コンポジット合成
颯太と蒼依が、上賀茂神社にホタルを見に行った日から数日が経った。
「――――颯太。おい、颯太。生きてるか?」
行哉に呼びかけられながら身体を揺すられ、颯太は目を覚ました。顔を上げると、見慣れた写真部の部室が広がっていて、窓を叩く雨の音が心地よくて、思わずあくびが出た。
「ありがと、行哉。いま、時間は?」
「そろそろ四時間目の終わるくらいだな」
行哉は手に持っていたスマホに目を落としながら答えた。
それを聞きながら、颯太は大きく伸びをして、どうにか眠気を誤魔化そうとしていた。
そんな颯太の姿に、行哉は既視感と懐かしさを感じながら小さくため息をついた。
「それにしても、颯太が部室で寝てるの久しぶりな感じがするな」
「たしかにそうかも。前は空きコマに部室に来たりしてたけど、そういう時間に写真を撮りに行くようになったからなあ」
「綾崎さんと知り合ってからだよな。で、今日は綾崎さんのところに寄ってこなかったのか?」
「まあ、やらないといけないことがあったし、眠気やばかったから部室に来てたんだよ。だから、もし寝てたらミーティング前に起こしてくれって、行哉にお願いしてたんだろうが。それに蒼依の家には、写真部終わりにみんなで行こうって話してただろ?」
颯太はそう言いながら笑みを浮かべていて、行哉も「そうだったな」と頷きながら笑った。
「なあ、颯太。最近、講義中にも居眠りしたりしてるけど、まじで何やってんの? もしかして、体調崩してる?」
「身体は元気……いや、疲れてるから元気ではないか。最近、あんま寝てなくてさ。その状態で、大学来て、バイト行って、さらに写真撮って、編集して、投稿する写真のチェックして――。その合間に、時間を見つけて蒼依に会いに行って、って感じ」
「ハードなことだけは分かったわ。そんなんだと、綾崎さんも心配してるだろ?」
「うん。昨日大学帰りに会いに行ったとき、気が抜けたからか軽く寝落ちしちゃったんだよ。蒼依は、何も聞かずに起こさないでいてくれたけどさ」
伏し目がちに答えたそばから、颯太は大きなあくびが漏れた。
「まあ、颯太がそこまで入れこむというか、寝る間を惜しんで何かするのは、綾崎さんか写真のどちらかだよな」
「正解。今回はそのどっちもだね。あっ、そうだ。本当はこのあと蒼依の家に行ったときに見せるつもりだったけど、行哉には先に見せるよ。写真展用のやつなんだけどさ、候補が三枚あって、どれにするかみんなの意見聞きたかったのと、蒼依の許可をあらためて貰おうって、思ってたんだよね」
鞄の中からタブレットを取り出して、颯太は用意していた写真を表示させて、行哉に手渡した。
行哉はその表示されている写真を見た瞬間に、写真に見入ってしまった。それから思い出したかのようにスワイプして次の写真を表示させ、また画面に目が奪われた。三枚目も同様で、無意識に「すげえな」と何度も声が漏れていた。
そんな行哉の反応を間近で見て、颯太はたしかな手ごたえを感じていた。
「これって、この前綾崎さんとホタルを見に行ったときのやつ?」
颯太が用意した三枚の写真は、蒼依とホタルの写真だった。どれも写真展を意識してのもので、顔がはっきりと見えないようなものばかりだった。
一枚目は、ならの小川の石段で屈んでいる蒼依と、たくさんのホタルの丸い光や光跡が写った幻想的な写真。
二枚目は、ならの鳥居を背景に小川にかかる石橋の上で蛇の目風の傘を差して立っている蒼依を中心に、多くのホタル光に囲まれている写真。
三枚目は、指の上に止まっているホタルの淡い光に照らされる蒼依の横顔を撮った写真。
「なあ、この一枚目と二枚目……もしかして、コンポジット合成?」
コンポジット合成というのは、比較明合成とも呼ばれ、二つ以上の写真を比較して明るい部分だけを合成する技法のことだ。ホタルの写真以外でも、星が空を周る日周運動を建物や風景と合成させたり、車のテールランプがいくつも流れるような写真を作り出すことができる。
颯太はその技法を使い、あらかじめ撮影した蒼依の写真にホタルの光の写真を何枚も重ねていた。
「さすが、行哉。そのホタルの光を撮るために、最近ずっと夜に上賀茂神社に行ってたんだよ」
「ああ、それが原因で寝る時間を削ってたってことか?」
「まあな。日付が変わるころや深夜にもホタルが飛んでてさ、そういう時間だと他に見に来る人もいないから素材になる写真撮るにはいい環境だったから、ずっと粘ってた」
その言葉の通り、颯太は毎夜上賀茂神社に行っていた。
雨が降っていなかったり小雨くらいならホタルは問題なく飛び、深夜二時くらいまでは飛んでいる。
颯太は自身のスマホで撮っていたカメラの三脚の位置やカメラのモニターを頼りに、構図を再現して、シャッタースピードを短めにすることで丸い玉のようなホタルの光を、長めにすることでホタルの飛ぶ光の筋を撮影した。
それを何枚も撮り、自分の中にあるイメージに近づけるように編集で重ねていった。
「どこまで写真に賭けてるんだよ。たしかに労力に見合った大作だけどさ」
「さすがに、しばらくはやりたくないよ。でもさ、去年の写真とは違うベクトルだけど、負けてないと思うんだよ。どう思う?」
颯太の表情は自然と明るくなった。行哉はつられて口元に笑みを浮かべながら、もう一度写真に目を落とした。
去年の写真は紫陽花の前にたたずむ蒼依を見かけて衝動的に撮ったもので、今回は構図も含めてかなり手が込んだ作品と呼ぶにふさわしい写真だった。
「三枚目のホタルの光に綾崎さんが照らされてるやつは、去年と似た空気感があって目を引くけど、インパクトや記憶に残るのは去年の方かな。それで一枚目と二枚目なら、俺は二枚目の方を推すけど、これならたしかに負けてないと思う。ただ好みの問題だから、去年の方がよかったって声は絶対あるだろうな」
「それは覚悟の上だよ。俺自身も去年の蒼依と紫陽花の写真以上のものを撮れる自信は、今のところないし。それくらい会心の写真だったからなあ」
情けなく聞こえるようなことを、口元に笑みを浮かべながら颯太はしみじみと口にした。
「てか、これだとまた颯太だけが目立つ写真展になりそうだな。俺と楠見さんの写真もかなりいいと思ってたのにこれが相手だとかすむな、まじで」
行哉は苦々しそうに言いながらも、表情はどこか嬉しそうだった。
「そういえば、行哉と小和さんの今回の写真展用のやつ、見せてもらってないんだけど。見せてくれよ」
「あとで、綾崎さんの家で見せてやるよ。それより、ミーティングやる教室行こうぜ」
「まだ少し早くね?」
颯太は行哉からタブレットを返してもらい、その画面に表示されている時計で時間を確認しながら言い返した。
「煙草吸って、コンビニで飲み物買って行けば、ちょうどいいくらいにはなるだろ」
行哉が真顔でそう言うと同時に二人して噴き出した。
それから部室を出て、そのまま課外活動棟の外にある喫煙所へと向かった。
*
「えっ……颯太、これ。どうやったの? この写真撮ったとき、ホタルいなかったよね?」
颯太の写真を見た蒼依の表情には、興奮が混じっていた。
そんな想像以上の反応に颯太は笑みを隠し切れないまま、コンポジット合成の説明を簡単にした。
それを聞いて、蒼依の中で最近の颯太の疲れた様子や眠りこけてしまったことと繋がり、たくさんの感情が湧き上がり、写真がより特別なものに思えた。
「すごいいい写真だと思う。だけどね、無理はしないで。写真のために颯太が倒れたら嫌だし」
真っ直ぐ向けられる蒼依の視線に、颯太は何も言えなくなってしまった。
「颯太は、写真が原因で体調崩しても後悔しなさそうなんだよな」
「分かる。てかさ、この写真は颯太くんの愛の形だよね。蒼依を綺麗に見せたいって気持ちがにじみ出すぎ」
行哉と小和が口々に、からかうような言葉を楽しそうに口にした。
颯太は反論の余地がないのでまたしても黙るしかなくて、蒼依は蒼依で自分のための写真ということを再認識して照れてしまった。
颯太は一度咳払いをして、
「それで写真展に出す写真は、どれがいいと思う?」
そう尋ねると、颯太も含めて満場一致だった。
「じゃあ、この写真にするけど、蒼依、いいよね?」
「うん。もちろん。今年も写真展、見に行くからね」
蒼依は眩しい笑みを浮かべていて、その場を明るく見た人の表情を緩ませた。
颯太はタブレットに表示させている石橋に立つ蒼依に目をやる。
あらためていい写真だと思いながら、目の前にいる本物の魅力には遠く及ばないと、そんなことを思っていた。




