一年前とは違う
「かんぱーーい!!」
掛け声に合わせて、颯太と小和、行哉は、持っていたグラスを軽く当て合った。
颯太と小和は梅酒をそのままひと口、行哉はグイッとビールをジョッキ半分ほど飲んだ。
テーブルの上には、付け出しの賀茂なすの揚げびたしとコース料理の前菜の海鮮サラダが三人の前に個別に配膳されていた。
「それにしても、こうして三人だけで木屋町に飲みに来るのってさ、もしかして一年ぶりくらい?」
「だいたい俺の家か近くの居酒屋だったもんな。先月の小和さんの内定決まったお祝いに行った炉端焼きの居酒屋は、錦市場の方だったし」
行哉がなんとなく口にした疑問に颯太が答え、二人は向かいの席に座る今日のこの場をセッティングした小和に目を向ける。
「町屋のすっごい雰囲気いい店だったよね。料理もおいしかったし」
「いまだから言えるけど、店探すのけっこう大変だったんだよな。颯太と二人でネットで探したり、それぞれでバイト先の人におススメ聞いたりしてさ」
「で、ちょうどいいタイミングで予約が取れて、ラッキーって行哉と言ってたっけ」
颯太と行哉は、つい一か月前のことを思い出して盛り上がった。
行哉は、あらためて小和に目を向け、
「それに今日は楠見さん、いつものスニーカーだし、靴ずれの心配しなくていいし」
からかうような口調で一年前のことを掘り返すと、小和は不機嫌そうに顔をしかめながら行哉を睨むように見つめた。
「あのときはどうもありがとう。あと言われる前に言うけど、今回はちゃんと予約もしてたでしょ?」
小和が自分の失敗を引き合いに出すと、全員が同時に噴き出して笑い合った。
今は、金曜日の夜。
小和から誘われた颯太と行哉は、写真部の活動終わりに真っ直ぐに三条駅に向かい、三条大橋近くで小和と合流し、木屋町通沿いにある小和が予約していた京野菜を使った料理を中心に楽しめる居酒屋へと来ていた。
「小和さんに呼び出されるのは慣れてたつもりだけど、三条集合はさすがに驚いたな」
「だな。あっても北大路くらいまでだったもんな。楠見さん、こっちで何かやってたんですか?」
あらためて驚く二人を前にして、小和はにやけが抑えきれなくなっていた。
「実はね、新しいバイト始めたんだ。それで今日が最初の出勤日だったの」
「まじっすか、楠見さん。にしても、四年生で今から新規のバイトって……短期のバイトですか?」
「いや、けっこうしっかりめのバイトだよ。だから、これからは週末とかけっこう忙しくなるかも」
「それで小和さん。なんのバイト始めたんですか?」
本題に踏み入った颯太の質問に、小和は待ってましたとばかりの満面の笑みを浮かべた。
「こども写真館!」
颯太と行哉は、驚きのあまり言葉が出てこなかった。
小和が自分たちと同じ写真に関わるバイトを始めるなんて、まるで考えてなかった。
もし小和にその気があったのなら、卒業が間近に迫ったこの時期からではなく、もっと早くに始めていたはずで、その機会もあったはずだと思っていた。
だから、どういう反応が正解なのか、颯太は分からず、行哉は測りかねていた。
「あっ、やっぱり驚いてる。二人のその顔見れただけで、今日誘ったかいがあったよ」
小和は楽しそうに声を押さえて、くつくつと笑った。
「いや、まじで驚きました。なんで急に?」
先に冷静さを取り戻した行哉が尋ね、それに同調するように颯太も隣で頷いていた。
小和の表情は笑顔のままだったが、その目はどこか切なげだった。手元の梅酒の入ったグラスに視線を落とし、指先でゆっくりと氷を回すと、からりと涼し気な音が小さく響いた。
「私も二人みたいに、写真の世界に飛び込んでみたいと思ったの。私にとっては、これがラストチャンスだと思ったから」
「……ラストチャンス?」
颯太が繰り返すように尋ねると、小和は静かに頷いた。
「うん。卒業して働き出したら、私は写真をきっとほとんど撮らなくなって、数年後には大学時代は楽しかったなって、振り返るようになるんだろうなと思ったの。だって、私には二人みたいな熱量はなかったから。それに、颯太くんみたいな見る人の心を掴む写真を撮ることをできないし、中原くんみたいなセンスもないから」
二人が初めて聞く、リアルな小和の想い。
だからこそ、うかつな言葉を挟むことも、安易な否定もできずにいた。
「きっかけは、蒼依。もっと正確に言うなら、颯太くんと蒼依」
「俺……ですか?」
「うん。二人は私の写真を真っ直ぐに褒めてくれた。だから、二人の言葉を信じて、誰かの笑顔や思い出を残す手伝いがしたいと思ったの」
小和はあえて言わなかったが、最後の一押しは少し前にデートと称して蒼依と遊んだ日に図書館の屋根の下で雨宿りしたときに撮った、蒼依の笑顔の写真だった。
それは小和が今まで撮ってきたなかで一番、純粋で美しい写真。
同時に、写っている蒼依の事情を知っているがゆえに、永遠がないことを突き付けられ、避けることのできない別れを意識してしまうことから切なさや寂しさもはらんでいて、それ以外にも自身の叶わなかった恋など多くの感情が込められている。
小和はその写真を見返すたびに胸が締め付けられように痛み、その痛みに蒼依を大切な友達だと思っていることや颯太に向ける恋心が枯れていないことを実感していた。
「小和さんの写真を思い返してみれば、合ってるバイトのかもしれませんね」
「それで楠見さん。初日働いてみて、どうでした?」
「それ、俺も気になる。俺も行哉も色々あったからなあ」
二人はあっさりと受け入れて、小和の話を聞きたがった。
小和は、はじめて二人と対等と言える場所に足を踏み入れることができた気がした。
「初日だから、ほとんど仕事の見学で、掃除とか簡単な手伝いとかばっかだったよ。でも、子供はすっごいかわいかった! 目が合っただけで、笑ってくれる女の子がいてね――」
一度話し始めると、次から次に話したいことが湧き上がってきた。
それほどまでに今日一日の経験が、小和には大きなものだった。
その流れで、小和の知らない颯太と行哉のバイトを始めたばかりのころの話を聞かせてもらった。
例えば、颯太は最初は右も左も、なんなら機材の名前すら分からず、ミスばかりしていてたこと。行哉は華やかに見える世界のリアルな姿を見て、失望から始まったこと。
今になってしまえば笑って話せる話をしながら、コース料理と酒を楽しんだ。
コース最後のスイーツとして、小さくカットされた果物が入っているフルーツアイスが出てきた。
出てきたコース料理を颯太は、食べる前に写真に収めていた。
それは小和に誘われ、三人でご飯を食べに行くことを知っていた蒼依からのお願いだった。いま考えれば、今日の予定を伝えたときにやけにあっさりと蒼依に送り出されたのは、事前に小和から蒼依に話を通していたのかもしれないと思った。
もしかすると、小和がバイトをすることを蒼依だけは知っていたのかもしれない。
もしそうなら、後で颯太と行哉が驚いていたことを、小和はおもしろおかしく蒼依に伝えるのだろう。それを颯太が言い訳するというところまでが、ワンセットで。
撮った写真を見返しながら、そんな数日後のことを思うと、颯太はひとつ息が漏れた。
「あっ、颯太。店にくる途中にも写真撮ってたよな? あれ、見せて?」
隣の席から行哉が、カメラのモニターを見ていた颯太に声を掛けた。
颯太がそれにいつものように二つ返事で了承すると、
「私も見せて。撮った後すぐに見せてもらいたかったけど、予約の時間迫ってたから店に行くこと優先させて、ちょっとバタバタしてたのよね」
小和もそう言いながら梅酒サワーを手に立ち上がり、颯太の後ろからモニターを覗き込んだ。
颯太はじっくり写真を撮ろうとしていたが、そんな自分のせいで二人を待たせていたり、急がせたことを思い出し、申し訳なさからつい「その節はごめん」と謝罪の言葉がついて出た。
小和と行哉は、気にしてないと笑った。
颯太が店に来る道中で撮ったのは、木屋町通と西木屋町通の間を流れる高瀬川という小川だった。
日の入り直後くらいの薄暗い時間に、繁華街のど真ん中を流れている高瀬川を、短い区間にいくつもかかる橋のひとつの真ん中から撮影していた。
護岸は石垣で、川岸に沿って植えられた街路樹が川を覆う自然のトンネルのように枝葉を伸ばしている。川面には、雨や樹から落ちた水滴が作る波紋が無数に広がっていた。
そんな自然の作り出す光景と一緒にに、周囲の店から漏れる光が川面や雨で濡れた路面に反射していたり、川沿いの道を傘を差して歩く人も写っていた。
都市部の自然でありながら、どことなく歴史も感じさせ、美しさと雑然さが混在する一枚だった。
「颯太の写真で見ると、印象だいぶ変わるんだよな。こうやって見ると悪くないって思うけど、実際はゴミ多いし、汚いんだけどな」
「たしかに。ひとりだと足早で通り過ぎたくなる場所だもん。本当に不思議」
行哉と小和が、素直な感想を口にした。
「これさ、SNSに載せて大丈夫なやつだと思える? 自分では、けっこういいなって思ってるんだよね」
颯太はそう言いながら少しだけ迷っていた。
颯太の写真投稿用のアカウント『be blue』の実質の管理者はバイト先の広報の清水で、彼女が颯太と同じようにいいと思えば、問題なく写真は投稿されるし、その逆も十分にありえることだった。
ただ颯太の希望で、清水に選ばれずとも優先的に投稿してもらうことも可能で、颯太にしてみれば、今日撮った写真のなかではいい写真だから優先させたいと思っているけれど、今までに撮ったいいと思える写真と比較すれば清水に選ばれなくても諦めがつくという、微妙なライン上にある写真だった。
「そこは颯太次第だろうけどさ、ひとつ言えるのは撮った場所をもし見に来るような奇特な人がいたら、高確率でがっかりするだろうな、ってことかな」
「でも、そういう颯太くんならではの風景の切り取りができてるってところが、いいところじゃない? こういう場所でも綺麗なものを見つけられる着眼点みたいなさ」
「楠見さんの言うことも、分かるんですよね」
小和と行哉も首をひねるが、酒が回った頭では正常な判断ができないとすぐに諦めた。
颯太も一晩置いてあらためて精査してみたり、清水の判断に任せるのが無難だと思い、いまは考えることをやめた。
店を出た三人は一年前とは違い、それぞれが自分の傘を差して、一緒に家路についた――。




