」
「悪い先輩だな」
行哉は楽しそうな笑みを浮かべ、颯太の手からタブレットを抜き取りながら立ち上がった。
「これで来年、ホタルの写真が増えたらどうする?」
「それはそれでいいじゃん。もし俺と同じような写真を撮ろうと思う人がいたらさ、俺と同じ苦労を味わうってことだろ? そこまでやるやつがいたら、苦労話で盛り上がれるだろうし」
颯太も立ち上がり、ミーティングが行われる教室へ並んで歩きはじめながらそう答えた。
「ひどい先輩だな。俺も今度、その苦労味わおうかな。実は颯太の写真見て、興味湧いてたんだよ」
「やってみなよ。ホタルじゃなければ、意外と簡単にできそうだし」
「そう言うなら、一緒にどこか撮りに行こうぜ」
その一言で、未来の予定がひとつ決まる。
こういうフットワークやノリの軽さを共有できるのも、二人が仲良くなった要因だった。
ただ、ふと颯太は気になった。
少し前の行哉は、今より付き合いは悪かった。それは行哉の交友関係の広さと女性関係に起因するものだった。
それが今では当然のように大学の内外で、同じ時間を共有している。
しかし、その理由をいま聞くのは違う気がした。
「じゃあ、小和さんに奢る店を探しがてら、何を撮るか相談しようぜ」
「いいな、それ」
そして、今日のミーティング終わりに二人でどこに飲みに行くかということに、話は移り変わる。
この関係がずっと続いて欲しいと颯太が素直に思えるのは、大事なものが永遠じゃないと蒼依との付き合いで学んだからかもしれない。
盛り上がる二人の上には、どこまでも薄い青の晴れ空が広がっていて、どこからか気の早いセミの鳴き声が聞こえていた。




